2023/09/30

讃美歌21・63「天にいます父よ」

1)天にいます父よ 絶えせずわれらを
導きたまいて われらの砕けし
こころの祈りを 受け入れたまえや

2)とうとき主のみ名を あがめさせたまえ
みことばを与え われらを清めて
曲がれる道より 離れさせたまえ

3)み国をこの世に きたらせたまえや
聖霊くだして いのちとちからを
われらに満たしめ 宮となしたまえ

4)天のごとく地にも み旨なしたまえ
みちから頼みて 悩みに勝ちつつ
この世の旅路を 進ましめたまえ

5)日ごとの糧(かて)もて われらを養い
病と飢えとを 遠ざけたまえや
安けくみわざに 励ましめたまえ

6)仇(あだ)なす者をも われらが赦せば
われらの罪とが 赦させたまえや
まことの愛もて 世の人に仕えん

7)悪しき試みに われらを会わせず
寄せくる悪魔の 誘いに勝たしめ
聖霊のちからを 豊かに賜えや

8)すべての悪より われらを救いて
とこしえの滅び 逃れさせたまえ
主の手にすべてを 委ねて安らわん

9)アーメン かくあれかし みことばによりて
われら強められ 御名をあがめつつ
疑うことなく 切に祈る アーメン

出典:日本キリスト教団出版局『讃美歌21』(インターネット配信について

2023/09/24

主の祈り(8)国と力と栄えとは

国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。
アーメン。(マタイ6章13節)

 「国と力と栄え」は、古今問わず多くの人々が手に入れようと追い求めているものです。しかし「主の祈り」は、それらのものを「天にいます私たちの父」(マタイ6章9節)である神のものである、という信仰を告白して、祈りを閉じています。
 聖書の神はこのように宣言しています。「わたしはアルファであり、オメガである。最初であり、最後である。初めであり、終わりである。」(黙示録22章13節)あらゆる人が追い求めているもの、また必要としているもののすべては、天地創造の神によって備えられ、完成されます。この神が私たちの祈りを聞き届けてくださる、という確信して祈ることができます。
 「絶えず祈りなさい」(テサロニケ第一5章17節)と勧められています。それは、「あなたがたのうちに良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださる」(ピリピ1章6節)からです。「あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ、主はそれをなしとげ」(詩篇37篇5節、口語訳)てくださるとも言われています。
 ですから、「主の祈り」を絶えず祈りましょう。今まで祈ったすべての言葉を、私たちの父なる神様は聞き届けてくださいます。「それで私たちは、この方によって『アーメン。』と言い、神に栄光を帰するのです。」(コリント第二1章20節)

(日本聖書刊行会『新約聖書 新改訳』1965年版)
※詩篇37篇5節のみ、日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版

2023年9月24日の聖書日課

(写真:ワレモコウ)

黙示録12:7-12
 12:7 さて、天では戦いが起った。ミカエルとその御使たちとが、龍と戦ったのである。龍もその使たちも応戦したが、
 12:8 勝てなかった。そして、もはや天には彼らのおる所がなくなった。
 12:9 この巨大な龍、すなわち、悪魔とか、サタンとか呼ばれ、全世界を惑わす年を経たへびは、地に投げ落され、その使たちも、もろともに投げ落された。
 12:10 その時わたしは、大きな声が天でこう言うのを聞いた、
「今や、われらの神の救と力と国と、
神のキリストの権威とは、現れた。
われらの兄弟らを訴える者、
夜昼われらの神のみまえで彼らを訴える者は、
投げ落された。
 12:11 兄弟たちは、
小羊の血と彼らのあかしの言葉とによって、
彼にうち勝ち、
死に至るまでもそのいのちを惜しまなかった。
 12:12 それゆえに、天とその中に住む者たちよ、
大いに喜べ。
しかし、地と海よ、
おまえたちはわざわいである。
悪魔が、自分の時が短いのを知り、
激しい怒りをもって、
おまえたちのところに下ってきたからである」。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2023/09/17

主の祈り(7)悪より救い出したまえ

わたしたちを試みに会わせないで、
悪しき者からお救いください。
(マタイ6章13節)

 キリストは荒野での断食の最中、悪魔に試みられました(マタイ4章1~11節)。その体験を経て、主の祈りでは「試みや悪しき者からの救い」を祈り求めよと、私たちに教えています。ここでの「試み」とは、私たちを悪事へといざなう誘惑を意味します。そのような誘惑への対処は、誘惑との関係を一切断って遠ざかることです(テサロニケ第一5章22節)。
 しかし、ある種の試みは決して避けることができません。人は訓練ともなるべき試みを通して成長することができます(ヘブル12章11節)。また聖書はこのような約束の言葉も私たちに与えています。「あなたがたの会った試錬で、世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。」(コリント第一10章13節)
 私たちが直面する「試み」にどのような対処すべきか。そのためには、その試みを見極めることが必要です。そのためにも、私たちは耐えられない試みに会うことなく、対処しなければならない試みを受け入れ、正しく対処できるために、主の祈りを今日も唱えましょう。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2023年9月17日の聖書日課

(写真:カリガネソウ)

詩篇91:1-8
 91:1 いと高き者のもとにある
隠れ場に住む人、全能者の陰にやどる人は
 91:2 主に言うであろう、「わが避け所、わが城、
わが信頼しまつるわが神」と。
 91:3 主はあなたをかりゅうどのわなと、
恐ろしい疫病から助け出されるからである。
 91:4 主はその羽をもって、あなたをおおわれる。
あなたはその翼の下に避け所を得るであろう。
そのまことは大盾、また小盾である。
 91:5 あなたは夜の恐ろしい物をも、
昼に飛んでくる矢をも恐れることはない。
 91:6 また暗やみに歩きまわる疫病をも、
真昼に荒す滅びをも恐れることはない。
 91:7 たとい千人はあなたのかたわらに倒れ、
万人はあなたの右に倒れても、
その災はあなたに近づくことはない。
 91:8 あなたはただ、その目をもって見、
悪しき者の報いを見るだけである。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2023/09/10

主の祈り(6)罪をゆるしたまえ

わたしたちに負債のある者をゆるしましたように、
わたしたちの負債をもおゆるしください。
(マタイ6章12節)

 ルカによる福音書の主の祈りでは、「わたしたちに負債のある者を皆ゆるしますから、わたしたちの罪をもおゆるしください」(ルカ11章4節)と言われています。聖書の教える「罪」は、負債や負い目とも言われる、幅広い意味を持つ言葉です。
 罪をゆるすことは、負債を免除してもらうことにたとえられます(マタイ18章23~35節)。しかし、負債免除の恩義を忘れて、そのゆるしの心を否定するような事、すなわち他人の罪をゆるさない者は、ゆるさないという罪を問われることになります。ですから、聖書は「ゆるしてやれ。そうすれば、自分もゆるされるであろう」(ルカ6章37節)と教えています。
 罪をゆるすことは自らの罪がゆるされるための条件ではありません。なぜなら、最初に神のゆるしがあるからです。イエス・キリストは私たちの罪を負って十字架につけられました(ペテロ第一2章22~24節)。私たちの罪がゆるされたからこそ、私たちも他人の罪をゆるすことができます。
 「主もあなたがたをゆるして下さったのだから、そのように、あなたがたもゆるし合いなさい。」(コロサイ3章13節)

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2023年9月10日の聖書日課

(写真:ツリフネソウ)

ルカ6:35-38
 6:35 しかし、あなたがたは、敵を愛し、人によくしてやり、また何も当てにしないで貸してやれ。そうすれば受ける報いは大きく、あなたがたはいと高き者の子となるであろう。いと高き者は、恩を知らぬ者にも悪人にも、なさけ深いからである。
 6:36 あなたがたの父なる神が慈悲深いように、あなたがたも慈悲深い者となれ。
 6:37 人をさばくな。そうすれば、自分もさばかれることがないであろう。また人を罪に定めるな。そうすれば、自分も罪に定められることがないであろう。ゆるしてやれ。そうすれば、自分もゆるされるであろう。
 6:38 与えよ。そうすれば、自分にも与えられるであろう。人々はおし入れ、ゆすり入れ、あふれ出るまでに量をよくして、あなたがたのふところに入れてくれるであろう。あなたがたの量るその量りで、自分にも量りかえされるであろうから」。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2023/09/03

主の祈り(5)日用の糧を与えたまえ

わたしたちの日ごとの食物を、きょうもお与えください。(マタイ6章11節)

 主の祈りで天からの祝福を求めた後、地上に住む私たちの願いとして「日用の糧」を求めるように教えられています。私たちは毎日働き、生活の糧を得て、それを食べて生きています。「日用の糧」のためには当然、そのための働きも必要となります。神は人に対して、人として生きていくために必要なすべてを備えられ、日々の働きの場と、働く力、助けをも与えてくださいます(創世記2章)。
 また「日ごとの食物」のための祈りを、「きょうも」毎日祈るべきことを教えています。私たちは不足することが無いためだけでなく、持て余してしまうことの無いようにも祈るべきです(箴言30章8~9節)。約束の地を目指したイスラエルの民は、毎日天のパンを与えられ、毎日働いてパンを集めるように教えられ、訓練されました(出エジプト16章18節)。
 私たちは日用の糧を求めつつ、日用の糧のために煩わされないように生きるよう導かれています。聖書の神は私たちのすべての必要をご存じであり、私たちに日ごとの糧と働きを十分に備えてくださいます。「だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。」(マタイ6章34節)

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2023年9月3日の聖書日課

(写真:ツルボ)

箴言30:4-9
 30:4 天にのぼったり、下ったりしたのはだれか、
風をこぶしの中に集めたのはだれか、
水を着物に包んだのはだれか、
地のすべての限界を定めた者はだれか、
その名は何か、その子の名は何か、
あなたは確かにそれを知っている。
 30:5 神の言葉はみな真実である、
神は彼に寄り頼む者の盾である。
 30:6 その言葉に付け加えてはならない、
彼があなたを責め、あなたを偽り者とされないためだ。
 30:7 わたしは二つのことをあなたに求めます、
わたしの死なないうちに、これをかなえてください。
 30:8 うそ、偽りをわたしから遠ざけ、
貧しくもなく、また富みもせず、
ただなくてならぬ食物でわたしを養ってください。
 30:9 飽き足りて、あなたを知らないといい、
「主とはだれか」と言うことのないため、
また貧しくて盗みをし、
わたしの神の名を汚すことのないためです。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)