2022/10/31

2022年11月6日の聖書日課

(写真:キク)

ルカ3:1-9
 3:1 皇帝テベリオ在位の第十五年、ポンテオ・ピラトがユダヤの総督、ヘロデがガリラヤの領主、その兄弟ピリポがイツリヤ・テラコニテ地方の領主、ルサニヤがアビレネの領主、
 3:2 アンナスとカヤパとが大祭司であったとき、神の言が荒野でザカリヤの子ヨハネに臨んだ。
 3:3 彼はヨルダンのほとりの全地方に行って、罪のゆるしを得させる悔改めのバプテスマを宣べ伝えた。
 3:4 それは、預言者イザヤの言葉の書に書いてあるとおりである。すなわち
「荒野で呼ばわる者の声がする、
『主の道を備えよ、
その道筋をまっすぐにせよ』。
 3:5 すべての谷は埋められ、
すべての山と丘とは、平らにされ、
曲ったところはまっすぐに、
わるい道はならされ、
 3:6 人はみな神の救を見るであろう」。
 3:7 さて、ヨハネは、彼からバプテスマを受けようとして出てきた群衆にむかって言った、「まむしの子らよ、迫ってきている神の怒りから、のがれられると、おまえたちにだれが教えたのか。
 3:8 だから、悔改めにふさわしい実を結べ。自分たちの父にはアブラハムがあるなどと、心の中で思ってもみるな。おまえたちに言っておく。神はこれらの石ころからでも、アブラハムの子を起すことができるのだ。
 3:9 斧がすでに木の根もとに置かれている。だから、良い実を結ばない木はことごとく切られて、火の中に投げ込まれるのだ」。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2022/10/30

モーセの十戒 第五戒



 モーセの十戒の第五の戒め、出エジプト20章12節をお読みします。
あなたの父と母を敬え。

 モーセの十戒の十の戒めは、神との関係についての戒め(第一~四戒)と、人間関係についての戒め(第五~十戒)の、大きく二つに分けることができます。その人間関係の戒めの最初として、第五の戒めは「あなたの父と母を敬え」と命じています。親子関係はあらゆる人間関係の中でも最も身近なものです。
 時代により、またそれぞれの家庭により、親子の関係は大きな違いがあります。しかし、人々の社会での役割が完全に調和した時代、あるいは完全に平等な人間関係が保証された時代は、今までの人類の歴史の中で存在したことがありません。あらゆる人間関係はどこかに歪みがありうるものです。奴隷(出エジプト20章10節の「しもべ」の真意)のような、人間関係に明らかな不平等の存在するモーセの時代に、十戒は正しい人間関係について教え、戒めています。
 正しい人間関係は一方的ではないことも聖書は教えています(エペソ6章1~4節)。しかし、正しい人間関係を築くためには、自分の方から関係を正していかなければなりません。「あなたの父と母を敬え。」神は御言葉に従う者を豊かに祝福してくださいます。

 ご一緒にお祈りいたしましょう。
 天の父なる神様。聖書は私たちに「あなた自身のようにあなたの隣人を愛さなければならない。」(レビ19章18節)と命じています。これは神様が命じられた戒めですから、私たちは御言葉に従ってまいります。どうぞ御言葉に伴う約束を、互いに愛し合うことのできる愛を、また命の祝福を私たちに与えてください。
 イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2022/10/29

讃美歌21・27「父・子・聖霊の」

父 子 聖霊の ひとりの主よ
栄えと力は ただ主にあれ
とこしえまで アーメン

出典:日本キリスト教団出版局『讃美歌21』(インターネット配信について

2022/10/24

2022年10月30日の聖書日課

(写真:ミセバヤ)

ローマ5:17-21
 5:17 もし、ひとりの罪過によって、そのひとりをとおして死が支配するに至ったとすれば、まして、あふれるばかりの恵みと義の賜物とを受けている者たちは、ひとりのイエス・キリストをとおし、いのちにあって、さらに力強く支配するはずではないか。
 5:18 このようなわけで、ひとりの罪過によってすべての人が罪に定められたように、ひとりの義なる行為によって、いのちを得させる義がすべての人に及ぶのである。
 5:19 すなわち、ひとりの人の不従順によって、多くの人が罪人とされたと同じように、ひとりの従順によって、多くの人が義人とされるのである。
 5:20 律法がはいり込んできたのは、罪過の増し加わるためである。しかし、罪の増し加わったところには、恵みもますます満ちあふれた。
 5:21 それは、罪が死によって支配するに至ったように、恵みもまた義によって支配し、わたしたちの主イエス・キリストにより、永遠のいのちを得させるためである。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2022/10/23

2022年10月23日(日) 教会近況


  今年の秋は過ごしやすい日が続き、紅葉もゆっくり進んでいます。志村キリスト教会の近況についてお知らせします。

1)定例集会は以下の通り、感染対策の特別スケジュールを継続しています。

        主日礼拝: 毎週日曜日 午前10:30~11:30
        祈祷会:  毎週木曜日 午後 2:00~ 3:00

2)ホームページでは、以下のコンテンツを公開しましたのでご利用ください。

        聖書日課聖書の植物(完結)、モーセの十戒(更新中)、賛美歌カラオケ

 季節の変わり目にご健康も守られますようにお祈りしています。

モーセの十戒 第四戒



 モーセの十戒の第四の戒め、出エジプト20章8節をお読みします。
安息日を覚えて、これを聖とせよ。

 聖書の神は天地創造の神であり、秩序正しく創造の働きをなし、世界を完成させた後、働きを休まれました(創世記1~2章)。イスラエル人はこのことにならって、六日間の働きの後、七日目すなわち土曜日を安息日として神に礼拝をささげました(出エジプト20章9~10節)。クリスチャンはイスラエル人にならって、イエス・キリストが復活して救いの働きを完成させた日曜日に、教会に集まって礼拝をささげています。
 第四の戒めの「安息日を覚えて」とは、日々働く私たち人間に必要な休みを与えることであり、人間に健康的な生活を保障する戒めです(マタイ11章28節)。しかし、神は人間と同じように疲れて、休みが必要となる訳ではありません。むしろ、人が疲れて働けない時に、神は絶えず働かれて人間のために救いの奇跡を行われます(詩篇121篇4節)。
 また、安息日は休日であるとともに聖なる日であり、神の特別な祝福に与ることのできる日です(出エジプト20章11節)。ですから、私たちは安息日に神の救いの働きを求めて、人の働きを休ませて神を見上げる礼拝をささげたいと思います。

 ご一緒にお祈りいたしましょう。
 天の父なる神様。私たち人間を休ませるため、また私たちを神の特別な祝福に与らせるために、安息日を与えてくださったことを感謝いたします。この安息日の精神を大切にして、私たちも共に教会に集まって礼拝をささげることができますように。礼拝の中で神の安息と祝福に与ることができますように。
 イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2022/10/22

讃美歌21・466「山路こえて」

1)山路こえて ひとり行けど
主の手にすがれる 身はやすけし

2)松のあらし 谷のながれ
みつかいの歌も かくやありなん

3)峯の雪と こころきよく
雲なきみ空と むねは澄(す)みぬ

4)道けわしく 行く手とおし
こころざすかたに いつか着くらん

5)されども主よ われ祈らじ
旅路のおわりの 近かれとは

6)日もくれなば 石のまくら
仮寝の夢にも み国しのばん

アーメン

出典:日本キリスト教団出版局『讃美歌21』(インターネット配信について

2022/10/17

2022年10月23日の聖書日課

(写真:ギンモクセイ)

使徒14:8-17
 14:8 ところが、ルステラに足のきかない人が、すわっていた。彼は生れながらの足なえで、歩いた経験が全くなかった。
 14:9 この人がパウロの語るのを聞いていたが、パウロは彼をじっと見て、いやされるほどの信仰が彼にあるのを認め、
 14:10 大声で「自分の足で、まっすぐに立ちなさい」と言った。すると彼は踊り上がって歩き出した。
 14:11 群衆はパウロのしたことを見て、声を張りあげ、ルカオニヤの地方語で、「神々が人間の姿をとって、わたしたちのところにお下りになったのだ」と叫んだ。
 14:12 彼らはバルナバをゼウスと呼び、パウロはおもに語る人なので、彼をヘルメスと呼んだ。
 14:13 そして、郊外にあるゼウス神殿の祭司が、群衆と共に、ふたりに犠牲をささげようと思って、雄牛数頭と花輪とを門前に持ってきた。
 14:14 ふたりの使徒バルナバとパウロとは、これを聞いて自分の上着を引き裂き、群衆の中に飛び込んで行き、叫んで
 14:15 言った、「皆さん、なぜこんな事をするのか。わたしたちとても、あなたがたと同じような人間である。そして、あなたがたがこのような愚にもつかぬものを捨てて、天と地と海と、その中のすべてのものをお造りになった生ける神に立ち帰るようにと、福音を説いているものである。
 14:16 神は過ぎ去った時代には、すべての国々の人が、それぞれの道を行くままにしておかれたが、
 14:17 それでも、ご自分のことをあかししないでおられたわけではない。すなわち、あなたがたのために天から雨を降らせ、実りの季節を与え、食物と喜びとで、あなたがたの心を満たすなど、いろいろのめぐみをお与えになっているのである」。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2022/10/16

モーセの十戒 第三戒



 モーセの十戒の第三の戒め、出エジプト20章7節をお読みします。
あなたは、あなたの神、主の名を、みだりに唱えてはならない。

 聖書の神は、自らを目に見える姿形ではなく、言葉による自己表現として名前を告げます(出エジプト3章14節)。他の神々は、人間の都合に合ったご利益をもたらす名前を、人間が名づけます。そして、神々は人間の名づけによって縛られ、その限界が定められてしまいます。聖書の神はこの第三の戒めにより、神が人間の支配に服することを拒んでいます。
 イスラエル人は、この第三の戒めを重く受け止めた結果、決して神の御名を口にすることがありません。しかし、私たちクリスチャンは、聖書により教えられた神の御名を、神を賛美し、神に祈る正しい目的のために唱えます(マタイ6章9節)。神は私たちのうちに神の霊を注がれたので、「アバ、父よ」と神を呼ぶことができます(ローマ8章15節)。真心からの感謝をもって父なる神を賛美し、喜びをもって神に祈りをささげましょう。

 ご一緒にお祈りいたしましょう。
 天の父なる神様。私たちが賛美をささげ、祈りをささげることができるために、神の御名を教えてくださったことを感謝いたします。どうぞ私たちの心に正しい思いを、私たちの口に正しい、良い言葉を授けてください。そして、日ごとの私たちの賛美と祈りを受け入れてください。
 イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2022/10/15

讃美歌21・436「十字架の血に」

1)十字架の血に 救いあれば
きたれとの声を われは聞けり
(くりかえし)
主よ われは 今ぞ行く
十字架の血にて 清めたまえ

2)弱きわれも 御力を得
この身の汚れを みな拭われん
(くりかえし)

3)真心もて 切に祈る
心に満つるは 主の御恵み
(くりかえし)

4)ほむべきかな わが主の愛
ああ ほむべきかな わが主の愛
(くりかえし)

アーメン

出典:日本キリスト教団出版局『讃美歌21』(インターネット配信について

2022/10/10

2022年10月16日の聖書日課

(写真:コウヤボウキ)

イザヤ25:1-9
 25:1 主よ、あなたはわが神、
わたしはあなたをあがめ、み名をほめたたえる。
あなたはさきに驚くべきみわざを行い、
いにしえから定めた計画を
真実をもって行われたから。
 25:2 あなたは町を石塚とし、堅固な町を荒塚とされた。
外国人のやかたは、もはや町ではなく、
とこしえに建てられることはない。
 25:3 それゆえ、強い民はあなたを尊び、
あらぶる国々の町はあなたを恐れる。
 25:4 あなたは貧しい者のとりでとなり、
乏しい者の悩みのときのとりでとなり、
あらしをさける避け所となり、
熱さをさける陰となられた。
あらぶる者の及ぼす害は、
石がきを打つあらしのごとく、
 25:5 かわいた地の熱さのようだからである。
あなたは外国人の騒ぎをおさえ、
雲が陰をもって熱をとどめるように
あらぶる者の歌をとどめられる。
 25:6 万軍の主はこの山で、すべての民のために肥えたものをもって祝宴を設け、久しくたくわえたぶどう酒をもって祝宴を設けられる。すなわち髄の多い肥えたものと、よく澄んだ長くたくわえたぶどう酒をもって祝宴を設けられる。
 25:7 また主はこの山で、すべての民のかぶっている顔おおいと、すべての国のおおっているおおい物とを破られる。
 25:8 主はとこしえに死を滅ぼし、主なる神はすべての顔から涙をぬぐい、その民のはずかしめを全地の上から除かれる。これは主の語られたことである。
 25:9 その日、人は言う、「見よ、これはわれわれの神である。わたしたちは彼を待ち望んだ。彼はわたしたちを救われる。これは主である。わたしたちは彼を待ち望んだ。わたしたちはその救を喜び楽しもう」と。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2022/10/09

モーセの十戒 第二戒



 モーセの十戒の第二の戒め、出エジプト20章4節をお読みします。
あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない。

 「刻んだ像を造ってはならない」ということ、すなわち偶像礼拝の禁止は、十戒の第一の戒めに続くものです。聖書の神は、私たち人間が見ることのできないお方ですので、偶像のような見える形で表すことができません。しかし、神ご自身が御言葉、すなわち聖書の言葉をもって自己表現されたので、私たちも神を知ることができます(申命記4章12節)。
 他の宗教では、神の像や仏像など様々な形を造り出し、それらの神々の像を拝んでいます。しかし、それらの像は人間の作品に過ぎません。決して、神々の像が自ら声を上げて、自己表現しているわけではありません(ハバクク2章18節)。
 聖書の神は、人の手で表現できるような小さな存在ではありません。そのような別物の神を造り出そうとする人に、神のねたみは向けられます(出エジプト20章5節)。むしろ、神は御言葉をもって私たちに、本物の神とはどのようなお方かを示されます。私たちは神からのメッセージを素直に受け取る者になりたいと思います。

 ご一緒にお祈りいたしましょう。
 天の父なる神様。私たち人間は、自らの力で対処できる程度の大きさで、物事を判断しがちです。しかし、神は人間の器に収まるような小さな存在ではないことを認めます。神ご自身が声を上げて表された、大きな神の愛に素直に従うことができますように。
 イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2022/10/08

讃美歌21・210「来る朝ごとに」

1)来る朝ごとに 朝日とともに
神の光を 心にうけて
みいつくしみを 新たにさとる

2)来る朝ごとに 言葉とわざを
きよめ分かちて 御前にささげん
ただ御栄えを 示させたまえ

3)来る朝ごとに 罪きよめられ
ただひたすらに 人を愛して
神に近づく 歩みをつづけん

4)来る朝ごとに ささぐる祈り
今日のひと日を 正しく歩み
きよき休みに 至らせたまえ

アーメン

出典:日本キリスト教団出版局『讃美歌21』(インターネット配信について

2022/10/03

2022年10月9日の聖書日課

(写真:トリカブト)

詩篇43篇
 43:1 神よ、わたしをさばき、
神を恐れない民にむかって、
わたしの訴えをあげつらい、
たばかりをなすよこしまな人から
わたしを助け出してください。
 43:2 あなたはわたしの寄り頼む神です。
なぜわたしを捨てられたのですか。
なぜわたしは敵のしえたげによって
悲しみ歩くのですか。
 43:3 あなたの光とまこととを送ってわたしを導き、
あなたの聖なる山と、あなたの住まわれる所に
わたしをいたらせてください。
 43:4 その時わたしは神の祭壇へ行き、
わたしの大きな喜びである神へ行きます。
神よ、わが神よ、
わたしは琴をもってあなたをほめたたえます。
 43:5 わが魂よ、何ゆえうなだれるのか。
何ゆえわたしのうちに思いみだれるのか。
神を待ち望め。
わたしはなおわが助け、
わが神なる主をほめたたえるであろう。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2022/10/02

モーセの十戒 第一戒



 モーセの十戒の第一の戒め、出エジプト20章3節をお読みします。
あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない。

 中東のイスラエル人の宗教が母体であるキリスト教は、ただひとりの神のみを信じる信仰に立ちます。モーセの時代の中東世界では、様々な民族がそれぞれ独自の神を信仰していました。イスラエル人が奴隷の身から抜け出したエジプトでは、自然現象の神、獣の神、死後の世界の神など、日本と同じ八百万の神々がありました。
 モーセの時代の前、エジプトでは諸々の神々の頂点に太陽の神が据えられ、エジプトの王パロが神の祭司として君臨し、イスラエル人に重い労役を課しました(出エジプト1章8~14節)。聖書の神は、このエジプトで奴隷であったイスラエル人を導き出して自由と解放を与えた、救いの神です(出エジプト20章2節)。
 この第一の戒めは、私たちを多くの厳しい支配の力から解放し、ただひとりの救いの神のみを信じることを命じています。神が唯一であるからこそ、私たちは「心をつくし、精神をつくし、力をつくして」ひとりの神に集中して信仰することができます(申命記6章4~5節)。神は真心を込めて愛する者に、愛をもって豊かに報いてくださいます(出エジプト20章6節)。

 ご一緒にお祈りいたしましょう。
 天の父なる神様。あなたは私たちを愛するがゆえに、私たちの祈りを聞かれ、私たちを苦しめる様々な力から救い出してくださいます。私たちはただひとりの神を信じます。何ものにも勝る大きな力をもて、日々私たちの歩みを支え、導いてください。
 イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2022/10/01

2022年10月2日の聖書日課

(写真:ミゾソバ)

マルコ14:12-17
 14:12 除酵祭の第一日、すなわち過越の小羊をほふる日に、弟子たちがイエスに尋ねた、「わたしたちは、過越の食事をなさる用意を、どこへ行ってしたらよいでしょうか」。
 14:13 そこで、イエスはふたりの弟子を使いに出して言われた、「市内に行くと、水がめを持っている男に出会うであろう。その人について行きなさい。
 14:14 そして、その人がはいって行く家の主人に言いなさい、『弟子たちと一緒に過越の食事をする座敷はどこか、と先生が言っておられます』。
 14:15 するとその主人は、席を整えて用意された二階の広間を見せてくれるから、そこにわたしたちのために用意をしなさい」。
 14:16 弟子たちは出かけて市内に行って見ると、イエスが言われたとおりであったので、過越の食事の用意をした。
 14:17 夕方になって、イエスは十二弟子と一緒にそこに行かれた。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

讃美歌21・358「小羊をばほめたたえよ」

1)小羊をば ほめたたえよ
妙なる歌声 天に満ちて
神の民よ 恵みの主に
栄えの冠(かむり)を ささげ歌わん

2)主なるイエスを ほめたたえよ
われらの苦しみ 負いしイエスを
十字架の血の 救いの主に
栄えの冠を ささげ歌わん

3)いのちの主を ほめたたえよ
死をほろぼしたる 力の主を
神の民よ 復活の主に
栄えの冠を ささげ歌わん

4)王なるイエスを ほめたたえよ
すべてを治める 支配の主を
とわにいます 平和の主に
栄えの冠を ささげ歌わん

アーメン

出典:日本キリスト教団出版局『讃美歌21』(インターネット配信について