2020/02/09

2020年2月10日3分メッセージ



平安を与えて下さる神様  志村キリスト教会 日高基善

 約1年間日曜礼拝に通った私は、6年前喜寿の年に洗礼を受けました。妻が熱心に勧めたこと(そんなことは覚えていないと言いますが)、8年余り引き籠りだった娘がキリスト信仰を持つことによって社会復帰ができ、結婚もできたこと、自分がまさかの前立腺癌の手術を受けたこと等により、今後の日々を平安に過すためには教会での学びを続けるのが良いのではないかと思ったわけです。
 毎日曜礼拝の説教では聖書の短い一区切りを丁寧に説き明かしていただくのですが、深く頷いたり、首を傾げたり、考え込んだりしている次第です。家でも時々解説書を片手に聖書を読むのですが、「こんな日本語があるか?」と翻訳に文句を言いたくなる箇所も多くあり、教会で説教を聴くことの大切さを実感します。
 又、賛美も皆と一緒なら自然に歌えて「いい曲一杯あるなあ」という思いです。
 日曜礼拝に出席しているだけで、自分はあまり変ったとも思えませんが、妻と娘は「お父さん変ったよね」と語り合っているようです。
 後期高齢者になる迄、聖書とは無縁の生活をしていましたので、理解も遅く、記憶力も衰えて来ているので、やはりもっと若い時に接していれば良かったのにと思わずにはいられません。
 聖書の教えの最も大切なことは“謙虚であれ”ということだと思うと、今の政治の世界のおごり高ぶりが気になって仕方ありません。政治にたずさわる者は皆聖書を学んで“民のしもべ”となる心がけを持ってもらいたい等と思ってしまうのです。勿論、自らがそのように努めなければなりません。
 又、聖書の教えで、とてもわかり易く、実行出来そうだけれども難しい第一テサロニケ5章16節から18節、「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。」という究極のプラス思考のみことばを心に、今現在穏やかに過せていることに感謝しつつ、これからの歩みを続けて行きたいと思っています。

(聖書 新改訳 ©1970,1978,2003 新日本聖書刊行会)