ヨハネ4章36節をお読みします。
刈る者は報酬を受けて、永遠の命に至る実を集めている。まく者も刈る者も、共々に喜ぶためである。
聖書では、大事な真理を伝えるために、農業の例え話が多く語られています。一つ例を挙げると、大きなぶどう園の収穫のために多くの労働者を雇った、というような話もあります(マタイ20章1~16節)。
農業の仕事は非常に多くの労力と時間が必要です。大農場の場合は、一人では仕事を賄いきれず、多くの労働者が必要になってきます。その場合、最初に作物の種をまく人と、最後に作物を刈り取る人が別であることもありえます。それぞれの仕事をしている労働者が、農場のすべての仕事、すべての労働者を把握しきれないこともあるでしょう。
最初にお読みしたたとえ話を語ったイエス・キリストは、私たちが日々生活している人間社会について大事な真理を語っています。特に世界中と常に関わりを持たざるを得ない現代社会は、社会全体を把握することは極めて困難です。また、お互い同士がいつも変わらず信頼し合って生活しているという訳でもありません。時に人から手痛い仕打ちを受けて、社会から離れていたいと思うこともあると思います。
キリストは、聖書の神は「収穫の主」であり、神に助けを祈り求めよ、と語っています(マタイ9章38節)。聖書の神はこの世界を導く主人であり、たとえ世界で生きる人々が異なった立場に立とうとも、「共々に喜ぶため」に世界全体を導かれるお方です。世界の混乱した部分に目を留めるのではなく、世界の主である神に目を留められますようお勧めします。
皆様が「永遠の命」に満たされて日々を過ごすことができますよう、お祈りいたします。
天の父なる神様。私たちは日ごとの糧を得るために、日々それぞれの働きをしています。しかし、私たちはたった一人で生きている訳ではありません。収穫の主であられる神様。様々な人間関係に悩む私たちをお助けくださり、共々に喜びながら日々を過ごすことができますよう、私たちをお導きください。
イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)