マタイ27章37節、38節をお読みします。
そしてその頭の上の方に、「これはユダヤ人の王イエス」と書いた罪状書きをかかげた。同時に、ふたりの強盗がイエスと一緒に、ひとりは右に、ひとりは左に、十字架につけられた。
今週はイエス・キリストの十字架の苦しみを覚える受難週です。キリストはユダヤ人による不正な裁判で有罪とされ(マタイ26章66節)、ローマ人の手によって十字架刑に処されました(マタイ27章26節)。
ローマ総督のピラトはキリストに罪を認めませんでしたが(マタイ27章23節)、十字架刑の細かい指示を与えたのはピラトでした。ピラトは「これはユダヤ人の王イエス」と書いた罪状書きをかかげさせ、二人の強盗の間、すなわち十字架刑の主犯格の位置にキリストの十字架を据えさせました。
人々はキリストにいばらの冠をかぶらせ、皮肉を込めてキリストを王様扱いしてあざけりました(マタイ27章29節)。ある人々は「ユダヤ人の王」という罪状書きを改めるよう抗議しましたが、ピラトはその要求を拒みました(ヨハネ19章21、22節)。
このように、イエス・キリストは罪のない王様として十字架にかけられました。キリストは自ら十字架から降りることなく、また誰も十字架から引き下ろすこともできませんでした。十字架はキリストの不動の玉座だったのです。
キリストはこのように語られました。「わたしはよい羊飼である。よい羊飼は、羊のために命を捨てる。」(ヨハネ10章11節)キリストの十字架は、か弱く迷える羊である私たちに命を与えるための犠牲です。十字架を覚えつつ、キリストの命に与りましょう。
ご一緒にお祈りいたしましょう。
天の父なる神様。私たちは今年もキリストの十字架を覚える季節を迎えることができました。クリスチャンに、またキリストの教会につけられた十字架を心に担いつつ、キリストとともに命に溢れる日々を生きることができますように。
イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)