2023/01/30

2023年2月5日の聖書日課

(写真:ストレリチア)

箴言3:1-8
 3:1 わが子よ、わたしの教を忘れず、
わたしの戒めを心にとめよ。
 3:2 そうすれば、これはあなたの日を長くし、
命の年を延べ、あなたに平安を増し加える。
 3:3 いつくしみと、まこととを捨ててはならない、
それをあなたの首に結び、心の碑にしるせ。
 3:4 そうすれば、あなたは神と人との前に
恵みと、誉とを得る。
 3:5 心をつくして主に信頼せよ、
自分の知識にたよってはならない。
 3:6 すべての道で主を認めよ、
そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。
 3:7 自分を見て賢いと思ってはならない、
主を恐れて、悪を離れよ。
 3:8 そうすれば、あなたの身を健やかにし、
あなたの骨に元気を与える。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2023/01/29

2023年1月29日3分メッセージ



 ルカ21章2節、3節をお読みします。
ある貧しいやもめが、レプタ二つを入れるのを見て言われた、「よく聞きなさい。あの貧しいやもめはだれよりもたくさん入れたのだ。」

 イエス・キリストは、エルサレムの神殿の前で行われた出来事を引き合いに出して人々を教えました。引き合いに出した一方は金持ちの献金(ルカ21章1節)、もう一方は貧しいやもめの献金でした。
 神殿の入口には献金を入れるさいせん箱があり、集められた献金は神殿の修繕のために用いられました(列王紀下12章9~12節)。キリストの時代の神殿も、イスラエルの王様や金持ちたちの多額の献金が捧げられて、豪華な石や貴金属できらびやかに飾られていました(ルカ21章5節)。
 しかし、キリストはこのように言いました。「あなたがたはこれらのものをながめているが、その石一つでもくずされずに、他の石の上に残ることもなくなる日が、来るであろう」(ルカ21章6節)実際にその時から数十年後、イスラエルの国はローマ帝国により滅ぼされ(第一次ユダヤ戦争)、神殿は徹底的に破壊されました。
 エルサレムの繁栄はわずかな期間で消え去りました。しかし、聖書の神への信仰は滅びることなく、キリストの言葉とともにクリスチャンたちの信仰の行いは今でも語り続けられています(マルコ14章9節)。聖書はこのように言って証ししています。「いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。」(コリント第一13章13節)

 ご一緒にお祈りいたしましょう。
 天の父なる神様。あなたは私たちのような小さい者をも顧みてくださり、真心からの切なる祈りに耳を傾けてくださることを感謝します。「わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注」ぎます(コリント第二4章18節)。偽りの、一時的なものに目を止めるのではなく、真実であり、永遠に続くものをしっかりと見続けることができますように。
 イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

讃美歌21・474「わが身の望みは」

1)わが身の望みは 十字架の主にあり
主イエスのほかには よるべきものなし
(おりかえし)
われらのイエスこそ 救いの岩なれ
救いの岩なれ

2)風いとはげしく 波たつ闇夜も
みもとに錨(いかり)を おろして安らわん
(おりかえし)

3)この世の望みの 消えゆく時にも
心は動かじ み誓い頼めば
(おりかえし)

4)終わりの知らせの ラッパの音(ね)聞く時
主の義をまといて み前にわれ立たん
(おりかえし)

アーメン

出典:日本キリスト教団出版局『讃美歌21』(インターネット配信について

2023/01/23

2023年1月29日の聖書日課

(写真:ビオラ)

ルカ21:1-6
 21:1 イエスは目をあげて、金持たちがさいせん箱に献金を投げ入れるのを見られ、
 21:2 また、ある貧しいやもめが、レプタ二つを入れるのを見て
 21:3 言われた、「よく聞きなさい。あの貧しいやもめはだれよりもたくさん入れたのだ。
 21:4 これらの人たちはみな、ありあまる中から献金を投げ入れたが、あの婦人は、その乏しい中から、持っている生活費全部を入れたからである」。
 21:5 ある人々が、見事な石と奉納物とで宮が飾られていることを話していたので、イエスは言われた、
 21:6 「あなたがたはこれらのものをながめているが、その石一つでもくずされずに、他の石の上に残ることもなくなる日が、来るであろう」。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2023/01/22

2023年1月22日3分メッセージ



 詩篇111篇1節をお読みします。
主をほめたたえよ。わたしは正しい者のつどい、および公会で、心をつくして主に感謝する。

 「主をほめたたえよ」という言葉は、聖書の元々の言葉であるヘブル語では「ハレルヤ」と言います。聖書の中では、ハレルヤは神を賛美する言葉として用いられています(黙示録19章1節)。
 ハレルヤという言葉は、時々一般の歌謡曲でも使われることがありますが、ほとんどの場合、喜びの叫び声として歌われているようです。本来の出所である聖書でも、ハレルヤは神の救いのわざに対する感謝の言葉として用いられ、数多くの賛美歌の中で歌われています(詩篇111篇1~2節)。
 聖書の中でハレルヤと賛美する人々は、神の救いのわざを自分自身で体験しています。救いの神が確かにおられること、神の救いは失せることなく、今も、これからも体験することができるのだ、ということを喜びをもって歌っているのです(詩篇111篇3節)。それに留まらず、自らが体験した救いを他の人々にも伝えたいと願い、「主をほめたたえよ」と歌って人々に神の救いのわざを訴えかけているのです。
 この救われたことの喜びが多くの人々に、ハレルヤの輪と共に広まりますように。ハレルヤの賛美は、広がりつつある喜びの輪です。皆様のもとにもこの喜びが伝わりますようにと願います。

 ご一緒にお祈りいたしましょう。
 天の父なる神様。時々街中でも聞こえてくる賛美歌は、神の救いに与ったことの喜びを伝えています。「ハレルヤ」の賛美と共に、天から降り注ぐ喜びがこの地に満ちますように。私たちも、ハレルヤの大きな喜びの輪の中に加わることができますように。
 イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

讃美歌21・156「目を上げわたしは見る」

1)目を上げ わたしは見る 山々
助けはどこから来る わたしに
天と地を造られた
み神のもとから来る

2)見よ 主はゆくべき道 示して
よろめく弱い足を 支える
主はつねに まどろまず
眠らず 民を守る

3)あなたを見守る方 み神は
あなたをつねに覆う 右の手
昼は太陽 夜は月
あなたを苦しめない

4)み神は 災いみな遠ざけ
あなたの魂をも 見守る
旅立つ日 帰る日も
今より とこしえまで

アーメン

出典:日本キリスト教団出版局『讃美歌21』(インターネット配信について

2023/01/16

2023年1月22日の聖書日課

(写真:キダチアロエ)

詩篇111篇
 111:1 主をほめたたえよ。
わたしは正しい者のつどい、および公会で、
心をつくして主に感謝する。
 111:2 主のみわざは偉大である。
すべてそのみわざを喜ぶ者によって尋ね窮められる。
 111:3 そのみわざは栄光と威厳とに満ち、
その義はとこしえに、うせることがない。
 111:4 主はそのくすしきみわざを記念させられた。
主は恵みふかく、あわれみに満ちていられる。
 111:5 主はおのれを恐れる者に食物を与え、
その契約をとこしえに心にとめられる。
 111:6 主はもろもろの国民の所領をその民に与えて、
みわざの力をこれにあらわされた。
 111:7 そのみ手のわざは真実かつ公正であり、
すべてのさとしは確かである。
 111:8 これらは世々かぎりなく堅く立ち、
真実と正直とをもってなされた。
 111:9 主はその民にあがないを施し、
その契約をとこしえに立てられた。
そのみ名は聖にして、おそれおおい。
 111:10 主を恐れることは知恵のはじめである。
これを行う者はみな良き悟りを得る。
主の誉は、とこしえに、うせることはない。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2023/01/15

2023年1月15日3分メッセージ



 出エジプト18章19節をお読みします。
今わたしの言うことを聞きなさい。わたしはあなたに助言する。どうか神があなたと共にいますように。

 モーセは神の命令に従い、エジプトで奴隷とされていたイスラエル人を導き出しました(出エジプト13章3節)。しかし、神が与えると約束した地(出エジプト6章8節)に至るまでは、イスラエル人は長く苦しい旅を続けなければなりませんでした。モーセは、人々の間に起きた争い事を収めるため、人々からの訴えを一人で受けて、裁いていました(出エジプト18章13~16節)。
 モーセたちがエジプトを出た後、旅路の途中でモーセの舅(しゅうと)であるエテロが出迎えにやって来ました(出エジプト18章1~12節)。そして、モーセがイスラエルの人々を朝から晩まで一人で仲裁し続けているのを見て、その問題点を指摘して役割分担すべきことを助言しました(出エジプト18章13~23節)。モーセはエテロの指摘を素直に受け入れ、助言に従って役割分担を実行しました(出エジプト18章24~26節)。
 モーセは人々を導く実力を持ち合わせた人物でしたが、何よりも優れていたのは、他人からの言葉に耳を傾け、良い助言は素直に従う心を持っていたことでした。「モーセはその人となり柔和なこと、地上のすべての人にまさっていた」(民数記12章3節)と言われています。この柔和で謙遜な心は、今日の私たちも聖書から学ぶべき第一のものです。
 モーセ自身、若いころは自分自身の力に頼って人々を救おうと実行しましたが、良い結果を得られず、人々からも憎まれる結果となって失敗したことがあります(出エジプト2章11~15節)。聖書の神は殊更に力のある者を選んで祝福される訳ではありません(申命記7章7節)。神の祝福は、むしろ神の教えを聞き入れ、素直に従う者に与えられます(申命記11章27節)。
 しかし、柔和で謙遜な心は簡単に身につくものではありません。イエス・キリストは私たちにこのように言って招いています。「わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが得られるであろう。」(マタイ11章29節)

 ご一緒にお祈りいたしましょう。
 天の父なる神様。私たちはあまりに多くの仕事に没頭させられ、特に人間関係に悩むことが多くあります。そのような中でも、人々の声に耳を傾け、正しい事に従う心を与えてください。格別に天からの知恵を教えてください。
 イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

讃美歌21・449「千歳の岩よ」

1)千歳の岩よ わが身を囲め
裂かれし脇の 血潮と水に
罪もけがれも 洗いきよめよ

2)かよわき我は おきてに耐えず
燃ゆる心も たぎつ涙も
罪をあがなう 力はあらず

3)十字架のほかに 頼むかげなき
わびしき我を 憐れみたまえ
み救い無くば 生くるすべなし

4)世にあるうちも 世を去る時も
知らぬ陰府(よみ)にも さばきの日にも
千歳の岩よ わが身を囲め

アーメン

出典:日本キリスト教団出版局『讃美歌21』(インターネット配信について

2023/01/09

2023年1月15日の聖書日課

(写真:フユシラズ)

出エジプト18:13-24
 18:13 あくる日モーセは座して民をさばいたが、民は朝から晩まで、モーセのまわりに立っていた。
 18:14 モーセのしゅうとは、彼がすべて民にしていることを見て、言った、「あなたが民にしているこのことはなんですか。あなたひとりが座し、民はみな朝から晩まで、あなたのまわりに立っているのはなぜですか」。
 18:15 モーセはしゅうとに言った、「民が神に伺おうとして、わたしの所に来るからです。
 18:16 彼らは事があれば、わたしの所にきます。わたしは相互の間をさばいて、神の定めと判決を知らせるのです」。
 18:17 モーセのしゅうとは彼に言った、「あなたのしていることは良くない。
 18:18 あなたも、あなたと一緒にいるこの民も、必ず疲れ果てるであろう。このことはあなたに重過ぎるから、ひとりですることができない。
 18:19 今わたしの言うことを聞きなさい。わたしはあなたに助言する。どうか神があなたと共にいますように。あなたは民のために神の前にいて、事件を神に述べなさい。
 18:20 あなたは彼らに定めと判決を教え、彼らの歩むべき道と、なすべき事を彼らに知らせなさい。
 18:21 また、すべての民のうちから、有能な人で、神を恐れ、誠実で不義の利を憎む人を選び、それを民の上に立てて、千人の長、百人の長、五十人の長、十人の長としなさい。
 18:22 平素は彼らに民をさばかせ、大事件はすべてあなたの所に持ってこさせ、小事件はすべて彼らにさばかせなさい。こうしてあなたを身軽にし、あなたと共に彼らに、荷を負わせなさい。
 18:23 あなたが、もしこの事を行い、神もまたあなたに命じられるならば、あなたは耐えることができ、この民もまた、みな安んじてその所に帰ることができよう」。
 18:24 モーセはしゅうとの言葉に従い、すべて言われたようにした。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2023/01/08

2023年1月8日3分メッセージ



 使徒10章34節、35節をお読みします。
神は人をかたよりみないかたで、神を敬い義を行う者はどの国民でも受けいれて下さることが、ほんとうによくわかってきました。

 キリストの十二人の使徒の一人であり、キリストが天に上げられた後の教会を支えた指導者の一人であるペテロ(使徒2章14節)は、キリストの福音をイスラエル人以外の外国人(異邦人)に伝える役目を果たしました。しかし、そのことは彼の計画によることではなく、神の導きによることでした。
 キリスト教はヨーロッパ発祥の宗教ではなく、西アジアのイスラエルから始まった宗教です。キリストは、長い歴史を経てイスラエルに定着したユダヤ人、すなわちイスラエル人から出ました。キリストの使徒たちは全員がイスラエル人でした。
 彼らはイスラエルの国の中で生活しましたが、当時のイスラエルはローマ帝国の支配の下にあり、多くのイスラエル人が日々の生活の中で他国の言葉を使い、他国の人々と取引をするような多国籍社会で生きてきました。このことは現代の日本に生きる私たちの生活に通ずるところがあります。
 使徒10章において、イスラエル人のペテロが他国人のコルネリオから教えを求められたことは、ペテロに大きなためらいをもたらしました(使徒10章28節)。しかし、ペテロとコルネリオを引き合わせたのは人ではなく、神の思し召しによることでした(使徒10章19~20節)。ペテロは不思議に思いながら神の導きに従ってコルネリオに会いに出て行き、コルネリオの話を聞いて初めて神の思し召しを理解したのでした。すなわち、キリストの福音はイスラエル人だけのものではなく、神の救いを求めるすべての国民に与えられたものであるということです(マタイ28章19節)。
 イエス・キリストは今日も私たちにこのように言って招いています。「見よ、わたしは戸の外に立って、たたいている。だれでもわたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしはその中にはいって彼と食を共にし、彼もまたわたしと食を共にするであろう。」(黙示録3章20節)

 ご一緒にお祈りいたしましょう。
 天の父なる神様。私たちは目先の出来事にこだわってしまい、その先にある出来事に気づかないことがよくあります。しかし、神はその先まで見通され、すべての国民を受けいれてくださるおかたであることを知りました。私たちも神の導きに従い、新しい世界を受けいれ、神の祝福を共に分かち合う広い心を与えてください。
 イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

讃美歌21・495「静けき祈りの」

1)静けき祈りの 時はいと楽し
悩みある世より われを呼びいだし
み神のもとへと すべての願いを
携えいたりて つぶさに告げしむ

2)静けき祈りの 時はいと楽し
さ迷い出(い)でたる われを呼び返し
あやうき道より ともない帰りて
試むる者の 罠を逃れしむ

3)静けき祈りの 時はいと楽し
そびゆるピスガの 山のたかねより
ふるさと眺めて 登りゆく日まで
慰めを与え 喜びを満たす

アーメン

出典:日本キリスト教団出版局『讃美歌21』(インターネット配信について

2023/01/02

2023年1月8日の聖書日課

(写真:コトネアスター)

使徒10:30-36
 10:30 これに対してコルネリオが答えた、「四日前、ちょうどこの時刻に、わたしが自宅で午後三時の祈をしていますと、突然、輝いた衣を着た人が、前に立って申しました、
 10:31 『コルネリオよ、あなたの祈は聞きいれられ、あなたの施しは神のみ前におぼえられている。
 10:32 そこでヨッパに人を送ってペテロと呼ばれるシモンを招きなさい。その人は皮なめしシモンの海沿いの家に泊まっている』。
 10:33 それで、早速あなたをお呼びしたのです。ようこそおいで下さいました。今わたしたちは、主があなたにお告げになったことを残らず伺おうとして、みな神のみ前にまかり出ているのです」。
 10:34 そこでペテロは口を開いて言った、「神は人をかたよりみないかたで、
 10:35 神を敬い義を行う者はどの国民でも受けいれて下さることが、ほんとうによくわかってきました。
 10:36 あなたがたは、神がすべての者の主なるイエス・キリストによって平和の福音を宣べ伝えて、イスラエルの子らにお送り下さった御言をご存じでしょう。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2023/01/01

2023年の志村キリスト教会


 志村キリスト教会は、2023年も1月1日(日)の元旦礼拝から始まりました。今年はいくらかでもコロナ前の教会活動の再開を目指してまいります。

 2023年の主な特別集会は以下の通りです。
        4月9日(日) イースター礼拝
        6月(期日未定) 献堂69周年記念礼拝
        12月24日(日) クリスマス礼拝

 定例集会は当面、以下の通り短縮集会を継続します。感染対策は継続します。
        
主日礼拝:毎週日曜日 午前10:30~11:30
        祈祷会:毎週木曜日 午後2:00~3:00

 ホームページの更新予定は以下の通りです。
        賛美歌カラオケ:毎週日曜日 午前12時公開
        3分メッセージ:
毎週日曜日 午後12時公開
        聖書日課(次週の聖書箇所):毎週月曜日 午前12時公開

 今年もよろしくお願いいたします。新年の祝福をお祈りします(牧師・横山唯一)。

2023年1月1日3分メッセージ



 ルカ2章31節、32節をお読みします。
この救はあなたが万民のまえにお備えになったもので、異邦人を照す啓示の光、み民イスラエルの栄光であります

 志村キリスト教会では、過ぎる2022年もイエス・キリストの栄光に輝いたクリスマスを迎え、今日、喜びの中で2023年を迎えることができました。クリスマスは正に聖書の言葉が明らかにしている通りの出来事です。「暗やみの中に歩んでいた民は大いなる光を見た。暗黒の地に住んでいた人々の上に光が照った。」(イザヤ9章2節)
 キリストの誕生から八日が過ぎ、両親は御使の告げたとおりに幼な子をイエスと名づけ、聖書の教えに従って(レビ記12章)幼な子の初宮参りのためエルサレムの神殿に上りました。そこで彼らはシメオンやアンナという人々に会い、キリストに関わる啓示の言葉を受けたのでした(ルカ2章21~38節)。彼らとの出会いは偶然ではなく、神の霊である聖霊の導きによることでした(ルカ2章26節)。聖霊に導かれる人々は平和の道に導かれ(ルカ1章79節)、まことの道へと導かれます(ヨハネ16章13節)。
 イエス・キリストは、暗やみにさまよう私たちに光を照らし、私たちを正しい道へと導くためにこの世に来られました。新しい年の始まりにあたり、行くべき道を示す正しい教えに従って一歩を踏み出してまいりましょう。キリストは言われます。「わたしは道であり、真理であり、命である。」(ヨハネ14章6節)

 ご一緒にお祈りいたしましょう。
 天の父なる神様。私たちは今日、生かされ、支えられて新しい年を迎えることができました。私たちの目の前に踏み出すべき道が備えられていることを信じ、感謝いたします。どうぞ私たちの行くべき道に光を照らし(詩篇119篇105節)、まだ見ぬ新しい道に踏み出す勇気を与えてください。
 イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2023年1月1日の聖書日課

(写真:ハボタン)

ルカ2:25-32
 2:25 その時、エルサレムにシメオンという名の人がいた。この人は正しい信仰深い人で、イスラエルの慰められるのを待ち望んでいた。また聖霊が彼に宿っていた。
 2:26 そして主のつかわす救主に会うまでは死ぬことはないと、聖霊の示しを受けていた。
 2:27 この人が御霊に感じて宮にはいった。すると律法に定めてあることを行うため、両親もその子イエスを連れてはいってきたので、
 2:28 シメオンは幼な子を腕に抱き、神をほめたたえて言った、
 2:29 「主よ、今こそ、あなたはみ言葉のとおりに
この僕を安らかに去らせてくださいます、
 2:30 わたしの目が今あなたの救を見たのですから。
 2:31 この救はあなたが万民のまえにお備えになったもので、
 2:32 異邦人を照す啓示の光、
み民イスラエルの栄光であります」。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

讃美歌21・24「たたえよ主の民」

たたえよ 主の民
みつかいと共に
恵みにあふれる
父 子 聖霊を
アーメン

出典:日本キリスト教団出版局『讃美歌21』(インターネット配信について