2023/06/25

2023年6月25日3分メッセージ



 使徒8章30節、31節をお読みします。
そこでピリポが駆けて行くと、預言者イザヤの書を読んでいるその人の声が聞えたので、「あなたは、読んでいることが、おわかりですか」と尋ねた。彼は「だれかが、手びきをしてくれなければ、どうしてわかりましょう」と答えた。

 私たちは必ずしもすべての事を自分で決めて毎日生活しているわけではありません。他人が決めたことを行い、他人からの依頼に従って行動することも多くあります。それだけでなく、私たちは人知を超えた神の計らいによって日々の行動が導かれていることがあります。私たちには偶然と思われることも、神の目には必然であり、この世の出来事は無意味なことは一つもありません(テモテ第一4章4節)。
 しかし、私たち人間には神のように全知全能ではありません。キリストの弟子であるピリポも、荒れはてた道を行けと主の使に命じられ、不思議に思いながらも従いました。その道でピリポにとっては偶然、エチオピヤ人の高官に出会ったのでした(使徒8章26~28節)。
 このエチオピヤ人の高官はエルサレムの神殿で礼拝を捧げて本国に帰る途中でした。信仰をもって聖書のイザヤ書(53章7~8節)を読んでいたのでしたが、その書の意味するところがわからなかったのでした。そこにピリポと出会い、聖書の教えを請うたのでした。ピリポにとってはこの聖書が示しているイエス・キリストを伝える良い機会となりました(使徒8章32~35節)。
 当時のイスラエル人は入信の儀式としてバプテスマ、別名で洗礼式を行っていました。ピリポの教えを理解し、受け入れたエチオピア人の高官は、自らピリポにバプテスマを授けてもらえるようお願いしました。彼らにとっては偶然の出会いから始まった出来事でしたが、この出会いをさいわいとして、キリストへの信仰を確立することができたのでした(使徒8章36~39節)。
 神にとって偶然はありません。私たちも神の導きを信じ、万事を益としてくださる神に信頼して日々を歩むなら(ローマ8章28節)、未知の出来事であったとしても確信をもって前進することができます。「あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ、主はそれをなしとげ」(詩篇37篇5節)てくださいます。

 ご一緒にお祈りいたしましょう。
 天の父なる神様。私たちの日々の歩みは、時として思いがけない出来事に恐れ惑うことがあります。しかし、神には偶然はありません。すべてを導き、万事を益とされる神に従ってまいります。どうぞ導きに従う私たちの歩みを確かなものとしてください。
 イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2023年6月25日の聖書日課

(写真:カシワバアジサイ)

使徒8:30-38
 8:30 そこでピリポが駆けて行くと、預言者イザヤの書を読んでいるその人の声が聞えたので、「あなたは、読んでいることが、おわかりですか」と尋ねた。
 8:31 彼は「だれかが、手びきをしてくれなければ、どうしてわかりましょう」と答えた。そして、馬車に乗って一緒にすわるようにと、ピリポにすすめた。
 8:32 彼が読んでいた聖書の箇所は、これであった、
「彼は、ほふり場に引かれて行く羊のように、
また、黙々として、
毛を刈る者の前に立つ小羊のように、
口を開かない。
 8:33 彼は、いやしめられて、
そのさばきも行われなかった。
だれが、彼の子孫のことを語ることができようか、
彼の命が地上から取り去られているからには」。
 8:34 宦官はピリポにむかって言った、「お尋ねしますが、ここで預言者はだれのことを言っているのですか。自分のことですか、それとも、だれかほかの人のことですか」。
 8:35 そこでピリポは口を開き、この聖句から説き起して、イエスのことを宣べ伝えた。
 8:36 道を進んで行くうちに、水のある所にきたので、宦官が言った、「ここに水があります。わたしがバプテスマを受けるのに、なんのさしつかえがありますか」。
 8:38 そこで車をとめさせ、ピリポと宦官と、ふたりとも、水の中に降りて行き、ピリポが宦官にバプテスマを授けた。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2023/06/18

2023年6月18日3分メッセージ



 申命記8章16節をお読みします。
先祖たちも知らなかったマナを荒野であなたに食べさせられた。それはあなたを苦しめ、あなたを試みて、ついにはあなたをさいわいにするためであった。

 申命記は、神がイスラエル人に与えると約束された地を目前としながら、モーセがイスラエル人たちに告げた言葉です(申命記1章1節)。モーセがイスラエル人を率いてエジプトから出発して、四十年が過ぎました(申命記8章2節)。その間にイスラエル人の世代は新しくなり、エジプトを出発した当初の出来事を知らない人々がほとんどとなりました。そこで、約束の地に入る人々のため、モーセはこれまでの神の教えを再び告げ知らせのでした(申命記31章13節)。
 今まで受けた神の教えを伝えるとともに、モーセは約束の地に入った後の将来の出来事についても教えました。それは、今まで荒野で苦しい旅を続けてきたが、約束の地に住み着いた後に、今まで経験したこともないような安定した生活を味わい、そして過去の苦しみと共に神の教えをも忘れてしまう危険があることです(申命記8章11~14節)。
 「喉元過ぎれば熱さを忘れる」のが人間の性です。しかし、苦しかった記憶と共に大事な教えを忘れるなと、モーセは私たちにも語り掛けています。そして、苦難の出来事を忘れるな、それは私たちがさいわいに至るための試練であった、と言っているのです。聖書の神は、私たちを神の子として訓練するために、人生の試練に会うことを良しとされます(申命記8章5節)。
 聖書は私たちにこのように教え諭しています。「神の造られたものは、みな良いものであって、感謝して受けるなら、何ひとつ捨てるべきものはない。」(テモテ第一4章4節)私たちの人生の旅路を支え、導いて下さる神に従ってまいりましょう。

 ご一緒にお祈りいたしましょう。
 天の父なる神様。私たちは、過去の嫌な出来事を忘れ、将来の不安から目を背ける癖があります。しかし、過去の出来事を思い出しつつ、将来に向かって注意深く前進せよと、聖書は私たちに教えています。その教えに励まされ、私たちは前進したいと思います。どうぞ私たちの人生の旅路を導き、天からの祝福に与らせてください。
 イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2023年6月18の聖書日課

(写真:アルストロメリア)

申命記8:11-20
 8:11 あなたは、きょう、わたしが命じる主の命令と、おきてと、定めとを守らず、あなたの神、主を忘れることのないように慎まなければならない。
 8:12 あなたは食べて飽き、麗しい家を建てて住み、
 8:13 また牛や羊がふえ、金銀が増し、持ち物がみな増し加わるとき、
 8:14 おそらく心にたかぶり、あなたの神、主を忘れるであろう。主はあなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出し、
 8:15 あなたを導いて、あの大きな恐ろしい荒野、すなわち火のへびや、さそりがいて、水のない、かわいた地を通り、あなたのために堅い岩から水を出し、
 8:16 先祖たちも知らなかったマナを荒野であなたに食べさせられた。それはあなたを苦しめ、あなたを試みて、ついにはあなたをさいわいにするためであった。
 8:17 あなたは心のうちに『自分の力と自分の手の働きで、わたしはこの富を得た』と言ってはならない。
 8:18 あなたはあなたの神、主を覚えなければならない。主はあなたの先祖たちに誓われた契約を今日のように行うために、あなたに富を得る力を与えられるからである。
 8:19 もしあなたの神、主を忘れて他の神々に従い、これに仕え、これを拝むならば、――わたしは、きょう、あなたがたに警告する。――あなたがたはきっと滅びるであろう。
 8:20 主があなたがたの前から滅ぼし去られる国々の民のように、あなたがたも滅びるであろう。あなたがたの神、主の声に従わないからである。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2023/06/12

2023年6月11日(日) 献堂69周年記念礼拝

今年は志村キリスト教会の創立(献堂)69周年となります。献堂記念礼拝の特別講師として、フィリピン宣教師の山城良美先生にお願いし、フィリピンからビデオメッセージを送っていただきました。ビデオの中で、ルソン島北部での生活と宣教活動の紹介があり、「ゆだねる」という事のメッセージを語っていただきました。これからもすべてをゆだねて、神様が導かれる道を歩んでまいりたいと思います。

2023/06/11

2023年6月11日3分メッセージ



 使徒2章42節をお読みします。
そして一同はひたすら、使徒たちの教を守り、信徒の交わりをなし、共にパンをさき、祈をしていた。

 キリスト教会は、ペンテコステ(五旬節)の日にキリストの弟子たちに聖霊が注がれたことで誕生しました(使徒2章1~4節)。彼らは礼拝のために集まる教会堂を持っていませんでした。キリスト教会が誕生した後も、彼らはユダヤ人として生活し、エルサレムの神殿に詣でて礼拝し、各地のユダヤ人の会堂に集まり、あるいは自宅を開放してクリスチャンの交わりを保ちました(使徒2章46~47節)。
 後に迫害を受けて多くの者がエルサレムから追放されても、彼らは行く先々で集まって礼拝を捧げ続けました(使徒8章1~4節)。これが今日のキリスト教会の生い立ちとなった出来事です。ヨーロッパにある大聖堂も、日本のような非キリスト教国の小さな家の教会も、教会としての本質は変わることがありません。同じクリスチャンが集まる教会です。
 時代や国が変わっても、変わらない教会の本質があります。それが、「使徒たちの教を守り、信徒の交わりをなし、共にパンをさき、祈を」することです。それはつまり、「聖書に学び、教会の交わりを保ち、聖餐式等の礼典を守り、祈りを捧げる」ことであり、そのことが守られているのが使徒たちの時代から変わることなく存在し続けている本当の教会です。
 皆様もぜひ、このキリスト教会の本質、教会の命に触れていただきたいと願います。キリスト教の教会堂、聖画や彫刻、賛美歌などの芸術を味わいつつ、それらが意味しているキリスト教の交わりに触れてください。それが教会におけるクリスチャンたちの交わりであり、毎週の礼拝で行われていることです。イエス・キリストはこのように言われています。「神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ」(ルカ17章21節)。

 ご一緒にお祈りいたしましょう。
 天の父なる神様。キリスト教会は時代を超えて、クリスチャンたちが集まり、交わりを保ち続けています。この教会の交わりの中に神の国がある、とキリストは言われました。神の国、神の恵みに私たちも与りたいと願います。どうぞ教会の交わりを祝福してください。自らを省みつつ、神ご自身との交わりをも保たせてください。
 イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2023年6月11日の聖書日課

(写真:テッポウユリ)

使徒2:42-47
 2:42 そして一同はひたすら、使徒たちの教を守り、信徒の交わりをなし、共にパンをさき、祈をしていた。
 2:43 みんなの者におそれの念が生じ、多くの奇跡としるしとが、使徒たちによって、次々に行われた。
 2:44 信者たちはみな一緒にいて、いっさいの物を共有にし、
 2:45 資産や持ち物を売っては、必要に応じてみんなの者に分け与えた。
 2:46 そして日々心を一つにして、絶えず宮もうでをなし、家ではパンをさき、よろこびと、まごころとをもって、食事を共にし、
 2:47 神をさんびし、すべての人に好意を持たれていた。そして主は、救われる者を日々仲間に加えて下さったのである。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2023/06/04

2023年6月4日3分メッセージ



 出エジプト19章20節をお読みします。
主はシナイ山の頂に下られた。そして主がモーセを山の頂に召されたので、モーセは登った。

 モーセに導かれてエジプトを出たイスラエルの民は、シナイ山のふもとで神から十戒を始めとする律法を受け取りました(出エジプト20章)。この律法によってイスラエルは民族集団から法治国家へと変貌しました。
 このイスラエルにとって重要な節目の時に、人々は律法に従うという誓いを立て(出エジプト19章8節)、神との対面に備えて身を清めました(出エジプト19章10~15節)。山のふもとに立った人々は、山の頂の恐るべき光景、地震と大音響に震え上がり、直接会うことのできない神の尊厳に触れました(出エジプト19章10~18節)。
 その中でただ一人、モーセが民の前に立って神と語り合い、神に呼び出されてモーセは山に登っていきました(出エジプト19章19~25節)。この出来事の後、イスラエルの民はモーセを神の代言者、神と人々の間を取り持つ仲介者として、モーセを尊敬するようになりました(出エジプト34章29~35節)。
 神の民が律法を受け取る出来事は、時代を超えて人が神とどのように関わりを持つべきかを教えています(ガラテヤ3章19~20節)。今の時代、神と人との間に立つ仲介者(仲保者)はイエス・キリストです(テモテ第一2章5節)。全能の神に向けて祈りをささげることは、本質的には恐れ多いことで、何の準備も持たずにできることではありません。私たちは「イエス・キリストの御名によって」始めて祈りをささげることができるのです。
 ですから、今私たちは聖書の言葉に励まされて気兼ねなく祈りたいと思います。「わたしたちは、あわれみを受け、また、恵みにあずかって時機を得た助けを受けるために、はばかることなく恵みの御座に近づこうではないか。」(ヘブル4章16節)

 ご一緒にお祈りいたしましょう。
 天の父なる神様。私たちはキリストの御名によって祈ることができることを感謝します。全能の神の御前に恐れつつ、しかし私たちの切なる祈りを親しく聞き届けて下さる恵みが与えられています。益々勇気をもって祈り続けることができますように。
 イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2023年6月4日の聖書日課

(写真:キリ)

出エジプト19:16-20
 19:16 三日目の朝となって、かみなりと、いなずまと厚い雲とが、山の上にあり、ラッパの音が、はなはだ高く響いたので、宿営におる民はみな震えた。
 19:17 モーセが民を神に会わせるために、宿営から導き出したので、彼らは山のふもとに立った。
 19:18 シナイ山は全山煙った。主が火のなかにあって、その上に下られたからである。その煙は、かまどの煙のように立ち上り、全山はげしく震えた。
 19:19 ラッパの音が、いよいよ高くなったとき、モーセは語り、神は、かみなりをもって、彼に答えられた。
 19:20 主はシナイ山の頂に下られた。そして主がモーセを山の頂に召されたので、モーセは登った。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)