2023/12/31

2023年12月31日3分メッセージ

賛美歌:讃美歌21・260「いざ歌えいざ祝え」
聖書:マタイ2:7-12

その星を見て、彼らはこの上もなく喜んだ。(マタイ2章10節)

 イエス・キリストの誕生を祝うクリスマスの出来事は、聖書にその前後について多くの記述があります。マタイ2章の「東からきた博士たち」はキリストの誕生を星の出現で知り、日数をかけてはるばる遠国より旅をしてエルサレムにやって来ました。
 キリストの誕生からはだいぶ日数が過ぎていました(マタイ2章16節)。博士たちの知らせに対するエルサレムの人々の反応は、喜びではなく恐れでした(マタイ2章3節)。
 博士たちはキリストの所在地については見当がつきませんでした。当時の王であったヘロデは、博士たちの異国に不慣れなことにつけこんで利用しようとしました。ヘロデは博士たちにキリストがベツレヘムいることを教えて、彼らからキリストの情報を得ようとしたのです(マタイ2章8節)。ヘロデはキリストを抹殺しようとしたのでした(マタイ2章13節)。
 ヘロデは博士たちに対して情報量の点で勝っていました。しかし、博士たちには神が味方に立っていました。彼らをキリストがいる家まで導いたのは、彼らを東方からエルサレムまで上らせた星でした(マタイ2章9節)。そして、彼らはキリストを拝むことができ、キリストに敵対するヘロデの手からも逃れることができました(マタイ2章12節)。
 聖書の神は、信じて従う者に味方してくださる方です。「もし、神がわたしたちの味方であるなら、だれがわたしたちに敵し得ようか。」(ローマ8章31節)新しい年も神の導きを信じて従ってまいりましょう。

 ご一緒にお祈りいたしましょう。
 天の父なる神様。今年も守りと導きの中、終わりの日まで歩むことができましたことを感謝いたします。新しい一年がどのような年となるか、私たちにはわかりませんが神様はご存じです。新しい年にも新しい恵みを賜り、新しく導いてくださいますように。
 イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

讃美歌21・260「いざ歌えいざ祝え」

1)いざ歌え いざ祝え
このめぐみの時
救い主 あらわれぬ
喜べ 主にある民よ

2)いざ歌え いざ祝え
このめぐみの時
悪しき世は くだかれぬ
喜べ 主にある民よ

3)いざ歌え いざ祝え
このめぐみの時
天使たちと 声あわせ
喜べ 主にある民よ

アーメン

出典:日本キリスト教団出版局『讃美歌21』(インターネット配信について

2023年12月31日の聖書日課

(写真:ネズミモチ)

マタイ2:7-12
 2:7 そこで、ヘロデはひそかに博士たちを呼んで、星の現れた時について詳しく聞き、
 2:8 彼らをベツレヘムにつかわして言った、「行って、その幼な子のことを詳しく調べ、見つかったらわたしに知らせてくれ。わたしも拝みに行くから」。
 2:9 彼らは王の言うことを聞いて出かけると、見よ、彼らが東方で見た星が、彼らより先に進んで、幼な子のいる所まで行き、その上にとどまった。
 2:10 彼らはその星を見て、非常な喜びにあふれた。
 2:11 そして、家にはいって、母マリヤのそばにいる幼な子に会い、ひれ伏して拝み、また、宝の箱をあけて、黄金・乳香・没薬などの贈り物をささげた。
 2:12 そして、夢でヘロデのところに帰るなとのみ告げを受けたので、他の道をとおって自分の国へ帰って行った。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2023/12/24

2023年12月24日3分メッセージ

賛美歌:讃美歌21・249「おさなご主イエスよ」
聖書:ゼカリヤ2:10-13

その日には、多くの国民が主に連なって、わたしの民となる。わたしはあなたの中に住む。(ゼカリヤ2章11節)

 クリスマスおめでとうございます。本日はクリスマス直前の日曜日、志村キリスト教会では一足早くクリスマス礼拝を行っています。多くの方々が礼拝に出席されることを期待しています。
 キリスト教にとっては毎週日曜日がお祭りです。その中でも、春のイースター、冬のクリスマスは大きなお祭りです。この日は特に多くの方々が集まって、様々な形で盛大な祝いをします。それはイエス・キリストのご降誕を祝う祭りです。
 聖書の民イスラエルにとっては、神の宮のあるエルサレムに世界中から集まってお祭りをすることが、一生の目的ともいえることでした。それは、イスラエル人は度重なる離散の歴史を経験しているからです。約束の地を目指したアブラハム、モーセの時代があり(ゼカリヤ10章10~11節)、他国より攻められて離散してしまう危険を経ながらダビデのもとに統一王国となった時代があり(ゼカリヤ12章7~9節)、そしてゼカリヤ書の時代、王国が分裂、滅亡を経験したのち、捕囚地バビロンから祖国へ帰還した民が再結集できたことを喜んだ時代がありました(ゼカリヤ2章6~7節)。
 同じように、今日のキリスト教会も様々な経験を経て集まった人々が再会を喜び合います。そして神の民として一つとされ、声と心を一つにして神に礼拝をささげます。そのような神の民のただ中に住む、と聖書の神は約束しておられるのです。
 ぜひクリスマスの機会に教会に集まって、共に喜び合い、心を合わせて礼拝をささげましょう。世界中の人々が和合して暮らせるための平和が与えられますように、心を合わせて祈りましょう。「見よ、兄弟が和合して共におるのはいかに麗しく楽しいことであろう。」(詩篇133篇1節)

 ご一緒にお祈りいたしましょう。
 天の父なる神様。クリスマスは人々が召し集められ、平和を分かち合うお祭りです。どうぞ今年のクリスマスの機会に、私たちの世界から争いを取り除き、平和を与えてください。平和の神よ。どうぞ私たちの家に住んでください。
 イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

讃美歌21・249「おさなご主イエスよ」

1)おさなご主イエスよ
み旨に従い 共に生きるため
貧しい姿で この世に来られた

2)おさなご主イエスよ
み父の怒りを しずめてわれらに
罪のあがないと 恵みをもたらす

3)おさなご主イエスよ
この世に来られて 悲しみの中に
苦しむわれらを なぐさめ励ます

4)おさなご主イエスよ
あなたの愛する 愛の火をともし
われらの弱さを 強めてください

5)おさなご主イエスよ
み旨を行う 力を与えて
従うわれらと ならせてください

アーメン

出典:日本キリスト教団出版局『讃美歌21』(インターネット配信について

2023年12月24日の聖書日課

(写真:カゲツ)

ゼカリヤ2:10-13
 2:10 主は言われる、シオンの娘よ、喜び歌え。わたしが来て、あなたの中に住むからである。
 2:11 その日には、多くの国民が主に連なって、わたしの民となる。わたしはあなたの中に住む。
 2:12 あなたは万軍の主が、わたしをあなたにつかわされたことを知る。主は聖地で、ユダを自分の分として取り、エルサレムを再び選ばれるであろう」。
 2:13 すべて肉なる者よ、主の前に静まれ。主はその聖なるすみかから立ちあがられたからである。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2023/12/17

2023年12月17日3分メッセージ

賛美歌:讃美歌21・247「今こそ声あげ」
聖書:詩篇19:7-14

わが岩、わがあがないぬしなる主よ、
どうか、わたしの口の言葉と、心の思いが
あなたの前に喜ばれますように。(詩篇19篇14節)

 イエス・キリストはこのように言われました。「善人は良い心の倉から良い物を取り出し。悪人は悪い倉から悪い物を取り出す。心からあふれ出ることを、口が語るものである。」(ルカ6章45節)まさに「言葉は立居を表す」ことを教えられました。
 聖書は言葉の大切さを教えています。そして神は言葉によって自らを表されました。神は天地を言葉によって創造し(創世記1章3節)、天地は神の栄光を世界のはてまで伝えています(詩篇19篇4節)。
 また神は御言葉をもって人に命を与え、知恵を与えて正しく導かれます(詩篇19篇7節)。詩篇19篇は神の御言葉のすばらしさをほめたたえる賛美歌です。
 最後に、詩篇19篇は人の愚かさを指摘します。神の御言葉で教えられていながら、罪を犯してしまう、あるいは罪に気づかない愚かさからの救いを祈り求めています(詩篇19篇12節)。
 私たちは言葉を用いて日々を生活しています。私たちの口が語る言葉、また心に秘めた思いの言葉がきよく喜ばしいものでありますように。ご一緒に神の御言葉に学んでまいりましょう。

 ご一緒にお祈りいたしましょう。
 天の父なる神様。私たちは御言葉に学び、きよく正しい歩みをしたいと願っています。御言葉に「舌を制しうる人は、ひとりもいない」(ヤコブ3章8節)とも教えられています。どうぞ私たちの口の言葉、心の思いをきよめてくださり、舌を制する力を私たちに与えてください。
 イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

讃美歌21・247「今こそ声あげ」

1)今こそ声あげ よろこんで歌え
みどりごイエスは 貧しいまぶねに
朝日のように 明るくかがやく
アルファ オメガ 永遠の主

2)いと高き神の み子をほめ歌え
恵みあふれる 幼子主イエスは
嘆き悲しむ われらをなぐさめ
主のみ国を 示される

3)まことに大きな み父の恵みよ
罪にまみれた われらをあわれみ
み子を遣わし 永遠の国へ
導かれる 神の愛

4)喜びの歌は 天に鳴りひびく
み使いたちも 聖徒たちも皆
歌う賛美に われらも声あげ
とこしえまで ほめ歌おう

アーメン

出典:日本キリスト教団出版局『讃美歌21』(インターネット配信について

2023年12月17日の聖書日課

(写真:ベゴニヤ)

詩篇19:7-14
 19:7 主のおきては完全であって、魂を生きかえらせ、
主のあかしは確かであって、無学な者を賢くする。
 19:8 主のさとしは正しくて、心を喜ばせ、
主の戒めはまじりなくて、眼を明らかにする。
 19:9 主を恐れる道は清らかで、
とこしえに絶えることがなく、
主のさばきは真実であって、ことごとく正しい。
 19:10 これらは金よりも、多くの純金よりも慕わしく、
また蜜よりも、蜂の巣のしたたりよりも甘い。
 19:11 あなたのしもべは、これらによって戒めをうける。
これらを守れば、大いなる報いがある。
 19:12 だれが自分のあやまちを知ることができましようか。
どうか、わたしを隠れたとがから解き放ってください。
 19:13 また、あなたのしもべを引きとめて、
故意の罪を犯させず、
これに支配されることのないようにしてください。
そうすれば、わたしはあやまちのない者となって、
大いなるとがを免れることができるでしょう。
 19:14 わが岩、わがあがないぬしなる主よ、
どうか、わたしの口の言葉と、心の思いが
あなたの前に喜ばれますように。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2023/12/10

2023年12月10日3分メッセージ

2023年12月10日3分メッセージ 賛美歌:讃美歌21・241「きたりたまえわれらの主よ」
聖書:ヨハネ5:33-39

あなたがたは、聖書の中に永遠の命があると思って調べているが、この聖書は、わたしについてあかしをするものである。(ヨハネ5章39節)

 クリスマスは、イエス・キリストがこの世の救い主として来られたことを祝うお祭りです(ヨハネ1章29節)。キリストが公に姿を現す前に、バプテスマのヨハネがキリストの先駆者として現れました(ヨハネ1章15節)。そして、ヨハネはキリストについて「このかたこそ神の子である」と証言しました(ヨハネ1章34節)。
 キリストはヨハネについて「彼は真理についてあかしをした」と言い、自らに対するヨハネの証言を受け入れました(ヨハネ5章33節)。それに続いて「あなたがたが救われるためである」とも言われました(ヨハネ5章34節)。つまり、キリストが来られた目的は私たち、世界の人々を救うためであるということです。
 キリスト教は聖書を神の御言葉として受け止め、礼拝の中で説教が行われ、すなわち聖書の言葉が語られます。それらの言葉が、神の救いを明らかにしているのです。ヨハネの語った証言も同じく、神の救いについて証言した言葉でした。
 それだけでなく、キリストは様々な救いについての証言が人類に与えられていることを示しています。それは、キリストを通してなされた救いのわざです(ヨハネ5章36節)。また、神ご自身が証言をされるとも語られました(ヨハネ5章37節)。そして、これらの言葉や出来事は共通してキリストについて証言しているとも語られました(ヨハネ5章39節)。
 クリスマスの出来事についても、このキリストの教えによって味わってください。つまり、クリスマスの飾りや音楽、様々な形で表されているのは、キリストという救い主がお生まれになったということを伝えるためにあります。「きょうダビデの町に、あなたがたのために救主がお生れになった。このかたこそ主なるキリストである。」(ルカ2章11節)今年も幸いなクリスマスが訪れますように。

 ご一緒にお祈りいたしましょう。
 天の父なる神様。暗闇の最も深い季節に、喜びのおとずれが近づいてきました。今年もクリスマスを楽しみつつ、その伝えるメッセージを確かに受け止めることができますように。どうぞ私たちの世界にキリストの平和が訪れますように。
 イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2023/12/09

2023年12月10日の聖書日課

(写真:シンジュノキ)

ヨハネ5:33-39
 5:33 あなたがたはヨハネのもとへ人をつかわしたが、そのとき彼は真理についてあかしをした。
 5:34 わたしは人からあかしを受けないが、このことを言うのは、あなたがたが救われるためである。
 5:35 ヨハネは燃えて輝くあかりであった。あなたがたは、しばらくの間その光を喜び楽しもうとした。
 5:36 しかし、わたしには、ヨハネのあかしよりも、もっと力あるあかしがある。父がわたしに成就させようとしてお与えになったわざ、すなわち、今わたしがしているこのわざが、父のわたしをつかわされたことをあかししている。
 5:37 また、わたしをつかわされた父も、ご自分でわたしについてあかしをされた。あなたがたは、まだそのみ声を聞いたこともなく、そのみ姿を見たこともない。
 5:38 また、神がつかわされた者を信じないから、神の御言はあなたがたのうちにとどまっていない。
 5:39 あなたがたは、聖書の中に永遠の命があると思って調べているが、この聖書は、わたしについてあかしをするものである。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

讃美歌21・241「きたりたまえわれらの主よ」

1)きたりたまえ われらの主よ
主を待ち続ける民に
恵みの主よ 今くだり
この世の暗きをやぶり
とわの光 あたえたまえ
来りたまえ われらの主よ
主を待ち続ける民に

2)なげきの地は 主の愛うけ
希望の光はのぼる
われらの救いのために
しもべの姿をとりて
まぶねの中 眠るみ子よ
なげきの地は 主の愛うけ
希望の光はのぼる

3)響けよ天に あまねく地に
喜びあふれる知らせ
天使の賛美にこたえ
歌え つくられし者は
主をたたえる祝いの歌
響けよ天に あまねく地に
喜びあふれる知らせ

出典:日本キリスト教団出版局『讃美歌21』(インターネット配信について

2023/12/03

2023年12月3日3分メッセージ

賛美歌:讃美歌21・230「起きよと呼ぶ声」
聖書:ローマ11:17-24

しかし彼らも、不信仰を続けなければ、つがれるであろう。神には彼らを再びつぐ力がある。(ローマ11章23節)

 ローマ書11章では、つぎ木のたとえ話が語られています。
 つぎ木は、古代から現代に至るまで用いられ続けている園芸技術です。その目的は、優秀な花や実を増やすため、あるいは病気に強い性質を持たせるため、それぞれの目的に合った台木と穂木を接ぎ合わせることです。
 聖書の神は、腕の良い園芸家にたとえられています。つぎ木そのものは、教会とそれにつながるクリスチャンを示しています。さらに注意すべきことは、つぎ木の台木は何のたとえかということです。
 台木は教会の全体ではありません。また古くから教会を支えているクリスチャン、あるいは先代の教会の伝統を形作ってきた人々も台木ではありません。彼らは私たちと同じく、つぎ木された枝に当たります。もし私たちも不信仰な歩みをするなら、「不信仰のゆえに切り去られ」ると聖書は警告しています(ローマ11章20節)。
 台木はイエス・キリストご自身を意味します。「あなた(穂木)が根(台木)をささえているのではなく、根があなたをささえているのである」(ローマ11章18節)と教えられています。キリストご自身はぶどうの木にたとえてこう言っています。「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。」(ヨハネ15章5節)
 クリスマスの良い機会に、キリスト教の教える救いの恵みを改めて味わってまいりましょう。教会が伝えるクリスマスのメッセージは、天地万物を養う神の恵みを伝えています。神の豊かな慈愛は私たちに向けられています(ローマ11章22節)。

 ご一緒にお祈りいたしましょう。
 天の父なる神様。今年もクリスマスのメッセージは世界中で語り告げられています。その神の慈愛のメッセージを、私たちも真摯に、また素直に受け取ることができますように。「いと高きところでは、神に栄光があるように、地の上では、み心にかなう人々に平和があるように」(ルカ2章14節)
 イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2023/12/02

2023年12月3日の聖書日課

(写真:キンカチャ)

ローマ11:17-24
 11:17 しかし、もしある枝が切り去られて、野生のオリブであるあなたがそれにつがれ、オリブの根の豊かな養分にあずかっているとすれば、
 11:18 あなたはその枝に対して誇ってはならない。たとえ誇るとしても、あなたが根をささえているのではなく、根があなたをささえているのである。
 11:19 すると、あなたは、「枝が切り去られたのは、わたしがつがれるためであった」と言うであろう。
 11:20 まさに、そのとおりである。彼らは不信仰のゆえに切り去られ、あなたは信仰のゆえに立っているのである。高ぶった思いをいだかないで、むしろ恐れなさい。
 11:21 もし神が元木の枝を惜しまなかったとすれば、あなたを惜しむようなことはないであろう。
 11:22 神の慈愛と峻厳とを見よ。神の峻厳は倒れた者たちに向けられ、神の慈愛は、もしあなたがその慈愛にとどまっているなら、あなたに向けられる。そうでないと、あなたも切り取られるであろう。
 11:23 しかし彼らも、不信仰を続けなければ、つがれるであろう。神には彼らを再びつぐ力がある。
 11:24 なぜなら、もしあなたが自然のままの野生のオリブから切り取られ、自然の性質に反して良いオリブにつがれたとすれば、まして、これら自然のままの良い枝は、もっとたやすく、元のオリブにつがれないであろうか。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

讃美歌21・230「起きよと呼ぶ声」

1)起きよと呼ぶ声 目覚めよエルサレム
物見ら叫びて 闇夜をつらぬき
響き渡る声よ そなえよ乙女ら
いざともしび 高くかかげ ハレルヤ
花婿むかえよ 祝いのうたげに

2)目覚めし乙女ら 喜びてそなえぬ
物見らの声に 栄えにかがやく
花婿なる主イエス 今こそ来ましぬ
人となりし 神のみ子よ ホサナ
聖なるうたげに 喜びあずからん

3)グロリアとたたえよ 御使いらと共に
竪琴かなでて 主の御座めぐりて
つどう聖徒たちと 歌声あわせて
いまだ知らぬ この喜び ハレルヤ
われらも歌もて ほめたたえよ アーメン

出典:日本キリスト教団出版局『讃美歌21』(インターネット配信について

2023/11/26

2023年11月26日3分メッセージ

賛美歌:讃美歌21・98「緑の牧場に」
聖書:エレミヤ23:1-6

主は仰せられる、見よ、わたしがダビデのために一つの正しい枝を起す日がくる。彼は王となって世を治め、栄えて、公平と正義を世に行う。(エレミヤ23章5節)

 今年も年の瀬が近づき、クリスマスや新年も目の前まで迫ってきました。教会ではクリスマス、すなわち聖書の民イスラエルの王であるダビデの子孫(エレミヤ33章17節)として生まれたイエス・キリストを祝うための準備が始まっています。
 ダビデは羊飼い(牧者)からイスラエルの王となりました(サムエル上16章)。そのため、ダビデの子孫であるイスラエルの歴代の王は羊飼い、民は羊の群れにたとえられています。
 しかし、羊の群れであるイスラエルの民は羊飼いであるイスラエルの王が所有している訳ではありません。真の所有者である主人は、主と呼ばれる神ご自身です(エレミヤ23章1節)。雇い人であるイスラエルの王たちが、主である神の命令に従わず、私腹を肥やすのみでイスラエルの民を養わなかったと、聖書の神はイスラエルの王たちをとがめているのです。
 預言者エレミヤの時代は、イスラエルの王国の滅亡の時代でした。エレミヤは神からの警告の言葉をイスラエルの王や民に語り告げましたが、彼らは耳を傾けませんでした。その結果、神からの預言の通り、王国は滅亡し(エレミヤ52章)、イスラエルの人々はバビロンに捕囚となり、他の者は世界中に散らされてしまいました(エレミヤ23章2節)。ただそれだけでは終わらず、同じ神の預言の通りにイスラエルは復興します。それは、イスラエル人の手にはよらず、不思議な神の計らいにより、七十年の後イスラエルの民は祖国に帰ることができました(エレミヤ29章10節)。
 イエス・キリストは、このような苦難の歴史をたどったイスラエルの民として生まれました。それは、まさに神の摂理によって立てられた牧者として(エレミヤ23章4節)、神の預言の通りに神の民を正しく導く救い主となるためでした(エレミヤ23章6節)。
 私たちも今年のクリスマスにおいて、人の手によるものではなく、神の手による究極で完璧な救いを得るため、ともにイエス・キリストを喜んで迎えましょう。

 ご一緒にお祈りいたしましょう。
 天の父なる神様。イエス・キリストは正義を行う牧者としてこの世に生まれました。困難な世の中にあっても、私たちは平和な世界を求めています。どうぞ私たちの生きるこの時代にも、「霊妙なる議士、大能の神、とこしえの父、平和の君」としてキリストをお遣わしください(イザヤ9章6節)。
 イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2023/11/25

2023年11月26日の聖書日課

(写真:ノジギク)

エレミヤ23:1-6
 23:1 主は言われる、「わが牧場の羊を滅ぼし散らす牧者はわざわいである」。
 23:2 それゆえイスラエルの神、主はわが民を養う牧者についてこう言われる、「あなたがたはわたしの群れを散らし、これを追いやって顧みなかった。見よ、わたしはあなたがたの悪しき行いによってあなたがたに報いると、主は言われる。
 23:3 わたしの群れの残った者を、追いやったすべての地から集め、再びこれをそのおりに帰らせよう。彼らは子を産んでその数が多くなる。
 23:4 わたしはこれを養う牧者をその上に立てる、彼らは再び恐れることなく、またおののくことなく、いなくなることもないと、主は言われる。
 23:5 主は仰せられる、見よ、わたしがダビデのために一つの正しい枝を起す日がくる。彼は王となって世を治め、栄えて、公平と正義を世に行う。
 23:6 その日ユダは救を得、イスラエルは安らかにおる。その名は『主はわれわれの正義』ととなえられる。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

讃美歌21・98「緑の牧場に」

1)緑の牧場に われらを伏さしめ
いこいの水際に われらを導くその声
(くりかえし)
神の人よ 神の人よ
豊かな御恵み あれや

2)人足絶えたる 荒野の原にも
まよえる羊を 子のごと尋ぬるその声
(くりかえし)

3)わが主の御影の 見え分かぬ時も
さやかに御旨を われらに諭すはその声
(くりかえし)

アーメン

出典:日本キリスト教団出版局『讃美歌21』(インターネット配信について

2023/11/24

2023年12月24日(日) クリスマス礼拝

作者:太田玲子(川崎中央福音教会


2023年・クリスマス礼拝
12月24日(日) 10:30~11:45

※どなたでも参加できます。ぜひお越しください。

2023/11/19

2023年11月19日3分メッセージ

賛美歌:讃美歌21・276「あかつきの空の美しい星よ」
聖書:ヨハネ6:26-35

「イエスは彼らに言われた、『わたしが命のパンである。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決してかわくことがない。』」(ヨハネ6章35節)

 イエス・キリストは、ガリラヤ湖のほとりで子供から提供された五つのパンと二匹のさかなで五千人ほどの人々を養う奇跡を起こされました(ヨハネ6章1~13節)。それを見た人々は、キリストを王様として担ぎ上げようとしました(ヨハネ6章14~15節)。しかし、そのことはキリストご自身が願ったこととは違った方向のものでした。
 キリストは人々にこう言われました。「あなたがたがわたしを尋ねてきているのは、しるしを見たためではなく、パンを食べて満腹したからである。」(ヨハネ6章26節)まさにキリストが言い当てられたように、人々はキリストをガリラヤに現われた新しい指導者とみなしたのでした。そして、彼らの生きる世界に新しい国家を打ち立てようと思ったのでした。キリストは後にこのように言われました。「わたしの国はこの世のものではない」(ヨハネ18章36節)。
 キリストはパンの奇跡によって、人々に「永遠の命」を与えようとしたのでした(ヨハネ6章27節)。人々はキリストの教えを悟ることをせず、ただパンで腹を満たすことを要求し続けました(ヨハネ6章31節)。その結果、多くの者が期待外れと言わんばかりに、キリストのもとを去りました(ヨハネ6章66節)。
 キリストは「朽ちる食物のためではなく、永遠の命に至る朽ちない食物のために働くがよい」と語られます(ヨハネ6章27節)。それは食べてしまうと終わるようなものではありません。キリストは語られます。「わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が、わきあがるであろう」(ヨハネ4章14節)。キリストが与えようとされるものを受け損ねることがありませように。

 ご一緒にお祈りいたしましょう。
 天の父なる神様。キリストは「わたしが命のパンである」と言われました。私たちもキリストが与えようとされるものを確かに受けることができますように。一時で終わるものではなく、永遠に続くもののために日々働くことができますように。
 イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2023/11/18

2023年11月19日の聖書日課

(写真:アキチョウジ)

ヨハネ6:26-35
 6:26 イエスは答えて言われた、「よくよくあなたがたに言っておく。あなたがたがわたしを尋ねてきているのは、しるしを見たためではなく、パンを食べて満腹したからである。
 6:27 朽ちる食物のためではなく、永遠の命に至る朽ちない食物のために働くがよい。これは人の子があなたがたに与えるものである。父なる神は、人の子にそれをゆだねられたのである」。
 6:28 そこで、彼らはイエスに言った、「神のわざを行うために、わたしたちは何をしたらよいでしょうか」。
 6:29 イエスは彼らに答えて言われた、「神がつかわされた者を信じることが、神のわざである」。
 6:30 彼らはイエスに言った、「わたしたちが見てあなたを信じるために、どんなしるしを行って下さいますか。どんなことをして下さいますか。
 6:31 わたしたちの先祖は荒野でマナを食べました。それは『天よりのパンを彼らに与えて食べさせた』と書いてあるとおりです」。
 6:32 そこでイエスは彼らに言われた、「よくよく言っておく。天からのパンをあなたがたに与えたのは、モーセではない。天からのまことのパンをあなたがたに与えるのは、わたしの父なのである。
 6:33 神のパンは、天から下ってきて、この世に命を与えるものである」。
 6:34 彼らはイエスに言った、「主よ、そのパンをいつもわたしたちに下さい」。
 6:35 イエスは彼らに言われた、「わたしが命のパンである。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決してかわくことがない。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

讃美歌21・276「あかつきの空の美しい星よ」

1)あかつきの空の 美しい星よ
まことの光 エッサイのきりかぶの
新しい枝よ ダビデのイエス
主よ 主よ とうとい恵みの光よ
わが王 わが主よ

2)マリアより生まれ 人の世に生きた
み神の子イエス みことばは甘く
みからだと血とは わたしを生かす
主よ 主よ とうといわれらの命よ
天のマナ わが糧(かて)

3)喜びにあふれ たて琴を奏で
ほめ歌うたえ 花婿主イエスの
限りない愛を 心に受けて
主よ 主よ あなたに感謝はつきない
愛するわが主よ

4)愛する主イエスは アルファまたオメガ
初めと終わり み恵みによりて
この身をも祝し み国へ招く
アーメン アーメン まもなく来られる
主イエスよ せつに待ち望む

アーメン

出典:日本キリスト教団出版局『讃美歌21』(インターネット配信について

2023/11/12

2023年11月12日3分メッセージ

賛美歌:讃美歌21・227「主のまことは」
聖書:ローマ4:7-16

「不法をゆるされ、罪をおおわれた人たちは、
さいわいである。
罪を主に認められない人は、さいわいである」。
(ローマ4章7~8節)

 聖書は神の約束の書です。神が私たち人類に賜った約束を信じることが信仰です。その信仰が、国も時代も違う人々を一つにします。それゆえに、旧約聖書のアブラハム(創世記12章のアブラム)は「信仰の父」と呼ばれています(ローマ4章12節)。
 聖書は「罪を主に認められない人は、さいわいである」と述べています。しかし、信仰の父アブラハムは必ずしも罪を犯さない人ではありませんでした。しかし、アブラハムの生涯から学ぶことができることがあります。それは、無罪であると認められるには、罪を一切犯さないことではなく、神から罪のゆるしを賜る以外にないことです。「アブラハムは神を信じた。それによって、彼は義と認められた」と聖書は証しています(ローマ4章3節)。
 アブラハムの全生涯は神の約束に導かれていました。神の約束を受けて、故郷を出発し(創世記12章1節)、約束の地に至って留まり(創世記12章7節)、子孫の繁栄を信じ(創世記13章16節)、人ではなく神からの財産を求め(創世記14章23節)、周りの人々とは信仰によって一線を画しました。
 アブラハムは神より「あなたの受ける報いは、はなはだ大きい」との約束を受けました(創世記15章1節)。そのような神の約束による導きに従い、アブラハムは神への信仰を貫き通しました。その結果、アブラハムは約束の子孫を得ることができ(創世記21章)、割礼を特徴とするイスラエル民族が誕生しましたが、それだけでなく彼の信仰にならう信仰の子孫をも数多く得ることになりました。
 「このようなわけで、すべては信仰によるのである。それは恵みによる」と聖書は証しています(ローマ4章16節)。神の約束に満ちた聖書の言葉を受け、信じて神の約束に与る生涯をともに歩みましょう。

 ご一緒にお祈りいたしましょう。
 天の父なる神様。聖書の神は私たちに数々の約束をお与えくださり、御言葉によって導いてくださいます。私たちはアブラハムのように御言葉を信じ、御言葉に従う生涯を歩みたいと思います。どうぞ御言葉の約束の通り、私たちを神の子と認めてくださり、天の祝福に与らせてください。
 イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2023/11/11

2023年11月12日の聖書日課

(写真:オモト)

ローマ4:7-16
 4:7「不法をゆるされ、罪をおおわれた人たちは、
さいわいである。
 4:8 罪を主に認められない人は、さいわいである」。
 4:9 さて、この幸福は、割礼の者だけが受けるのか。それとも、無割礼の者にも及ぶのか。わたしたちは言う、「アブラハムには、その信仰が義と認められた」のである。
 4:10 それでは、どういう場合にそう認められたのか。割礼を受けてからか、それとも受ける前か。割礼を受けてからではなく、無割礼の時であった。
 4:11 そして、アブラハムは割礼というしるしを受けたが、それは、無割礼のままで信仰によって受けた義の証印であって、彼が、無割礼のままで信じて義とされるに至るすべての人の父となり、
 4:12 かつ、割礼の者の父となるためなのである。割礼の者というのは、割礼を受けた者ばかりではなく、われらの父アブラハムが無割礼の時に持っていた信仰の足跡を踏む人々をもさすのである。
 4:13 なぜなら、世界を相続させるとの約束が、アブラハムとその子孫とに対してなされたのは、律法によるのではなく、信仰の義によるからである。
 4:14 もし、律法に立つ人々が相続人であるとすれば、信仰はむなしくなり、約束もまた無効になってしまう。
 4:15 いったい、律法は怒りを招くものであって、律法のないところには違反なるものはない。
 4:16 このようなわけで、すべては信仰によるのである。それは恵みによるのであって、すべての子孫に、すなわち、律法に立つ者だけにではなく、アブラハムの信仰に従う者にも、この約束が保証されるのである。アブラハムは、神の前で、わたしたちすべての者の父であって、

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

讃美歌21・227「主のまことは」

1)主のまことは 岩のごとし
逆巻く波にも ゆるぎもなし
(くりかえし)
とうときかな 天の神は
力にあふるる とこしえの主

2)主の恵みは 浜の真砂(まさご)
その数いかでか 数えうべき
(くりかえし)

3)弱きわれも 心つくし
わが主にすがらば 力をぞ得ん
(くりかえし)

4)主のまことと その恵みを
望みてわれらは 安らぎを得ん
(くりかえし)

アーメン

出典:日本キリスト教団出版局『讃美歌21』(インターネット配信について

2023/11/05

聖書リンク集

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2023年11月5日3分メッセージ

賛美歌:讃美歌21・530「主よ試み」
聖書:創世記3:14-19

わたしは恨みをおく、
おまえと女とのあいだに、
おまえのすえと女のすえとの間に。
彼はおまえのかしらを砕き、
おまえは彼のかかとを砕くであろう」。
(創世記3章15節)

 創世記の最初の部分は、神が天地を創造されたこと(創世記1章)、神が人を創造されたこと(創世記2章)、人が罪を犯して楽園から追い出されたこと(創世記3章)を語っています。
 神は、人の罪、具体的には食べるなと命じた禁令を破った罪をさばかれました(創世記3章11節)。しかし、神のさばきの内容を見ると、厳しさとともに憐れみをも感じることができます。
 神は、罪を犯した者たちを厳格にさばきました。それは、人に罪を二度と犯させないため(出エジプト20章20節)、また罪を犯すことは死に至る悪であることを教えるためでした(ローマ6章23節)。
 さらに神は「恨み」をおかれました。それは、人が罪を犯すことに対して無感覚であるべきでなく、あるいは他人を憎んで責任転嫁するのでもなく(創世記3章11~13節)、何よりも罪を憎んで離れるべきことを教えるためです(ヨブ42章6節)。
 最後に、神は人生の苦しみを増し加えられました(創世記3章16節)。人のすべての営みには喜びと苦しみがあります。それとともに、人の営みには始まりがあり終わりがあるものなので、最後に人はちりに帰ることになります(創世記3章19節)。
 私たちは人として生まれ、人として死ぬことに一喜一憂する存在です。しかし、神は私たち人間がか弱き存在であることをご存じです。神の憐れみに身を任せましょう。「神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。」(ローマ8章28節)

 ご一緒にお祈りいたしましょう。
 天の父なる神様。私たちは日々の人生の歩みの中で、悪だと知っていながらも様々な罪を犯してしまう存在です。そのような私たちの弱さを知っておられる神に身を任せます。正しい人生を歩めるように、私たちと共に働いてくださいますように。
 イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2023/11/04

2023年11月5日の聖書日課

(写真:ウィンターコスモス)

創世記3:14-19
 3:14 主なる神はへびに言われた、
「おまえは、この事を、したので、
すべての家畜、野のすべての獣のうち、
最ものろわれる。
おまえは腹で、這いあるき、
一生、ちりを食べるであろう。
 3:15 わたしは恨みをおく、
おまえと女とのあいだに、
おまえのすえと女のすえとの間に。
彼はおまえのかしらを砕き、
おまえは彼のかかとを砕くであろう」。
 3:16 つぎに女に言われた、
「わたしはあなたの産みの苦しみを大いに増す。
あなたは苦しんで子を産む。
それでもなお、あなたは夫を慕い、
彼はあなたを治めるであろう」。
 3:17 更に人に言われた、「あなたが妻の言葉を聞いて、食べるなと、わたしが命じた木から取って食べたので、
地はあなたのためにのろわれ、
あなたは一生、苦しんで地から食物を取る。
 3:18 地はあなたのために、いばらとあざみとを生じ、
あなたは野の草を食べるであろう。
 3:19 あなたは顔に汗してパンを食べ、ついに土に帰る、
あなたは土から取られたのだから。
あなたは、ちりだから、ちりに帰る」。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

讃美歌21・530「主よ試み」

1)主よ 試み 受くる折り
祈りたまえ わがために
こころ恐れ 迷うときも
愛の御顔 向けたまえ

2)世の宝は 目をうばい
世の誉れが 誘うとき
十字架の主の み苦しみを
示したまえ わが胸に

3)わずらわしき 世のわざに
やるせもなき 悲しみに
なお潜める いつくしみを
見させたまえ 過(あやま)たず

4)塵より成る このわが身
塵にかえる そのときも
主よ 御顔を あおぎ見つつ
行かせたまえ みもとへと

アーメン

出典:日本キリスト教団出版局『讃美歌21』(インターネット配信について

2023/10/29

2023年10月29日3分メッセージ

賛美歌:讃美歌21・361「この世はみな」
聖書:詩篇104:19-24

主よ、あなたのみわざはいかに多いことであろう。
あなたはこれらをみな知恵をもって造られた。
地はあなたの造られたもので満ちている。
(詩篇104篇24節)

 日常生活の忙しさの中から、ふと自然に目を移すと、何が見えてくるでしょうか。そこには人間が手を加える以上に整った自然の美しさが見えてくるのではないでしょうか。
 現代日本の日常生活では、なかなか人間の手が加えられていない、ありのままの自然の姿を見ることは難しいかもしれません。しかし、道端の雑草の群れの中にも、人間が意図していなかったような小さな、かつ複雑な自然の調和を見出すこともできます。人間の手によってかき乱されたとしても、そこにもかけがえのない命の営みが息づいています(詩篇104篇14節)。
 目を高く、遠くに移してみると、人間が行きつこうと願ってもなかなか実現できない、天体の輝きが広がっています(詩篇104篇19節)。しかも、それらの星々の輝きが、私たちの住むこの地上の生活にも大きく影響を及ぼしています。このような自然の営みを見上げる時、私たちは多くのことを悟らされるのではないでしょうか。
 それは、この世界は人間によって支配されているのではないこと。人間が支配しようとしても、人間の支配に関わらず営まれる命の世界があること。そして私たち人類の命は、大きな世界の中で支配されており、また育まれていること。この世界は無秩序ではなく、大きな力によって支える秩序が存在すること、などです。
 聖書は、私たちが生きる世界を広く見渡し、そこに神の存在と神の知恵による営みのわざを見出しています。それが私たちにとって、ごく自然な物の見方ではないでしょうか。そのような神の大きな力に支えられて私たちの命が育まれています。聖書の神が計られることは悪ではなく、善です。神が私たちを正しく導いておられることを喜びとし、ともに神をほめたたえましょう(詩篇104篇33~35節)。

 ご一緒にお祈りいたしましょう。
 天の父なる神様。私たちが住む人間の社会は混乱に満ちています。しかし、私たちの世界は無秩序ではなく、秩序によって支配され、その中で私たちの命が存在しています。どうぞ秩序を乱そうとする私たちの罪をお赦しくださり、神が定めた秩序の中で憩うことができますように。
 イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2023/10/28

2023年10月29日の聖書日課

(写真:セイタカアワダチソウ)

詩篇104:19-24
 104:19 あなたは月を造って季節を定められた。
日はその入る時を知っている。
 104:20 あなたは暗やみを造って夜とされた。
その時、林の獣は皆忍び出る。
 104:21 若きししはほえてえさを求め、神に食物を求める。
 104:22 日が出ると退いて、その穴に寝る。
 104:23 人は出てわざにつき、その勤労は夕べに及ぶ。
 104:24 主よ、あなたのみわざはいかに多いことであろう。
あなたはこれらをみな知恵をもって造られた。
地はあなたの造られたもので満ちている。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

讃美歌21・361「この世はみな」

1)この世はみな 神の世界
天地(あめつち)すべてが 歌い交わす
岩も木々も 空も海も
み神のみわざを ほめたたえる

2)この世はみな 神の世界
鳥の音(ね)花の香(か) 主をたたえる
朝日 夕日 空に映えて
み神のみわざを 語り告げる

3)この世はみな 神の世界
悪魔の力が 世に満ちても
わが心に 迷いはなし
主こそがこの世を 治められる

アーメン

出典:日本キリスト教団出版局『讃美歌21』(インターネット配信について

2023/10/22

2023年10月22日3分メッセージ

賛美歌:讃美歌21・463「わが行くみち」
聖書:士師記7:1-8

主はギデオンに言われた、「わたしは水をなめた三百人の者をもって、あなたがたを救い、ミデアンびとをあなたの手にわたそう。(士師記7章7節)

 時はイスラエル王国成立前の時代、イスラエル民族をさばきづかさ(士師)と呼ばれる指導者がまとめていた時代です(士師記2章16節)。さばきづかさのギデオンが、東方の異民族であるミデヤン人のイスラエル侵入(士師記6章33節)に対抗して、イスラエル人を戦いのため招集しました。
 ギデオンは、聖書の神から救いの証拠を求めましたが(士師記6章36~40節)、それよりも三万人を超えるイスラエル人の群れを見て安心したかもしれません。しかし、神はギデオンの心とイスラエルの人々をふるいにかけました。イスラエル人は戦いを恐れたために、また戦いの心備えがないために家に帰され、残ったのはたったの三百人でした(士師記7章2~6節)。
 ギデオンは三万人を超える戦士を自分の目で見て安心しましたが(士師記21章25節)、そのほとんどは戦いにふさわしくない者であり、実に頼りないものを見て安心していたことになります。しかし、神は「三百人をもって救う」と約束されました。これが神の方法であり、神が手渡そうとされる救いなのでした。「人の心には多くの計画がある、しかしただ主の、み旨だけが堅く立つ。」(箴言19章21節)
 この出来事の後、ギデオンは数多くの戦いに勝利しました。ギデオンは元々小心な者でしたが、神はこのギデオンを召し出して、人手によらない神の御手による救いをイスラエル人に与えられたのでした。聖書は私たちにも語りかけます。「大勇士よ、主はあなたと共におられます」(士師記6章12節)。

 ご一緒にお祈りいたしましょう。
 天の父なる神様。私たちは日々、様々な意味での戦いに臨まなければなりません。不安にかられることも多くあります。しかし、恐れるべきでないものを見て恐れず、真に恐れるべきものを見て恐れる、確かな目を持たせてください。「救いは神を恐れる者に近い」という御言葉の通りになりますように(詩篇86篇9節)。
 イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2023/10/21

2023年10月22日の聖書日課

(写真:イイギリ)

士師記7:1-8
 7:1 さてエルバアルと呼ばれるギデオンおよび彼と共にいたすべての民は朝早く起き、ハロデの泉のほとりに陣を取った。ミデアンびとの陣は彼らの北の方にあり、モレの丘に沿って谷の中にあった。
 7:2 主はギデオンに言われた、「あなたと共におる民はあまりに多い。ゆえにわたしは彼らの手にミデアンびとをわたさない。おそらくイスラエルはわたしに向かってみずから誇り、『わたしは自身の手で自分を救ったのだ』と言うであろう。
 7:3 それゆえ、民の耳に触れ示して、『だれでも恐れおののく者は帰れ』と言いなさい」。こうしてギデオンは彼らを試みたので、民のうち帰った者は二万二千人あり、残った者は一万人であった。
 7:4 主はまたギデオンに言われた、「民はまだ多い。彼らを導いて水ぎわに下りなさい。わたしはそこで、あなたのために彼らを試みよう。わたしがあなたに告げて『この人はあなたと共に行くべきだ』と言う者は、あなたと共に行くべきである。またわたしがあなたに告げて『この人はあなたと共に行ってはならない』と言う者は、だれも行ってはならない」。
 7:5 そこでギデオンが民を導いて水ぎわに下ると、主は彼に言われた、「すべて犬のなめるように舌をもって水をなめる者はそれを別にしておきなさい。またすべてひざを折り、かがんで水を飲む者もそうしなさい」。
 7:6 そして手を口にあてて水をなめた者の数は三百人であった。残りの民はみなひざを折り、かがんで水を飲んだ。
 7:7 主はギデオンに言われた、「わたしは水をなめた三百人の者をもって、あなたがたを救い、ミデアンびとをあなたの手にわたそう。残りの民はおのおのその家に帰らせなさい」。
 7:8 そこで彼はかの三百人を留めおき、残りのイスラエルびとの手から、つぼとラッパを取り、民をおのおのその天幕に帰らせた。時にミデアンびとの陣は下の谷の中にあった。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

讃美歌21・463「わが行くみち」

1)わが行くみち いついかに
なるべきかは つゆ知らねど
主はみこころ なしたまわん
(くりかえし)
そなえたもう 主のみちを
ふみて行かん ひとすじに

2)わが心よ 強くあれ
ひとは変わり 世はうつれど
主はみこころ なしたまわん
(くりかえし)

3)あらうみも うちひらき
すなはらにも マナをふらせ
主はみこころ なしたまわん
(くりかえし)

アーメン

出典:日本キリスト教団出版局『讃美歌21』(インターネット配信について

2023/10/15

2023年10月15日3分メッセージ

賛美歌:讃美歌21・577「聞けよ主の民」
聖書:ルカ17:20-30

「神の国は、見られるかたちで来るものではない。また『見よ、ここにある』『あそこにある』などとも言えない。神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ」。(ルカ17章20-21節)

 イエス・キリストは「神の国」について繰り返し教えています。神の国は、悪を追い出す神の力を伴うものだ、とも教えられました(ルカ11章19節)。
 そのキリストの教えに対して挑むように、パリサイ人が「神の国はいつ来るのか」と尋ねました(ルカ17章20節)。この質問は何もおかしくはないように思えるかもしれません。しかし、キリストはその質問の根本が間違っていることを指摘します。すなわち、神の国とはこの地上の国とは異なっており(ヨハネ18章36節)、人間ではなく神が支配する国であり、人間が旅をして訪れたり、軍隊を派遣して支配できるようなものではない、と教えられました。
 しかし、キリストは「神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ」と言われました。この言葉は、神の国が人の心の中だけに存在するということではなく、人々の間に、人間生活の身近なところに神の国が来ている、ということを意味します。それゆえ、キリストは度々「神の国はあなたがたに近づいた」(ルカ10章9節)と語られました。
 キリストは、とある律法学者が適切な答をしたのに驚き、「あなたは神の国から遠くない」と語られました(マルコ12章28~34節)。その言葉を聞いて満足するべきではありません。キリストは、神の国の近くにではなく、神の国の内に入るように私たちを招いているからです。「あなたがた貧しい人たちは、さいわいだ。神の国はあなたがたのものである。」とキリストは語られました(ルカ6章20節)。
 キリストは神の国の祝福に与らせたいと、私たちを招いてこのように語られています。「だれでもわたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしはその中にはいって彼と食を共にし、彼もまたわたしと食を共にするであろう。」(黙示録3章20節)

 ご一緒にお祈りいたしましょう。
 天の父なる神様。私たちはキリストの多くの御言葉から、神の国に入ることの幸いを教えられています。私たちも神の国の祝福に与ることができますように。神の国の近くではなく、神の国の内におらせてください。
 イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2023/10/14

2023年10月15日の聖書日課

(写真:イワレンゲ)

ルカ17:20-30
 17:20 神の国はいつ来るのかと、パリサイ人が尋ねたので、イエスは答えて言われた、「神の国は、見られるかたちで来るものではない。
 17:21 また『見よ、ここにある』『あそこにある』などとも言えない。神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ」。
 17:22 それから弟子たちに言われた、「あなたがたは、人の子の日を一日でも見たいと願っても見ることができない時が来るであろう。
 17:23 人々はあなたがたに、『見よ、あそこに』『見よ、ここに』と言うだろう。しかし、そちらへ行くな、彼らのあとを追うな。
 17:24 いなずまが天の端からひかり出て天の端へとひらめき渡るように、人の子もその日には同じようであるだろう。
 17:25 しかし、彼はまず多くの苦しみを受け、またこの時代の人々に捨てられねばならない。
 17:26 そして、ノアの時にあったように、人の子の時にも同様なことが起るであろう。
 17:27 ノアが箱舟にはいる日まで、人々は食い、飲み、めとり、とつぎなどしていたが、そこへ洪水が襲ってきて、彼らをことごとく滅ぼした。
 17:28 ロトの時にも同じようなことが起った。人々は食い、飲み、買い、売り、植え、建てなどしていたが、
 17:29 ロトがソドムから出て行った日に、天から火と硫黄とが降ってきて、彼らをことごとく滅ぼした。
 17:30 人の子が現れる日も、ちょうどそれと同様であろう。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

讃美歌21・577「聞けよ主の民」

1)聞けよ主の民 ヨベルの歌が
高潮のように 満ちてくるのを

2)歌えハレルヤ 全能の神が
この世を治める その日は近い

3)仰げ主の旗 勝利のしるし
地の上すべては 主の国となる

4)天地くずれて 消え去る時も
キリストの国は とわに栄える

アーメン

出典:日本キリスト教団出版局『讃美歌21』(インターネット配信について

2023/10/08

2023年10月8日3分メッセージ

賛美歌:讃美歌21・560「主イエスにおいては」
聖書:ピレモン4-10節

むしろ、愛のゆえにお願いする。すでに老年になり、今またキリスト・イエスの囚人となっているこのパウロが、(ピレモン9節)

 「ピレモンへの手紙」は、聖書の中でも特に短い書物であり、わずか一章しかありません。しかし、短い文章の中に多くの内容が含まれています。
 この手紙は、使徒パウロからピレモンに宛てたものです(1節)。ピレモンは、パウロのような世界を旅する宣教師ではありませんでしたが、自らの家を教会として開放し(2節)、様々な形でパウロたちの福音宣教に協力する「同労者」でした。
 この手紙が書かれた目的は「オネシモ」(10節)に関わることでした。オネシモという名前は「有益な者」という意味があります(11節)。まるで物を扱うような言い方ですが、実際のところオネシモは主人ピレモンの家から逃げ出した奴隷でした(15~19節)。
 聖書は、戦争や奴隷制などの社会の矛盾についても言及しています。しかし、それらを無条件に肯定も否定もしていません。むしろその当時の現実の社会に生きる人々に向かい、理想の社会を実現するための指針を示しています。実際、パウロたちの時代に多くの奴隷たちがクリスチャンとなっていました(コリント第一12章13節)。
 パウロは、奴隷は主人に従うべきであると教えています(テモテ第一6章1節)。一方でピレモンへの手紙では、オネシモを奴隷の身分から解放することをお願いしています。しかし、ピレモンの主人としての権利を無視することをせず、その主人の権利によって奴隷解放することを勧めるのがこの手紙の目的です(ピレモン14節)。その結末がどうなったかはわかりませんが、私たちの手元にこの手紙が残されていることが結末を語っているかもしれません。
 「愛は多くの罪をおおう」と教えられています(ペテロ第一4章8節)。人間の世界から罪を取り除き、本当の人間関係を結ぶことのできる神の愛に学んでまいりましょう(コロサイ3章14節)。

 ご一緒にお祈りいたしましょう。
 天の父なる神様。私たちは、様々な矛盾に満ちたこの世界に生きています。この世界に生きる私たちの切なる祈りを聞き届けてください。私たちに天からの愛と知恵を注いで、私たちが希望をもってこの世界で生きることができますように。
 イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2023/10/07

2023年10月8日の聖書日課

(写真:コケモモ)

ピレモン4-10節
 :4 わたしは、祈の時にあなたをおぼえて、いつもわたしの神に感謝している。
 :5 それは、主イエスに対し、また、すべての聖徒に対するあなたの愛と信仰とについて、聞いているからである。
 :6 どうか、あなたの信仰の交わりが強められて、わたしたちの間でキリストのためになされているすべての良いことが、知られて来るようになってほしい。
 :7兄弟よ。わたしは、あなたの愛によって多くの喜びと慰めとを与えられた。聖徒たちの心が、あなたによって力づけられたからである。
 :8 こういうわけで、わたしは、キリストにあってあなたのなすべき事を、きわめて率直に指示してもよいと思うが、
 :9 むしろ、愛のゆえにお願いする。すでに老年になり、今またキリスト・イエスの囚人となっているこのパウロが、
 :10 捕われの身で産んだわたしの子供オネシモについて、あなたにお願いする。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

讃美歌21・560「主イエスにおいては」

1)主イエスにおいては 世界の民
東と西の へだてはない

2)主イエスの救いは 力強く
南と北とを 結び合わす

3)人を差別せず 心ひらき
等しくみ神の み前に立とう

4)主イエスにおいては 世界の民
心を通わせ 一つとなる

アーメン

出典:日本キリスト教団出版局『讃美歌21』(インターネット配信について

2023/10/01

2023年10月1日3分メッセージ

賛美:讃美歌21・63「天にいます父よ」
聖書:ルカ16:19-31

もし彼らがモーセと預言者とに耳を傾けないなら、死人の中からよみがえってくる者があっても、彼らはその勧めを聞き入れはしないであろう(ルカ16章31節)

 イエス・キリストは金銭と結婚の問題(ルカ16章13~18節)について、一つのたとえ話をしました。この二つの問題は、昔も今も変わらず私たち人類に悩みをもたらすものです。
 この二つの問題の要点は同じであり、それは契約を正しく守るということです。契約が守られているならば、金銭も結婚も問題になることはありません。しかし、私たちはしばしば自らの「欲」(ルカ16章14節)に打ち負かされてしまい、欲に引きずられて契約を破ってしまいます。多くの問題はこの契約を破るということから生じます。
 キリストは「金持と貧乏人ラザロのたとえ話」をされました。二人は生前、全く関わりなくそれぞれ生きてきたように思えます。しかし、実際にはラザロは金持の玄関にすわっており(ルカ16章20節)、死後の苦しみの中で金持はラザロを遣わしてくれと願っています(ルカ16章24節)。つまり、金持はラザロのことを知っていながら、彼に何も恵んでやることはなかったのです。
 人の欲望というものは、その人を活性化させるのではなく、むしろ心を無感覚にさせるものです。「欲がはらんで罪を生み、罪が熟して死を生み出す」(ヤコブ1章15節)と言われています。しかし、神は私たちを「罪のもたらす死」から救い出すため、御言葉を与えてくださいました。真の命に至るため、聞く耳をもって御言葉を聞きましょう(ルカ14章35節)。
 キリストの御言葉に聞き従いましょう。「天地は滅びるであろう。しかしわたしの言葉は決して滅びることがない。」(ルカ21章33節)
 ご一緒にお祈りいたしましょう。
 天の父なる神様。私たちは日々、自分の望むままに行動し、自らの欲望を制することを忘れてしまいがちです。しかし、欲に惑わされて真実から目を背けることになりませんように。あなたの御言葉は真理であります(ヨハネ17章17節)。どうぞ御言葉をもって私たちを教え、正しい道へと導いてください。
 イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2023年10月1日の聖書日課

(写真:ミズアオイ)

ルカ16:19-31
 16:19 ある金持がいた。彼は紫の衣や細布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮していた。
 16:20 ところが、ラザロという貧乏人が全身でき物でおおわれて、この金持の玄関の前にすわり、
 16:21 その食卓から落ちるもので飢えをしのごうと望んでいた。その上、犬がきて彼のでき物をなめていた。
 16:22 この貧乏人がついに死に、御使たちに連れられてアブラハムのふところに送られた。金持も死んで葬られた。
 16:23 そして黄泉にいて苦しみながら、目をあげると、アブラハムとそのふところにいるラザロとが、はるかに見えた。
 16:24 そこで声をあげて言った、『父、アブラハムよ、わたしをあわれんでください。ラザロをおつかわしになって、その指先を水でぬらし、わたしの舌を冷やさせてください。わたしはこの火炎の中で苦しみもだえています』。
 16:25 アブラハムが言った、『子よ、思い出すがよい。あなたは生前よいものを受け、ラザロの方は悪いものを受けた。しかし今ここでは、彼は慰められ、あなたは苦しみもだえている。
 16:26 そればかりか、わたしたちとあなたがたとの間には大きな淵がおいてあって、こちらからあなたがたの方へ渡ろうと思ってもできないし、そちらからわたしたちの方へ越えて来ることもできない』。
 16:27 そこで金持が言った、『父よ、ではお願いします。わたしの父の家へラザロをつかわしてください。
 16:28 わたしに五人の兄弟がいますので、こんな苦しい所へ来ることがないように、彼らに警告していただきたいのです』。
 16:29 アブラハムは言った、『彼らにはモーセと預言者とがある。それに聞くがよかろう』。
 16:30 金持が言った、『いえいえ、父アブラハムよ、もし死人の中からだれかが兄弟たちのところへ行ってくれましたら、彼らは悔い改めるでしょう』。
 16:31 アブラハムは言った、『もし彼らがモーセと預言者とに耳を傾けないなら、死人の中からよみがえってくる者があっても、彼らはその勧めを聞き入れはしないであろう』」。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2023/09/30

讃美歌21・63「天にいます父よ」

1)天にいます父よ 絶えせずわれらを
導きたまいて われらの砕けし
こころの祈りを 受け入れたまえや

2)とうとき主のみ名を あがめさせたまえ
みことばを与え われらを清めて
曲がれる道より 離れさせたまえ

3)み国をこの世に きたらせたまえや
聖霊くだして いのちとちからを
われらに満たしめ 宮となしたまえ

4)天のごとく地にも み旨なしたまえ
みちから頼みて 悩みに勝ちつつ
この世の旅路を 進ましめたまえ

5)日ごとの糧(かて)もて われらを養い
病と飢えとを 遠ざけたまえや
安けくみわざに 励ましめたまえ

6)仇(あだ)なす者をも われらが赦せば
われらの罪とが 赦させたまえや
まことの愛もて 世の人に仕えん

7)悪しき試みに われらを会わせず
寄せくる悪魔の 誘いに勝たしめ
聖霊のちからを 豊かに賜えや

8)すべての悪より われらを救いて
とこしえの滅び 逃れさせたまえ
主の手にすべてを 委ねて安らわん

9)アーメン かくあれかし みことばによりて
われら強められ 御名をあがめつつ
疑うことなく 切に祈る アーメン

出典:日本キリスト教団出版局『讃美歌21』(インターネット配信について

2023/09/24

主の祈り(8)国と力と栄えとは

国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。
アーメン。(マタイ6章13節)

 「国と力と栄え」は、古今問わず多くの人々が手に入れようと追い求めているものです。しかし「主の祈り」は、それらのものを「天にいます私たちの父」(マタイ6章9節)である神のものである、という信仰を告白して、祈りを閉じています。
 聖書の神はこのように宣言しています。「わたしはアルファであり、オメガである。最初であり、最後である。初めであり、終わりである。」(黙示録22章13節)あらゆる人が追い求めているもの、また必要としているもののすべては、天地創造の神によって備えられ、完成されます。この神が私たちの祈りを聞き届けてくださる、という確信して祈ることができます。
 「絶えず祈りなさい」(テサロニケ第一5章17節)と勧められています。それは、「あなたがたのうちに良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださる」(ピリピ1章6節)からです。「あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ、主はそれをなしとげ」(詩篇37篇5節、口語訳)てくださるとも言われています。
 ですから、「主の祈り」を絶えず祈りましょう。今まで祈ったすべての言葉を、私たちの父なる神様は聞き届けてくださいます。「それで私たちは、この方によって『アーメン。』と言い、神に栄光を帰するのです。」(コリント第二1章20節)

(日本聖書刊行会『新約聖書 新改訳』1965年版)
※詩篇37篇5節のみ、日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版

2023年9月24日の聖書日課

(写真:ワレモコウ)

黙示録12:7-12
 12:7 さて、天では戦いが起った。ミカエルとその御使たちとが、龍と戦ったのである。龍もその使たちも応戦したが、
 12:8 勝てなかった。そして、もはや天には彼らのおる所がなくなった。
 12:9 この巨大な龍、すなわち、悪魔とか、サタンとか呼ばれ、全世界を惑わす年を経たへびは、地に投げ落され、その使たちも、もろともに投げ落された。
 12:10 その時わたしは、大きな声が天でこう言うのを聞いた、
「今や、われらの神の救と力と国と、
神のキリストの権威とは、現れた。
われらの兄弟らを訴える者、
夜昼われらの神のみまえで彼らを訴える者は、
投げ落された。
 12:11 兄弟たちは、
小羊の血と彼らのあかしの言葉とによって、
彼にうち勝ち、
死に至るまでもそのいのちを惜しまなかった。
 12:12 それゆえに、天とその中に住む者たちよ、
大いに喜べ。
しかし、地と海よ、
おまえたちはわざわいである。
悪魔が、自分の時が短いのを知り、
激しい怒りをもって、
おまえたちのところに下ってきたからである」。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2023/09/17

主の祈り(7)悪より救い出したまえ

わたしたちを試みに会わせないで、
悪しき者からお救いください。
(マタイ6章13節)

 キリストは荒野での断食の最中、悪魔に試みられました(マタイ4章1~11節)。その体験を経て、主の祈りでは「試みや悪しき者からの救い」を祈り求めよと、私たちに教えています。ここでの「試み」とは、私たちを悪事へといざなう誘惑を意味します。そのような誘惑への対処は、誘惑との関係を一切断って遠ざかることです(テサロニケ第一5章22節)。
 しかし、ある種の試みは決して避けることができません。人は訓練ともなるべき試みを通して成長することができます(ヘブル12章11節)。また聖書はこのような約束の言葉も私たちに与えています。「あなたがたの会った試錬で、世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。」(コリント第一10章13節)
 私たちが直面する「試み」にどのような対処すべきか。そのためには、その試みを見極めることが必要です。そのためにも、私たちは耐えられない試みに会うことなく、対処しなければならない試みを受け入れ、正しく対処できるために、主の祈りを今日も唱えましょう。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2023年9月17日の聖書日課

(写真:カリガネソウ)

詩篇91:1-8
 91:1 いと高き者のもとにある
隠れ場に住む人、全能者の陰にやどる人は
 91:2 主に言うであろう、「わが避け所、わが城、
わが信頼しまつるわが神」と。
 91:3 主はあなたをかりゅうどのわなと、
恐ろしい疫病から助け出されるからである。
 91:4 主はその羽をもって、あなたをおおわれる。
あなたはその翼の下に避け所を得るであろう。
そのまことは大盾、また小盾である。
 91:5 あなたは夜の恐ろしい物をも、
昼に飛んでくる矢をも恐れることはない。
 91:6 また暗やみに歩きまわる疫病をも、
真昼に荒す滅びをも恐れることはない。
 91:7 たとい千人はあなたのかたわらに倒れ、
万人はあなたの右に倒れても、
その災はあなたに近づくことはない。
 91:8 あなたはただ、その目をもって見、
悪しき者の報いを見るだけである。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2023/09/10

主の祈り(6)罪をゆるしたまえ

わたしたちに負債のある者をゆるしましたように、
わたしたちの負債をもおゆるしください。
(マタイ6章12節)

 ルカによる福音書の主の祈りでは、「わたしたちに負債のある者を皆ゆるしますから、わたしたちの罪をもおゆるしください」(ルカ11章4節)と言われています。聖書の教える「罪」は、負債や負い目とも言われる、幅広い意味を持つ言葉です。
 罪をゆるすことは、負債を免除してもらうことにたとえられます(マタイ18章23~35節)。しかし、負債免除の恩義を忘れて、そのゆるしの心を否定するような事、すなわち他人の罪をゆるさない者は、ゆるさないという罪を問われることになります。ですから、聖書は「ゆるしてやれ。そうすれば、自分もゆるされるであろう」(ルカ6章37節)と教えています。
 罪をゆるすことは自らの罪がゆるされるための条件ではありません。なぜなら、最初に神のゆるしがあるからです。イエス・キリストは私たちの罪を負って十字架につけられました(ペテロ第一2章22~24節)。私たちの罪がゆるされたからこそ、私たちも他人の罪をゆるすことができます。
 「主もあなたがたをゆるして下さったのだから、そのように、あなたがたもゆるし合いなさい。」(コロサイ3章13節)

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2023年9月10日の聖書日課

(写真:ツリフネソウ)

ルカ6:35-38
 6:35 しかし、あなたがたは、敵を愛し、人によくしてやり、また何も当てにしないで貸してやれ。そうすれば受ける報いは大きく、あなたがたはいと高き者の子となるであろう。いと高き者は、恩を知らぬ者にも悪人にも、なさけ深いからである。
 6:36 あなたがたの父なる神が慈悲深いように、あなたがたも慈悲深い者となれ。
 6:37 人をさばくな。そうすれば、自分もさばかれることがないであろう。また人を罪に定めるな。そうすれば、自分も罪に定められることがないであろう。ゆるしてやれ。そうすれば、自分もゆるされるであろう。
 6:38 与えよ。そうすれば、自分にも与えられるであろう。人々はおし入れ、ゆすり入れ、あふれ出るまでに量をよくして、あなたがたのふところに入れてくれるであろう。あなたがたの量るその量りで、自分にも量りかえされるであろうから」。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2023/09/03

主の祈り(5)日用の糧を与えたまえ

わたしたちの日ごとの食物を、きょうもお与えください。(マタイ6章11節)

 主の祈りで天からの祝福を求めた後、地上に住む私たちの願いとして「日用の糧」を求めるように教えられています。私たちは毎日働き、生活の糧を得て、それを食べて生きています。「日用の糧」のためには当然、そのための働きも必要となります。神は人に対して、人として生きていくために必要なすべてを備えられ、日々の働きの場と、働く力、助けをも与えてくださいます(創世記2章)。
 また「日ごとの食物」のための祈りを、「きょうも」毎日祈るべきことを教えています。私たちは不足することが無いためだけでなく、持て余してしまうことの無いようにも祈るべきです(箴言30章8~9節)。約束の地を目指したイスラエルの民は、毎日天のパンを与えられ、毎日働いてパンを集めるように教えられ、訓練されました(出エジプト16章18節)。
 私たちは日用の糧を求めつつ、日用の糧のために煩わされないように生きるよう導かれています。聖書の神は私たちのすべての必要をご存じであり、私たちに日ごとの糧と働きを十分に備えてくださいます。「だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。」(マタイ6章34節)

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2023年9月3日の聖書日課

(写真:ツルボ)

箴言30:4-9
 30:4 天にのぼったり、下ったりしたのはだれか、
風をこぶしの中に集めたのはだれか、
水を着物に包んだのはだれか、
地のすべての限界を定めた者はだれか、
その名は何か、その子の名は何か、
あなたは確かにそれを知っている。
 30:5 神の言葉はみな真実である、
神は彼に寄り頼む者の盾である。
 30:6 その言葉に付け加えてはならない、
彼があなたを責め、あなたを偽り者とされないためだ。
 30:7 わたしは二つのことをあなたに求めます、
わたしの死なないうちに、これをかなえてください。
 30:8 うそ、偽りをわたしから遠ざけ、
貧しくもなく、また富みもせず、
ただなくてならぬ食物でわたしを養ってください。
 30:9 飽き足りて、あなたを知らないといい、
「主とはだれか」と言うことのないため、
また貧しくて盗みをし、
わたしの神の名を汚すことのないためです。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2023/08/27

主の祈り(4)みこころをなさせたまえ

みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。(マタイ6章10節)

 聖書の神の「御名」、「御国」、「みこころ」を求める祈りを続けてきました。「天にまします」神が、地に住む私たちに近づいて来るようです。まさにそのことを求めて、「天になるごとく、地にもなさせたまえ」と祈ります。
 主の祈りが教えているのは、「まず神の国と神の義とを求めなさい」(マタイ6章33節)ということです。それは、地に属する様々な物事は、天国の後に「すべて添えて与えられる」と約束されているからです。
 このように、「まだ見ていない事実を確認すること」が信仰です(ヘブル11章1節)。聖書は、目で見てわかること、自然の成り行きについては、目には見えない「神の国」の後に来るものだと教えています。
 「目に見える望みは望みではない。なぜなら、現に見ている事を、どうして、なお望む人があろうか。」(ローマ8章24節)私たちが現に見て、心に思い描く世界は、人の限界を超えることはできません。しかし、神の「みこころ」を求めるなら、私たちの思いを超えた世界が現れてきます。私たちの日常にも神のみこころを求めてまいりましょう。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2023年8月27日の聖書日課

(写真:トロロアオイ)

ヘブル11:1-6
 11:1 さて、信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。
 11:2 昔の人たちは、この信仰のゆえに賞賛された。
 11:3 信仰によって、わたしたちは、この世界が神の言葉で造られたのであり、したがって、見えるものは現れているものから出てきたのでないことを、悟るのである。
 11:4 信仰によって、アベルはカインよりもまさったいけにえを神にささげ、信仰によって義なる者と認められた。神が、彼の供え物をよしとされたからである。彼は死んだが、信仰によって今もなお語っている。
 11:5 信仰によって、エノクは死を見ないように天に移された。神がお移しになったので、彼は見えなくなった。彼が移される前に、神に喜ばれた者と、あかしされていたからである。
 11:6 信仰がなくては、神に喜ばれることはできない。なぜなら、神に来る者は、神のいますことと、ご自身を求める者に報いて下さることとを、必ず信じるはずだからである。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2023/08/20

主の祈り(3)御国を来らせたまえ

御国が来ますように。(マタイ6章10節)

 イエス・キリストはしばしば「神の国(天国)」について教えられました(マタイ13章31節)。宣教開始の第一声も「悔い改めよ、天国は近づいた」でした(マタイ4章17節)。いわば神の国はキリストのメインテーマでした。
 主の祈りの願い事は、「御名をあがめさせたまえ」から始まっている通り、神についての願い事が前半部分に置かれています。このことは、「まず神の国と神の義とを求めなさい」(マタイ6章33節)と言われたキリストの教えにも共通することです。他の願いは神の国に加えて与えられると約束されています。
 神の国はこの世の国とは異なります(ヨハネ18章36節)。またこの世の国々の栄華と比較できるものではありません(マタイ4章8節)。いやむしろ、この世の富と比較にならないほど高価なものです(マタイ16章26節)。キリストは、この神の国を求めるように教えているのです。
 神の国を支配する者は神ご自身です。神の国を求める者は、神の支配に服することになり、神の大いなる力に従うことで人生の守りと導きを得ることができます。キリストはこのように約束しています。「こころの貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。」(マタイ5章3節)

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2023年8月20日の聖書日課

(写真:サンゴバナ)

第一コリント1:18-25
 1:18 十字架の言は、滅び行く者には愚かであるが、救にあずかるわたしたちには、神の力である。
 1:19 すなわち、聖書に、
「わたしは知者の知恵を滅ぼし、
賢い者の賢さをむなしいものにする」
と書いてある。
 1:20 知者はどこにいるか。学者はどこにいるか。この世の論者はどこにいるか。神はこの世の知恵を、愚かにされたではないか。
 1:21 この世は、自分の知恵によって神を認めるに至らなかった。それは、神の知恵にかなっている。そこで神は、宣教の愚かさによって、信じる者を救うこととされたのである。
 1:22 ユダヤ人はしるしを請い、ギリシヤ人は知恵を求める。
 1:23 しかしわたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝える。このキリストは、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものであるが、
 1:24 召された者自身にとっては、ユダヤ人にもギリシヤ人にも、神の力、神の知恵たるキリストなのである。
 1:25 神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからである。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2023/08/13

主の祈り(2)御名をあがめさせたまえ

御名があがめられますように。(マタイ6章9節)

 主の祈りは、「天にましますわれらの父よ」と呼びかけた後、「ねがわくは」と言って祈りの本題に入ります。
 様々な祈りと願いに先立って、神の御名があがめられ、賛美されるように祈れと、キリストは教えられました。このことは、教会の礼拝が賛美に始まり、賛美に終わることにも相通ずることです。礼拝に集う人々の思惑はそれぞれ違っていたとしても、礼拝では言葉と心を一つにして神を賛美することを必須なものとしています。
 教会で歌われる賛美歌は、神を賛美し、ほめたたえるための歌です。その賛美によって、礼拝されるべき神が天地を創造された、偉大な父なる神であることを告白します。祈りはその偉大な神に向かってささげられるものです(ローマ1章25節)。
 しかし、神によって創造された被造物である私たちは、どんなに立派に賛美歌を歌ったとしても、天地創造の神に相応しい賛美を捧げる資格や能力があるということにはなりません(ネヘミヤ9章5節)。しかし、キリストは神を賛美しなさい、と私たちに励ましています。なぜなら、神は拙い私たちの口に、神を賛美するにふさわしい賛美をも与えてくださるからです(マタイ21章16節)。
 「御名があがめられますように」という祈りの言葉は、神の御名を賛美できるのは私たち人間の能力によらないことを教えています。神の御名は、神ご自身だけがふさわしく高めることができることなのです。しかし、その神だけができることを、私たちは祈り求めることが許されています。まして、その後に続く私たちの願い事は、全能の神にとって不可能なことは何一つありません(マルコ11章22~24節)。感謝して祈り続けましょう。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2023年8月13日の聖書日課

(写真:ガガブタ)

詩篇99篇
 99:1 主は王となられた。
もろもろの民はおののけ。
主はケルビムの上に座せられる。
地は震えよ。
 99:2 主はシオンにおられて大いなる神、
主はもろもろの民の上に高くいらせられる。
 99:3 彼らはあなたの大いなる恐るべきみ名を
ほめたたえるであろう。
主は聖でいらせられる。
 99:4 大能の王であり、公義を愛する者であるあなたは
堅く公平を立て、ヤコブの中に正と義とを行われた。
 99:5 われらの神、主をあがめ、
その足台のもとで拝みまつれ。
主は聖でいらせられる。
 99:6 その祭司の中にモーセとアロンとがあった。
そのみ名を呼ぶ者の中にサムエルもあった。
彼らが主に呼ばわると、主は答えられた。
 99:7 主は雲の柱のうちで彼らに語られた。
彼らはそのあかしと、
彼らに賜わった定めとを守った。
 99:8 われらの神、主よ、あなたは彼らに答えられた。
あなたは彼らにゆるしを与えられた神であったが、
悪を行う者には報復された。
 99:9 われらの神、主をあがめ、その聖なる山で拝みまつれ。
われらの神、主は聖でいらせられるからである。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2023/08/07

主の祈り(1)天のわれらの父よ

天にいますわれらの父よ、(マタイ6章9節)

 イエス・キリストは弟子たちに対し、度々「主の祈り」を教えられました(マタイ6章9~13節、ルカ11章1~4節)。この祈りの言葉は、今日に至るまで世界中のクリスチャンが祈り続け、また教会でも祈り継がれてきたものです。主の祈りは、それぞれの時代の言葉に翻訳されて祈られてきました。日本語でもいくつかの翻訳の形がありますが、私たちはそれらの様々な祈りの形に共通している、主の祈りの心を学びたいと思います。
 キリスト教は、中東の聖書の民であるイスラエル人から生まれました。イスラエル人は聖書の言葉を通して彼らの信仰の営みについて、祈りについて学び、実践していました。キリストが教えられた祈りは、イスラエル人にとっても驚くべき新しいものでした。しかし、実はキリストは彼らの知っていたはずの古い聖書の教えを、新しく教えられたのでした。
 祈りを捧げる相手である聖書の神は、古くから教えられている通り「天と地とを創造された」(創世記1章1節)神です。祈り手である私たち人間は地に住むものであり、神は人の及びもつかない天に住まわれます。天は、私たちが宇宙に飛び出しても、どんなに遠くを観測しようとしても、決して探り出すことのできない世界です。しかし、天地の創造者である神は、天だけではなく私たちの世界である地にも及ぶことのできる方です(申命記30章12節)。
 しかし、キリストは私たちに「天にいます」方に向けて祈れと教えられました。しかも、「父よ」と呼びかけよ、とも教えられました。聖書の民であるイスラエル人にとって、天にいます神を「父」と呼ぶ祈りは考えられないことでした。そのことを、キリストははっきりと言葉で教えられただけでなく、自らの祈りの姿で弟子たちに示されました(マルコ14章36節)。
 キリストは祈りの言葉を授けるだけではなく、天地創造の偉大な神を父と呼んで、親しく祈りを捧げることのできる関係に招いてくださいました。私たちはキリストに御名により、「神の子」として祈ることが許されています(ヨハネ1章12節)。父なる神に感謝しつつ、気兼ねなく私たちの言葉で祈りを捧げましょう。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2023/08/06

2023年8月6日の聖書日課

(写真:ナツズイセン)

マタイ5:43-48
 5:43 『隣り人を愛し、敵を憎め』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。
 5:44 しかし、わたしはあなたがたに言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ。
 5:45 こうして、天にいますあなたがたの父の子となるためである。天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、正しい者にも正しくない者にも、雨を降らして下さるからである。
 5:46 あなたがたが自分を愛する者を愛したからとて、なんの報いがあろうか。そのようなことは取税人でもするではないか。
 5:47 兄弟だけにあいさつをしたからとて、なんのすぐれた事をしているだろうか。そのようなことは異邦人でもしているではないか。
 5:48 それだから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2023/07/30

2023年7月16日(日) オンライン・イスラエルツアー


 2023年の4月・5月・7月と、第三日曜日の午後に教会教育部ホームページ「こひつじ」に掲載されている「体感!イスラエルツアー」の動画を視聴しました。コロナ禍になり、オンラインによる良い学びの機会が増えたことは感謝です。動画を視聴しつつ、コロナ後の教会の在り方を考える機会ともなりました。

2023年7月30日の聖書日課

(写真:ウツボグサ)

第一列王記19:1-8
 19:1 アハブはエリヤのしたすべての事、また彼がすべての預言者を刀で殺したことをイゼベルに告げたので、
 19:2 イゼベルは使者をエリヤにつかわして言った、「もしわたしが、あすの今ごろ、あなたの命をあの人々のひとりの命のようにしていないならば、神々がどんなにでも、わたしを罰してくださるように」。
 19:3 そこでエリヤは恐れて、自分の命を救うために立って逃げ、ユダに属するベエルシバへ行って、しもべをそこに残し、
 19:4 自分は一日の道のりほど荒野にはいって行って、れだまの木の下に座し、自分の死を求めて言った、「主よ、もはや、じゅうぶんです。今わたしの命を取ってください。わたしは先祖にまさる者ではありません」。
 19:5 彼はれだまの木の下に伏して眠ったが、天の使が彼にさわり、「起きて食べなさい」と言ったので、
 19:6 起きて見ると、頭のそばに、焼け石の上で焼いたパン一個と、一びんの水があった。彼は食べ、かつ飲んでまた寝た。
 19:7 主の使は再びきて、彼にさわって言った、「起きて食べなさい。道が遠くて耐えられないでしょうから」。
 19:8 彼は起きて食べ、かつ飲み、その食物で力づいて四十日四十夜行って、神の山ホレブに着いた。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2023/07/28

3分メッセージ索引(2019年~2023年)

旧約聖書 章節 新約聖書 章節
創世記 1:1-56:6-825:31-32
37:18-20
マタイ 3:114:3-44:196:1、6:9-13、
(主の祈り12345678
6:2011:3012:3924:4427:37-38
出エジプト 2:1015:218:1919:2024:1133:11 ルカ 2:31-324:1-27:6-78:1-39:12-13
11:112:35-3613:1514:1119:26
19:2820:1721:2-3
申命記 6:20-218:16 ヨハネ 1:231:45-462:13-174:36
6:19-206:518:1210:30-31
12:315:2616:3318:3721:12
ヨシュア 24:19 使徒 2:1-22:423:5-63:168:30-31
10:34-3512:1113:2624:14-15
列王紀上 17:13-1419:10-13 ローマ 6:56:117:47:1112:9
列王紀下 7:9 コリント第一 1:30-318:115:51
歴代志下 7:11-12 コリント第二 3:65:48:9
ヨブ 23:1028:28 ガラテヤ 3:296:14
詩篇 4:630:4-534:18-1949:7-8
67:1-292:12-13103:2
111:1125:4-5136:1145:16146:3-5
エペソ 2:103:64:15:45:9
箴言 3:3 ピリピ 4:6-74:17
イザヤ 9:212:340:2644:6
48:652:759:1662:263:9
テモテ第一 4:86:12
エレミヤ 28:931:15 テトス 2:11-13
エゼキエル 18:3137:343:4-5 ヘブル 1:5
ホセア 14:1 ヤコブ 1:172:1
アモス 5:24 ペテロ第一 2:214:16
ミカ 2:124:55:2 ペテロ第二 1:16
ゼパニヤ 3:17 ヨハネ第一 2:27
黙示録 5:1221:3-4
(救いの証し) 生田新一生田ハエノ小嶋隆日高基善日高佐和子平松公平八木原海