ヨハネ18章37節をお読みします。
そこでピラトはイエスに言った、「それでは、あなたは王なのだな」。イエスは答えられた、「あなたの言うとおり、わたしは王である。わたしは真理についてあかしをするために生れ、また、そのためにこの世にきたのである。だれでも真理につく者は、わたしの声に耳を傾ける」。
今週は、イエス・キリストがローマ帝国の代官、ポンテオ・ピラトの命令によって十字架にかけられたことを記念する受難週にあたります。
キリストを捕らえてピラトのもとに送ったのは、キリストと同族の民であるユダヤ人たちでした。ユダヤ人にはユダヤ人の王がいましたが、ユダヤの王国はローマ帝国の支配下にあり、死刑等の重大な決定はローマ帝国の指示を仰がなければなりませんでした(ヨハネ18章31節)。
ユダヤ人たちは「この人はユダヤ人の王と自称していた」(ヨハネ19章21節)と言ってキリストを訴えました。そのため、ピラトはキリストに対し、王であるかどうかを尋ねたのでした。しかし、ピラトの本音は、支配民たちの面倒ごとから早く逃れたいというものでした(ヨハネ18章38節)。
ピラトの尋問に対し、キリストは自分の支配する王国が地上のものではなく、ローマ帝国やユダヤ王国に反逆するものではないことを語ります(ヨハネ18章36節)。しかし、キリストは言うなれば「真理をあかしする王」であり、キリストの王国の民は彼の真理の言葉に聞き従う者であると言うことになります。キリストの王国民とは、すなわちクリスチャンのことです(第一ペテロ2章9節)。
このことからわかる通り、イエス・キリストの十字架の死はピラトの願う所ではありませんでした。そのことは、キリストが予告した言葉の通りに実現したことであり、それは全人類の救いを目的とした神の意志に基づくことです(ヨハネ3章17節)。
キリストが十字架で苦しまれたのは、様々な悩みに苦しんでいる私たち人類のためです。今日も私たちが抱いている様々な苦しみを思いつつ、イエス・キリストの救いを求めてお祈りいたしましょう。
天の父なる神様。今この時も、世界中の人々が様々な悩み、苦しみに喘ぎつつ、キリストの受難週を迎えています。キリストはこう語られました。「わたしは道であり、真理であり、命である」(ヨハネ14章6節)。私たちはこの言葉を真理であると信じて、キリストによる救いを求めます。
イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)