わたしたちの日ごとの食物を、きょうもお与えください。(マタイ6章11節)
主の祈りで天からの祝福を求めた後、地上に住む私たちの願いとして「日用の糧」を求めるように教えられています。私たちは毎日働き、生活の糧を得て、それを食べて生きています。「日用の糧」のためには当然、そのための働きも必要となります。神は人に対して、人として生きていくために必要なすべてを備えられ、日々の働きの場と、働く力、助けをも与えてくださいます(創世記2章)。
また「日ごとの食物」のための祈りを、「きょうも」毎日祈るべきことを教えています。私たちは不足することが無いためだけでなく、持て余してしまうことの無いようにも祈るべきです(箴言30章8~9節)。約束の地を目指したイスラエルの民は、毎日天のパンを与えられ、毎日働いてパンを集めるように教えられ、訓練されました(出エジプト16章18節)。
私たちは日用の糧を求めつつ、日用の糧のために煩わされないように生きるよう導かれています。聖書の神は私たちのすべての必要をご存じであり、私たちに日ごとの糧と働きを十分に備えてくださいます。「だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。」(マタイ6章34節)
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)