2023/04/23

2023年4月23日3分メッセージ



 詩篇4篇6節をお読みします。
多くの人は言う、「どうか、わたしたちに良い事が見られるように。主よ、どうか、み顔の光をわたしたちの上に照されるように」と。

 「どうか、わたしたちに良い事が見られるように。」この言葉は、すべての人の心にある祈りの言葉ではないでしょうか。しかし、「良い事」の中身は、人それぞれであるでしょう。
 私たち、人間が悩む時に神頼みすることは自然なことだと思います。日ごとの糧にありつき、安らかに眠りにつくことは(詩篇4篇7~8節)、いざ食物や安眠にありつけなくなる時に、そのありがたみに改めて気づかされるものです。それらの物事を決して当たり前と思ってはなりません。生活の必要のために祈ることは、とても大事なことです。
 聖書が教える「良い事」とは、状況や立場によって中身の変わるものではありません。それは、私たちめいめいが勝手に思い描く「正義」ではなく、「わたしたち」、人類全体にとって益となるような「正義」であり、「わたしたち、みんなの正義」です。その「義を助け守られる神」(詩篇4篇1節)に寄り頼んで祈るように、聖書は私たちに勧めています。「主はわたしが呼ばわる時におききくださる。」(詩篇4篇3節)と。
 ですから、正義の神に寄り頼む者としてふさわしいかどうか自らを省みて(詩篇4篇4~5節)、そして感謝をもって祈り求めましょう。「わたしたちの日ごとの食物を、きょうもお与えください。」(マタイ6章11節)と。

 ご一緒にお祈りいたしましょう。
 天の父なる神様。私たちの心の内にある祈りを、「主はおききくださる」と私たちは教えられました。私たちの正義を守られる神様に「良い事」を祈り求めます。どうか私たちに正義の光を照らし、私たちの人生の歩みを導いてください。
 イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)