2021/01/03

2021年1月3日3分メッセージ



 エレミヤ31章15節をお読みします。
主はこう仰せられる、「嘆き悲しみ、いたく泣く声がラマで聞える。ラケルがその子らのために嘆くのである。子らがもはやいないので、彼女はその子らのことで慰められるのを願わない」。

 預言者エレミヤが、イスラエル人のバビロン捕囚に関連して、この言葉を語りました。
 イスラエル王国はバビロン王国に戦いで負け、多くの人々が殺され、またイスラエルのラマの町から、はるか東のバビロンへと連れ去られました(エレミヤ40章1節)。その状況を、イスラエル人の先祖であるラケル(創世記46章19節)が見るならば、彼女の嘆きはどれほどの深さであるでしょうか。
 このエレミヤの言葉は、最初のクリスマスの後に起きた出来事を説明するため、マタイの福音書でも引用されています。その時、イスラエルの王ヘロデはキリストを殺そうとして、多くの男の子を虐殺しました(マタイ2章16~18節)。
 このような災いに遭った人々の嘆きは、どれほどのものであったでしょうか。エレミヤの言葉は、災いに遭った人々が「慰められるのを願わない」と言っています。私たちが経験する嘆きは、何一つとして他人と比べられるものはありません。しかし、聖書の神は「慰められるのを願わない」人々に、「あなたは泣く声をとどめ」よと語りかけています(エレミヤ31章16節)。
 私たちは今日も、様々な痛みや嘆きを心に抱えて生きています。しかし、私たちは一人ぼっちではありません。私たちの心の嘆きを聞き、私たちに将来と希望を与えてくださる神様がおられます(エレミヤ29章11節)。新しい年に新しい天からの恵みを頂いて歩みだしてまいりましょう。

 ご一緒にお祈りいたしましょう。
 天の父なる神様。新しい一年が始まりましたが、私たちの世界は深い悩みや悲しみを抱えたままで今日という日を過ごしています。私たちは明確な将来を見いだせていませんが、私たちの思いにまさる、天からの知恵をもって私たちを導いてください。私たちに災いではなく平安を与えてください。
 イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)