イザヤ62章2節をお読みします。
もろもろの国はあなたの義を見、もろもろの王は皆あなたの栄えを見る。そして、あなたは主の口が定められる新しい名をもってとなえられる。
生まれてきた子どもに名前をつけること。その名前には、その子により良く成長してほしいという親の願いが込められています。
一方で私たちは、あまりよく知らない人に対してでも、見た目などわずかに知っているところでその人を勝手に判断して、あだ名をつけてしまうことがあります。
イザヤ62章では、神の民の都であるエルサレムに対し、神が新しい名前をつけることが語られています。そこには神が神の民を愛していること、子どもに良いものを与えたいという神の熱い思いが込められています。
それと同時に、その名前は神の民の性質をも表すものです。つまり、神の民はほかの国の人々から見て義であること、すなわち正しい民であり、栄えている民であるということです。
人からつけられるあだ名の場合は、偏見である場合も、事実である場合もあることでしょう。しかし、聖書の神がつける新しい名前は、名づけ親である神が責任をもってその通りにされます。神は神の民を正しく、栄えるように、休まず働きかけられるのです(イザヤ62章1節)。
神は新しい名前をつけた民を、自分の子どもとして喜ばれます(イザヤ62章5節)。そして、神自らの誇りとして神の民を王冠のように高く上げられます(イザヤ62章3節)。私たちも、「神に愛されている子供として、神にならう者になり」たいと思います(エペソ5章1節)。
お祈りいたしましょう。
天の父なる神様。あなたは私たちを喜ばれ、私たちを高く引き上げてくださいます。この聖書の約束をしっかり握って、神にならう者になりたいと思います。どうぞお導きください。
イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)