マタイ6章20節をお読みします。
むしろ自分のため、虫も食わず、さびもつかず、また、盗人らが押し入って盗み出すこともない天に、宝をたくわえなさい。
皆様にとっての宝とは何でしょうか。とても高価な財産であるかもしれませんし、高価でなくても自分にとって最高の満足を得られるものかもしれません。あるいは、大切な家族、友人だ、と言われる方もあると思います。
イエス・キリストは宝についていくつかのことを教えています。宝は何であるにしても、「宝のある所には、心もある」(マタイ6章21節)と言っています。言わば宝とは、私たちが大切に思って自らの心を注ぎ出すものです。
だからこそ、自らの心を守るためにも宝について慎重に考えるべきです。もし宝が失われてしまうなら、私たちの心も失われてしまい、人生の意味をも見失ってしまうこともありえます。ですから、キリストは「地上に宝をたくわえてはならない」と教えています(マタイ6章19節)。
聖書の神は私たちの存在そのものを大切に思っておられます。そのために、私たちが日々生きるために必要なものを与えてくださいます。だから、キリストは「思いわずらうな」と語りかけています(マタイ6章25~33節)。この世の生活について思い煩うのではなく、神によって守られており、決して失われることのない天のもので心を満たしなさいという意味で、「天に宝をたくわえなさい」と教えているのです。皆様の日々の生活が聖書の神によって支えられますように。また皆様の心が天の恵みで満たされますように。
ご一緒にお祈りいたしましょう。
天の父なる神様。私たちの住む地上には様々な不安があります。しかし、失われていくものではなく、決して失われることのない、天の恵みに目を止めさせてください。私たちの心の目を明るくしてください(マタイ6章22節)。
イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)