マタイ12章39節をお読みします。
邪悪で不義な時代は、しるしを求める。しかし、預言者ヨナのしるしのほかには、なんのしるしも与えられないであろう。
イエス・キリストは人々に神の国について教え、悩み苦しむ人々のために奇跡を行いました。人々はこれを見て驚いてキリストをほめましたが、ある人々は逆にキリストを非難しました(マタイ12章22~24節)。
その後、キリストを非難した人々はキリストに「しるし」を見せるように願いました。「しるし」とは、キリストが「ダビデの子」と呼ばれる救世主であることを示す証拠のことです(マタイ12章38節)。
しかし、彼らの心はキリストに対する悪意に満ちていました(マタイ12章25節)。彼らは既にキリストの語った言葉とキリストが行ったわざとを見ていました。彼らの目的はキリストに落ち度を見出だして非難することであり、その落ち度を示す「しるし」を求めていたのです(ルカ20章20節)。
キリストは自らに反発する人々を押さえつけようとはしませんでした(マルコ14章61節)。それは、聞く耳を持たない人々に語っても、彼らが学び取ることはないことをわきまえておられたからです。しかし、キリストは聞く耳を持つ人々を教えて、信仰のある人々のために奇跡を行われました(ヨハネ5章6節)。
キリストはこのように語られました。「おおよそ、持っている人は与えられて、いよいよ豊かになるが、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられるであろう。」(マタイ13章12節)私たちは聖書から良いものを得ることができると信じて、聖書に学びたいと思います。聖書が約束している通り、すべて求める者には良いものが与えられます(マタイ7章7~12節)。
ご一緒にお祈りいたしましょう。
天の父なる神様。「求めよ、そうすれば、与えられるであろう。」(マタイ7章7節)という聖書の言葉を信じます。私たちが聖書に学ぶとき、私たちに天からの恵みを注いでください。
イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)