エゼキエル18章31節をお読みします。
あなたがたがわたしに対しておこなったすべてのとがを捨て去り、新しい心と、新しい霊とを得よ。
エゼキエル書は、他国バビロンとの戦いに負け、土地を奪われて捕囚の憂き目にあった「バビロン捕囚」のイスラエル人に語られた言葉です。共に捕囚の身である預言者エゼキエルは、不思議な幻を伴った神の預言の言葉をイスラエル人に語り伝えました(エゼキエル1章1~3節)。
イスラエル人たちは「間もなく母国のイスラエルに帰ることができる」と期待していましたが、その期待は何年も裏切られ続けました。彼らの信仰心は曇り、彼らの言葉は失望のことわざに変わってしまいました(エゼキエル18章2節)。さらに彼らは主なる神に対し、「主のおこないは正しくない」というような文句まで言うようになってしまいました(エゼキエル18章25節)。
イスラエル人たちは目の前の苦境しか考えることができなくなってしまいました。そして、自ら神の民であると自覚しつつも、人をそのおこないによって正しくさばく聖書の神を考えることができなくなってしまったのです(エゼキエル18章30節)。
聖書の神は「何人との死をも喜ばない」神であり、「翻って生きよ」と言われる情け深い神です(エゼキエル18章32節)。しかし、神に選ばれた民であるイスラエル人や、あるいは信仰深いクリスチャンであったとしても、私たち人間は非常な苦難にあった時に、人間として決して忘れてはならない大切なことをも忘れてしまうような弱い存在です。
しかし、聖書の神は私たちの弱さを知ってこのように語られています。「あなたがたがわたしに対しておこなったすべてのとがを捨て去り、新しい心と、新しい霊とを得よ。」神は苦難の最中にある者をも助け出そうとされるお方です。神が与えると約束される「新しい心」(エゼキエル36章26節)を受け取って、私たちは心を改めて神の救いに与りたいと思います。
ご一緒にお祈りいたしましょう。
天の父なる神様。私たちは苦しい状況に追いつめられた時、自らを失ってしまうように物事を正しく見ることができなくなることがあります。そのような時にも、私たちの心を支えてください。神が約束される新しい心、新しい霊によって正しい道に立ち返って歩むことができますように。
イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)