2023/11/12

2023年11月12日3分メッセージ

賛美歌:讃美歌21・227「主のまことは」
聖書:ローマ4:7-16

「不法をゆるされ、罪をおおわれた人たちは、
さいわいである。
罪を主に認められない人は、さいわいである」。
(ローマ4章7~8節)

 聖書は神の約束の書です。神が私たち人類に賜った約束を信じることが信仰です。その信仰が、国も時代も違う人々を一つにします。それゆえに、旧約聖書のアブラハム(創世記12章のアブラム)は「信仰の父」と呼ばれています(ローマ4章12節)。
 聖書は「罪を主に認められない人は、さいわいである」と述べています。しかし、信仰の父アブラハムは必ずしも罪を犯さない人ではありませんでした。しかし、アブラハムの生涯から学ぶことができることがあります。それは、無罪であると認められるには、罪を一切犯さないことではなく、神から罪のゆるしを賜る以外にないことです。「アブラハムは神を信じた。それによって、彼は義と認められた」と聖書は証しています(ローマ4章3節)。
 アブラハムの全生涯は神の約束に導かれていました。神の約束を受けて、故郷を出発し(創世記12章1節)、約束の地に至って留まり(創世記12章7節)、子孫の繁栄を信じ(創世記13章16節)、人ではなく神からの財産を求め(創世記14章23節)、周りの人々とは信仰によって一線を画しました。
 アブラハムは神より「あなたの受ける報いは、はなはだ大きい」との約束を受けました(創世記15章1節)。そのような神の約束による導きに従い、アブラハムは神への信仰を貫き通しました。その結果、アブラハムは約束の子孫を得ることができ(創世記21章)、割礼を特徴とするイスラエル民族が誕生しましたが、それだけでなく彼の信仰にならう信仰の子孫をも数多く得ることになりました。
 「このようなわけで、すべては信仰によるのである。それは恵みによる」と聖書は証しています(ローマ4章16節)。神の約束に満ちた聖書の言葉を受け、信じて神の約束に与る生涯をともに歩みましょう。

 ご一緒にお祈りいたしましょう。
 天の父なる神様。聖書の神は私たちに数々の約束をお与えくださり、御言葉によって導いてくださいます。私たちはアブラハムのように御言葉を信じ、御言葉に従う生涯を歩みたいと思います。どうぞ御言葉の約束の通り、私たちを神の子と認めてくださり、天の祝福に与らせてください。
 イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)