2023/11/26

2023年11月26日3分メッセージ

賛美歌:讃美歌21・98「緑の牧場に」
聖書:エレミヤ23:1-6

主は仰せられる、見よ、わたしがダビデのために一つの正しい枝を起す日がくる。彼は王となって世を治め、栄えて、公平と正義を世に行う。(エレミヤ23章5節)

 今年も年の瀬が近づき、クリスマスや新年も目の前まで迫ってきました。教会ではクリスマス、すなわち聖書の民イスラエルの王であるダビデの子孫(エレミヤ33章17節)として生まれたイエス・キリストを祝うための準備が始まっています。
 ダビデは羊飼い(牧者)からイスラエルの王となりました(サムエル上16章)。そのため、ダビデの子孫であるイスラエルの歴代の王は羊飼い、民は羊の群れにたとえられています。
 しかし、羊の群れであるイスラエルの民は羊飼いであるイスラエルの王が所有している訳ではありません。真の所有者である主人は、主と呼ばれる神ご自身です(エレミヤ23章1節)。雇い人であるイスラエルの王たちが、主である神の命令に従わず、私腹を肥やすのみでイスラエルの民を養わなかったと、聖書の神はイスラエルの王たちをとがめているのです。
 預言者エレミヤの時代は、イスラエルの王国の滅亡の時代でした。エレミヤは神からの警告の言葉をイスラエルの王や民に語り告げましたが、彼らは耳を傾けませんでした。その結果、神からの預言の通り、王国は滅亡し(エレミヤ52章)、イスラエルの人々はバビロンに捕囚となり、他の者は世界中に散らされてしまいました(エレミヤ23章2節)。ただそれだけでは終わらず、同じ神の預言の通りにイスラエルは復興します。それは、イスラエル人の手にはよらず、不思議な神の計らいにより、七十年の後イスラエルの民は祖国に帰ることができました(エレミヤ29章10節)。
 イエス・キリストは、このような苦難の歴史をたどったイスラエルの民として生まれました。それは、まさに神の摂理によって立てられた牧者として(エレミヤ23章4節)、神の預言の通りに神の民を正しく導く救い主となるためでした(エレミヤ23章6節)。
 私たちも今年のクリスマスにおいて、人の手によるものではなく、神の手による究極で完璧な救いを得るため、ともにイエス・キリストを喜んで迎えましょう。

 ご一緒にお祈りいたしましょう。
 天の父なる神様。イエス・キリストは正義を行う牧者としてこの世に生まれました。困難な世の中にあっても、私たちは平和な世界を求めています。どうぞ私たちの生きるこの時代にも、「霊妙なる議士、大能の神、とこしえの父、平和の君」としてキリストをお遣わしください(イザヤ9章6節)。
 イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2023/11/25

2023年11月26日の聖書日課

(写真:ノジギク)

エレミヤ23:1-6
 23:1 主は言われる、「わが牧場の羊を滅ぼし散らす牧者はわざわいである」。
 23:2 それゆえイスラエルの神、主はわが民を養う牧者についてこう言われる、「あなたがたはわたしの群れを散らし、これを追いやって顧みなかった。見よ、わたしはあなたがたの悪しき行いによってあなたがたに報いると、主は言われる。
 23:3 わたしの群れの残った者を、追いやったすべての地から集め、再びこれをそのおりに帰らせよう。彼らは子を産んでその数が多くなる。
 23:4 わたしはこれを養う牧者をその上に立てる、彼らは再び恐れることなく、またおののくことなく、いなくなることもないと、主は言われる。
 23:5 主は仰せられる、見よ、わたしがダビデのために一つの正しい枝を起す日がくる。彼は王となって世を治め、栄えて、公平と正義を世に行う。
 23:6 その日ユダは救を得、イスラエルは安らかにおる。その名は『主はわれわれの正義』ととなえられる。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

讃美歌21・98「緑の牧場に」

1)緑の牧場に われらを伏さしめ
いこいの水際に われらを導くその声
(くりかえし)
神の人よ 神の人よ
豊かな御恵み あれや

2)人足絶えたる 荒野の原にも
まよえる羊を 子のごと尋ぬるその声
(くりかえし)

3)わが主の御影の 見え分かぬ時も
さやかに御旨を われらに諭すはその声
(くりかえし)

アーメン

出典:日本キリスト教団出版局『讃美歌21』(インターネット配信について

2023/11/24

2023年12月24日(日) クリスマス礼拝

作者:太田玲子(川崎中央福音教会


2023年・クリスマス礼拝
12月24日(日) 10:30~11:45

※どなたでも参加できます。ぜひお越しください。

2023/11/19

2023年11月19日3分メッセージ

賛美歌:讃美歌21・276「あかつきの空の美しい星よ」
聖書:ヨハネ6:26-35

「イエスは彼らに言われた、『わたしが命のパンである。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決してかわくことがない。』」(ヨハネ6章35節)

 イエス・キリストは、ガリラヤ湖のほとりで子供から提供された五つのパンと二匹のさかなで五千人ほどの人々を養う奇跡を起こされました(ヨハネ6章1~13節)。それを見た人々は、キリストを王様として担ぎ上げようとしました(ヨハネ6章14~15節)。しかし、そのことはキリストご自身が願ったこととは違った方向のものでした。
 キリストは人々にこう言われました。「あなたがたがわたしを尋ねてきているのは、しるしを見たためではなく、パンを食べて満腹したからである。」(ヨハネ6章26節)まさにキリストが言い当てられたように、人々はキリストをガリラヤに現われた新しい指導者とみなしたのでした。そして、彼らの生きる世界に新しい国家を打ち立てようと思ったのでした。キリストは後にこのように言われました。「わたしの国はこの世のものではない」(ヨハネ18章36節)。
 キリストはパンの奇跡によって、人々に「永遠の命」を与えようとしたのでした(ヨハネ6章27節)。人々はキリストの教えを悟ることをせず、ただパンで腹を満たすことを要求し続けました(ヨハネ6章31節)。その結果、多くの者が期待外れと言わんばかりに、キリストのもとを去りました(ヨハネ6章66節)。
 キリストは「朽ちる食物のためではなく、永遠の命に至る朽ちない食物のために働くがよい」と語られます(ヨハネ6章27節)。それは食べてしまうと終わるようなものではありません。キリストは語られます。「わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が、わきあがるであろう」(ヨハネ4章14節)。キリストが与えようとされるものを受け損ねることがありませように。

 ご一緒にお祈りいたしましょう。
 天の父なる神様。キリストは「わたしが命のパンである」と言われました。私たちもキリストが与えようとされるものを確かに受けることができますように。一時で終わるものではなく、永遠に続くもののために日々働くことができますように。
 イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2023/11/18

2023年11月19日の聖書日課

(写真:アキチョウジ)

ヨハネ6:26-35
 6:26 イエスは答えて言われた、「よくよくあなたがたに言っておく。あなたがたがわたしを尋ねてきているのは、しるしを見たためではなく、パンを食べて満腹したからである。
 6:27 朽ちる食物のためではなく、永遠の命に至る朽ちない食物のために働くがよい。これは人の子があなたがたに与えるものである。父なる神は、人の子にそれをゆだねられたのである」。
 6:28 そこで、彼らはイエスに言った、「神のわざを行うために、わたしたちは何をしたらよいでしょうか」。
 6:29 イエスは彼らに答えて言われた、「神がつかわされた者を信じることが、神のわざである」。
 6:30 彼らはイエスに言った、「わたしたちが見てあなたを信じるために、どんなしるしを行って下さいますか。どんなことをして下さいますか。
 6:31 わたしたちの先祖は荒野でマナを食べました。それは『天よりのパンを彼らに与えて食べさせた』と書いてあるとおりです」。
 6:32 そこでイエスは彼らに言われた、「よくよく言っておく。天からのパンをあなたがたに与えたのは、モーセではない。天からのまことのパンをあなたがたに与えるのは、わたしの父なのである。
 6:33 神のパンは、天から下ってきて、この世に命を与えるものである」。
 6:34 彼らはイエスに言った、「主よ、そのパンをいつもわたしたちに下さい」。
 6:35 イエスは彼らに言われた、「わたしが命のパンである。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決してかわくことがない。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

讃美歌21・276「あかつきの空の美しい星よ」

1)あかつきの空の 美しい星よ
まことの光 エッサイのきりかぶの
新しい枝よ ダビデのイエス
主よ 主よ とうとい恵みの光よ
わが王 わが主よ

2)マリアより生まれ 人の世に生きた
み神の子イエス みことばは甘く
みからだと血とは わたしを生かす
主よ 主よ とうといわれらの命よ
天のマナ わが糧(かて)

3)喜びにあふれ たて琴を奏で
ほめ歌うたえ 花婿主イエスの
限りない愛を 心に受けて
主よ 主よ あなたに感謝はつきない
愛するわが主よ

4)愛する主イエスは アルファまたオメガ
初めと終わり み恵みによりて
この身をも祝し み国へ招く
アーメン アーメン まもなく来られる
主イエスよ せつに待ち望む

アーメン

出典:日本キリスト教団出版局『讃美歌21』(インターネット配信について

2023/11/12

2023年11月12日3分メッセージ

賛美歌:讃美歌21・227「主のまことは」
聖書:ローマ4:7-16

「不法をゆるされ、罪をおおわれた人たちは、
さいわいである。
罪を主に認められない人は、さいわいである」。
(ローマ4章7~8節)

 聖書は神の約束の書です。神が私たち人類に賜った約束を信じることが信仰です。その信仰が、国も時代も違う人々を一つにします。それゆえに、旧約聖書のアブラハム(創世記12章のアブラム)は「信仰の父」と呼ばれています(ローマ4章12節)。
 聖書は「罪を主に認められない人は、さいわいである」と述べています。しかし、信仰の父アブラハムは必ずしも罪を犯さない人ではありませんでした。しかし、アブラハムの生涯から学ぶことができることがあります。それは、無罪であると認められるには、罪を一切犯さないことではなく、神から罪のゆるしを賜る以外にないことです。「アブラハムは神を信じた。それによって、彼は義と認められた」と聖書は証しています(ローマ4章3節)。
 アブラハムの全生涯は神の約束に導かれていました。神の約束を受けて、故郷を出発し(創世記12章1節)、約束の地に至って留まり(創世記12章7節)、子孫の繁栄を信じ(創世記13章16節)、人ではなく神からの財産を求め(創世記14章23節)、周りの人々とは信仰によって一線を画しました。
 アブラハムは神より「あなたの受ける報いは、はなはだ大きい」との約束を受けました(創世記15章1節)。そのような神の約束による導きに従い、アブラハムは神への信仰を貫き通しました。その結果、アブラハムは約束の子孫を得ることができ(創世記21章)、割礼を特徴とするイスラエル民族が誕生しましたが、それだけでなく彼の信仰にならう信仰の子孫をも数多く得ることになりました。
 「このようなわけで、すべては信仰によるのである。それは恵みによる」と聖書は証しています(ローマ4章16節)。神の約束に満ちた聖書の言葉を受け、信じて神の約束に与る生涯をともに歩みましょう。

 ご一緒にお祈りいたしましょう。
 天の父なる神様。聖書の神は私たちに数々の約束をお与えくださり、御言葉によって導いてくださいます。私たちはアブラハムのように御言葉を信じ、御言葉に従う生涯を歩みたいと思います。どうぞ御言葉の約束の通り、私たちを神の子と認めてくださり、天の祝福に与らせてください。
 イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2023/11/11

2023年11月12日の聖書日課

(写真:オモト)

ローマ4:7-16
 4:7「不法をゆるされ、罪をおおわれた人たちは、
さいわいである。
 4:8 罪を主に認められない人は、さいわいである」。
 4:9 さて、この幸福は、割礼の者だけが受けるのか。それとも、無割礼の者にも及ぶのか。わたしたちは言う、「アブラハムには、その信仰が義と認められた」のである。
 4:10 それでは、どういう場合にそう認められたのか。割礼を受けてからか、それとも受ける前か。割礼を受けてからではなく、無割礼の時であった。
 4:11 そして、アブラハムは割礼というしるしを受けたが、それは、無割礼のままで信仰によって受けた義の証印であって、彼が、無割礼のままで信じて義とされるに至るすべての人の父となり、
 4:12 かつ、割礼の者の父となるためなのである。割礼の者というのは、割礼を受けた者ばかりではなく、われらの父アブラハムが無割礼の時に持っていた信仰の足跡を踏む人々をもさすのである。
 4:13 なぜなら、世界を相続させるとの約束が、アブラハムとその子孫とに対してなされたのは、律法によるのではなく、信仰の義によるからである。
 4:14 もし、律法に立つ人々が相続人であるとすれば、信仰はむなしくなり、約束もまた無効になってしまう。
 4:15 いったい、律法は怒りを招くものであって、律法のないところには違反なるものはない。
 4:16 このようなわけで、すべては信仰によるのである。それは恵みによるのであって、すべての子孫に、すなわち、律法に立つ者だけにではなく、アブラハムの信仰に従う者にも、この約束が保証されるのである。アブラハムは、神の前で、わたしたちすべての者の父であって、

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

讃美歌21・227「主のまことは」

1)主のまことは 岩のごとし
逆巻く波にも ゆるぎもなし
(くりかえし)
とうときかな 天の神は
力にあふるる とこしえの主

2)主の恵みは 浜の真砂(まさご)
その数いかでか 数えうべき
(くりかえし)

3)弱きわれも 心つくし
わが主にすがらば 力をぞ得ん
(くりかえし)

4)主のまことと その恵みを
望みてわれらは 安らぎを得ん
(くりかえし)

アーメン

出典:日本キリスト教団出版局『讃美歌21』(インターネット配信について

2023/11/05

聖書リンク集

口語訳聖書(日本語の聖書) 聖書検索
旧約(1) 旧約(2) 新約 日本聖書協会
創世記 イザヤ マタイ 新日本聖書刊行会
出エジプト エレミヤ マルコ 聖書用語検索(口語訳)
レビ 哀歌 ルカ 聖書用語検索(新改訳)
民数記 エゼキエル ヨハネ eBible
申命記 ダニエル 使徒
ヨシュア ホセア ローマ
士師 ヨエル コリント第一
ルツ アモス コリント第二
サムエル上 オバデヤ ガラテヤ
サムエル下 ヨナ エペソ
列王紀上 ミカ ピリピ
列王紀下 ナホム コロサイ
歴代志上 ハバクク テサロニケ第一
歴代志下 ゼパニヤ テサロニケ第二
エズラ ハガイ テモテ第一
ネヘミヤ ゼカリヤ テモテ第二
エステル マラキ テトス
ヨブ ピレモン
詩篇 ヘブル
箴言 ヤコブ
伝道 ペテロ第一
雅歌 ペテロ第二
ヨハネ第一
ヨハネ第二
ヨハネ第三
ユダ
黙示録

2023年11月5日3分メッセージ

賛美歌:讃美歌21・530「主よ試み」
聖書:創世記3:14-19

わたしは恨みをおく、
おまえと女とのあいだに、
おまえのすえと女のすえとの間に。
彼はおまえのかしらを砕き、
おまえは彼のかかとを砕くであろう」。
(創世記3章15節)

 創世記の最初の部分は、神が天地を創造されたこと(創世記1章)、神が人を創造されたこと(創世記2章)、人が罪を犯して楽園から追い出されたこと(創世記3章)を語っています。
 神は、人の罪、具体的には食べるなと命じた禁令を破った罪をさばかれました(創世記3章11節)。しかし、神のさばきの内容を見ると、厳しさとともに憐れみをも感じることができます。
 神は、罪を犯した者たちを厳格にさばきました。それは、人に罪を二度と犯させないため(出エジプト20章20節)、また罪を犯すことは死に至る悪であることを教えるためでした(ローマ6章23節)。
 さらに神は「恨み」をおかれました。それは、人が罪を犯すことに対して無感覚であるべきでなく、あるいは他人を憎んで責任転嫁するのでもなく(創世記3章11~13節)、何よりも罪を憎んで離れるべきことを教えるためです(ヨブ42章6節)。
 最後に、神は人生の苦しみを増し加えられました(創世記3章16節)。人のすべての営みには喜びと苦しみがあります。それとともに、人の営みには始まりがあり終わりがあるものなので、最後に人はちりに帰ることになります(創世記3章19節)。
 私たちは人として生まれ、人として死ぬことに一喜一憂する存在です。しかし、神は私たち人間がか弱き存在であることをご存じです。神の憐れみに身を任せましょう。「神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。」(ローマ8章28節)

 ご一緒にお祈りいたしましょう。
 天の父なる神様。私たちは日々の人生の歩みの中で、悪だと知っていながらも様々な罪を犯してしまう存在です。そのような私たちの弱さを知っておられる神に身を任せます。正しい人生を歩めるように、私たちと共に働いてくださいますように。
 イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2023/11/04

2023年11月5日の聖書日課

(写真:ウィンターコスモス)

創世記3:14-19
 3:14 主なる神はへびに言われた、
「おまえは、この事を、したので、
すべての家畜、野のすべての獣のうち、
最ものろわれる。
おまえは腹で、這いあるき、
一生、ちりを食べるであろう。
 3:15 わたしは恨みをおく、
おまえと女とのあいだに、
おまえのすえと女のすえとの間に。
彼はおまえのかしらを砕き、
おまえは彼のかかとを砕くであろう」。
 3:16 つぎに女に言われた、
「わたしはあなたの産みの苦しみを大いに増す。
あなたは苦しんで子を産む。
それでもなお、あなたは夫を慕い、
彼はあなたを治めるであろう」。
 3:17 更に人に言われた、「あなたが妻の言葉を聞いて、食べるなと、わたしが命じた木から取って食べたので、
地はあなたのためにのろわれ、
あなたは一生、苦しんで地から食物を取る。
 3:18 地はあなたのために、いばらとあざみとを生じ、
あなたは野の草を食べるであろう。
 3:19 あなたは顔に汗してパンを食べ、ついに土に帰る、
あなたは土から取られたのだから。
あなたは、ちりだから、ちりに帰る」。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

讃美歌21・530「主よ試み」

1)主よ 試み 受くる折り
祈りたまえ わがために
こころ恐れ 迷うときも
愛の御顔 向けたまえ

2)世の宝は 目をうばい
世の誉れが 誘うとき
十字架の主の み苦しみを
示したまえ わが胸に

3)わずらわしき 世のわざに
やるせもなき 悲しみに
なお潜める いつくしみを
見させたまえ 過(あやま)たず

4)塵より成る このわが身
塵にかえる そのときも
主よ 御顔を あおぎ見つつ
行かせたまえ みもとへと

アーメン

出典:日本キリスト教団出版局『讃美歌21』(インターネット配信について