2020/07/19

2020年7月19日3分メッセージ



 使徒24章14節、15節をお読みします。
ただ、わたしはこの事は認めます。わたしは、彼らが異端だとしている道にしたがって、わたしたちの先祖の神に仕え、律法の教えるところ、また預言者の書に書いてあることを、ことごとく信じ、また、正しい者も正しくない者も、やがてよみがえるとの希望を、神を仰いでいだいているものです。この希望は、彼ら自身も持っているのです。

 使徒行伝24章は、キリストの使徒パウロが、ユダヤを統治するローマ帝国の総督の裁きを受けた出来事を報告しています。パウロは被告人であり、原告はパウロと同じユダヤ人でした。
 訴えの内容は宗教上の問題でした。それは本来、総督が裁判として取り扱わない案件でした(使徒18章12~16節)。さらに原告のユダヤ人たちの訴えは根拠の弱いものであり(使徒21~23章参照)、パウロにとって不当な裁判でした。
 しかし、このパウロの仕打ちは、キリストの言葉と生涯を思い起こさせます。キリストは弟子たちに対してこのように語りました。「人々はあなたがたに手をかけて迫害をし、会堂や獄に引き渡し、わたしの名のゆえに王や総督の前にひっぱって行くであろう。」(ルカ21章12節)またキリストご自身が総督ピラトに引き渡され、不当な裁判により十字架にかけられたのでした(マタイ27章参照)。
 キリストが語った言葉には約束も伴っています。それは、裁判に引き出されるその時、語るべき言葉が与えられるであろう、ということです(ルカ21章13~15節)。キリストは不当な裁判の結果、人類のための救いとなりました。パウロは裁判の後も命永らえて、新しい土地に送られて人々を教え、新約聖書に多くの手紙を書き残しました。
 聖書の神は「神を愛する者たち」のため、「万事を益となるようにして下さる」お方です(ローマ8章28節)。私たちの苦難を益に変えてくださる神を仰いでまいりましょう。

 お祈りいたしましょう。
 天の父なる神様。私たちの目の前に苦難と見えるものがあります。万事を益へと変えられる神様。私たちがこの所から前に進めるように、希望の御言葉をください。
 イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)