2020/02/26

2020年2月26日(水) 感染症予防対策

世界的な感染症流行の早期終息を祈りつつ、志村教会でも予防対策を始めました。定例集会は休みませんが、最低限の消毒を実施し、集会中もマスクをしたままで出席することを可としています。皆様も外出後の手洗い・うがい等を心がけて下さい。次回の集会は3月1日(日)の主日礼拝です。(イラストは「いらすとや」のフリー素材を利用しました。)

2020/02/23

2020年2月23日3分メッセージ


 ピリピ4章17節をお読みします。
わたしは、贈り物を求めているのではない。わたしの求めているのは、あなたがたの勘定をふやしていく果実なのである。

 教会の活動は他の社会活動、特に会社の経営と同じ側面と違う側面があります。違う側面の一つとして、教会は基本的にはサービスの売上金ではなく、自発的な献金によって運営されることが挙げられます。
 売上金は商品の対価として得られるものですが、献金は特定の見返りとなるものがある訳ではありません。それは献金したいと思う人の個人的な意思に基づくものです。そのような献金の性格は、教会が歴史上、先駆的に行ってきた慈善事業が必ずしも見返りを求めて行われてきた訳ではないことにも表れています。
 しかし、教会の活動が献金により維持されていることは事実です。ピリピ書でも、「勘定」や「果実」というような経営用語が用いられています。ですが、教会が求めている「果実」とは献金という事実そのものではありません。むしろ本当に求めているのは「心」であり(ピリピ4章10節)、「患難を共にする」ことであり(同14節)、「神にささげられる芳しい香り」です(同18節)。
 私たち人間が日々手にしている「物」には、必ず人の「心」が込められています。非常に高価な物に、「憎しみ」や「欲望」や「冷酷さ」というような心が込められているかもしれません。人間を本当の意味で人間らしく生かすのは「愛する心」です(ピリピ4章8節)。私たちは本当に大切な心を失うことなく、愛の心をもって教会に集まりたいと思います。

 お祈りいたしましょう。
 天の父なる神様。世の中で生きる私たちは、忙しさのあまり大切な愛の心を失ってしまうことがあります。教会の中にあっても、真の愛の心を失うことがありませんように。私たちのいっさいの必要を、キリスト・イエスにあって満たして下さいますように。
 イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2020/02/16

2020年2月23日の聖書日課

(写真:マンサク)

ピリピ4:10-13
 4:10 さて、わたしが主にあって大いに喜んでいるのは、わたしを思う心が、あなたがたに今またついに芽ばえてきたことである。実は、あなたがたは、わたしのことを心にかけてくれてはいたが、よい機会がなかったのである。
 4:11 わたしは乏しいから、こう言うのではない。わたしは、どんな境遇にあっても、足ることを学んだ。
 4:12 わたしは貧に処する道を知っており、富におる道も知っている。わたしは、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、ありとあらゆる境遇に処する秘けつを心得ている。
 4:13 わたしを強くして下さるかたによって、何事でもすることができる。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2020年2月16日3分メッセージ


 ヨブ23章10節をお読みします。
しかし彼(神)はわたしの歩む道を知っておられる。彼がわたしを試みられるとき、わたしは金のように出て来るであろう。

 ヨブは聖書の神を畏れ敬う、正しい人でした(ヨブ1章1節)。しかし、ヨブは度重なる災難に遭い、財産を失い、家族を失い、健康をも失ってしまいました。ヨブの三人の友人は彼を慰めるために集まってきましたが、想像を超えるようなヨブの苦しみを見て、慰めの言葉を失ってしまいました(ヨブ2章13節)。
 その後、口を開いたのはヨブでしたが、その言葉は自らの災難のゆえにつぶやいた、嘆きと呪いの言葉でした(ヨブ3章1節)。神を汚すような言葉は言いませんでしたが、ヨブの心には揺るぎない信仰や平安といったものは消え失せていました。しかし、それでもヨブが語った言葉は、神の救いへの希望が含まれていました。
 長い長い問答の後、ヨブが幸いな結末に至ったことがヨブ記の最後に記されています(ヨブ42章)。そこに至るまで、ヨブの言葉には一見救いがないようにも思えます。しかし、神は彼の言葉を聞いていなかったのではなく、聞き続けておられたのです。
 聖書の神は私たちが祈る祈りの言葉、その祈りの心をも確かに知って下さるお方です。たとえヨブのように絶望の淵に立たされた時にも、神は私たちの救われたいという心からの願いを聞き取って下さるお方です。

 今日も皆様のためにお祈りをさせていただきます。
 天の父なる神様。たとえヨブのように正しい人であっても、私たちは試練に遭う日には祈りの言葉さえ出て来ないことがあります。しかし、神は私たちを金を求めるように探し出されます。どうか私たちの心の底にある切なる祈りに応えて下さい。来る日に私たちが神の中に救いを見出だすことができますように。
 イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2020/02/09

2020年2月16日の聖書日課

(写真:ローズマリー)

ヨブ23:1-10
 23:1 そこでヨブは答えて言った、
 23:2 「きょうもまた、わたしのつぶやきは激しく、
彼の手はわたしの嘆きにかかわらず、重い。
 23:3 どうか、彼を尋ねてどこで会えるかを知り、
そのみ座に至ることができるように。
 23:4 わたしは彼の前にわたしの訴えをならべ、
口をきわめて論議するであろう。
 23:5 わたしは、わたしに答えられるみ言葉を知り、
わたしに言われる所を悟ろう。
 23:6 彼は大いなる力をもって、
わたしと争われるであろうか、
いな、かえってわたしを顧みられるであろう。
 23:7 かしこでは正しい人は彼と言い争うことができる。
そうすれば、わたしはわたしをさばく者から
永久に救われるであろう。
 23:8 見よ、わたしが進んでも、彼を見ない。
退いても、彼を認めることができない。
 23:9 左の方に尋ねても、会うことができない。
右の方に向かっても、見ることができない。
 23:10 しかし彼はわたしの歩む道を知っておられる。
彼がわたしを試みられるとき、
わたしは金のように出て来るであろう。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2020年2月10日3分メッセージ



平安を与えて下さる神様  志村キリスト教会 日高基善

 約1年間日曜礼拝に通った私は、6年前喜寿の年に洗礼を受けました。妻が熱心に勧めたこと(そんなことは覚えていないと言いますが)、8年余り引き籠りだった娘がキリスト信仰を持つことによって社会復帰ができ、結婚もできたこと、自分がまさかの前立腺癌の手術を受けたこと等により、今後の日々を平安に過すためには教会での学びを続けるのが良いのではないかと思ったわけです。
 毎日曜礼拝の説教では聖書の短い一区切りを丁寧に説き明かしていただくのですが、深く頷いたり、首を傾げたり、考え込んだりしている次第です。家でも時々解説書を片手に聖書を読むのですが、「こんな日本語があるか?」と翻訳に文句を言いたくなる箇所も多くあり、教会で説教を聴くことの大切さを実感します。
 又、賛美も皆と一緒なら自然に歌えて「いい曲一杯あるなあ」という思いです。
 日曜礼拝に出席しているだけで、自分はあまり変ったとも思えませんが、妻と娘は「お父さん変ったよね」と語り合っているようです。
 後期高齢者になる迄、聖書とは無縁の生活をしていましたので、理解も遅く、記憶力も衰えて来ているので、やはりもっと若い時に接していれば良かったのにと思わずにはいられません。
 聖書の教えの最も大切なことは“謙虚であれ”ということだと思うと、今の政治の世界のおごり高ぶりが気になって仕方ありません。政治にたずさわる者は皆聖書を学んで“民のしもべ”となる心がけを持ってもらいたい等と思ってしまうのです。勿論、自らがそのように努めなければなりません。
 又、聖書の教えで、とてもわかり易く、実行出来そうだけれども難しい第一テサロニケ5章16節から18節、「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。」という究極のプラス思考のみことばを心に、今現在穏やかに過せていることに感謝しつつ、これからの歩みを続けて行きたいと思っています。

(聖書 新改訳 ©1970,1978,2003 新日本聖書刊行会)

2020年2月9日3分メッセージ


 詩篇125篇4節、5節をお読みします。
主よ、善良な人と、心の正しい人とに、さいわいを施してください。しかし転じて自分の曲った道に入る者を主は、悪を行う者と共に去らせられる。イスラエルの上に平安があるように。

 詩篇125篇は、神の選民イスラエルの都、エルサレムで行われる祭りで歌われた賛美歌です。彼らは自らが山々のように動かされず、安泰であることを神に感謝して歌っています(詩篇125篇1節)。
 しかし、イスラエルは国家的な動揺を経験していない訳ではありません。彼らは他国に攻め入られることも度々経験し、バビロニア王国に打ち負かされて捕囚の憂き目に遭ったこともあります。
 イスラエルはその事実を自らの落ち度によるものとして回想しています。「主は、悪を行う者と共に去らせられる。」(詩篇125篇5節)そして二度と「悪しき者のつえ」(詩篇125篇3節)を握って、不正に手を染めないことを誓ってこの詩篇の言葉を歌っているのです。
 イスラエルは、何もせずに平和を得ることはできないことをその身で知っています。彼らは神の奇跡によって帰国することができ(イザヤ35章10節)、再びエルサレムに集まって祭りを行うことができるようになりました。イスラエルの神、聖書の神は平和をつくり出す神であり、神の民は平和を祈り求めているのです(詩篇125篇5節)。

 私たちも平和を求めてご一緒にお祈りいたしましょう。
 天の父なる神様。聖書は私たちに教えています。「主に信頼する者は、動かされることがない。」どうか私たちの心に揺るぐことのない平安を、日本に、また世界にあなたがつくり出される平和を与えて下さい。
 イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2020/02/02

2020年2月9日の聖書日課

(写真:クリスマスローズ)

詩篇125篇 都もうでの歌
 125:1 主に信頼する者は、動かされることなくて、
とこしえにあるシオンの山のようである。
 125:2 山々がエルサレムを囲んでいるように、
主は今からとこしえにその民を囲まれる。
 125:3 これは悪しき者のつえが
正しい者の所領にとどまることなく、
正しい者がその手を
不義に伸べることのないためである。
 125:4 主よ、善良な人と、
心の正しい人とに、さいわいを施してください。
 125:5 しかし転じて自分の曲った道に入る者を
主は、悪を行う者と共に去らせられる。
イスラエルの上に平安があるように。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2020年2月2日3分メッセージ


 ヨハネ2章13節から17節までをお読みします。
さて、ユダヤ人の過越の祭が近づいたので、イエスはエルサレムに上られた。そして牛、羊、はとを売る者や両替する者などが宮の庭にすわり込んでいるのをごらんになって、なわでむちを造り、羊も牛もみな宮から追いだし、両替人の金を散らし、その台をひっくりかえし、はとを売る人々には「これらのものを持って、ここから出て行け。わたしの父の家を商売の家とするな」と言われた。弟子たちは、「あなたの家を思う熱心が、わたしを食いつくすであろう」と書いてあることを思い出した。

 イエス・キリストは礼拝のために神の宮に上りました。そこでキリストは、礼拝の雰囲気にそぐわない商売の騒がしさを見て、怒って商売人たちを宮から追い出しました。
 このようなキリストの激しい姿を意外に思われるかも知れません。しかし、聖書は神が愛であることを語っている(第一ヨハネ4章8節)と同じく、神は怒って悪を裁く方であることも語っています(詩篇7篇11節)。
 神は愛であることと、神は正義であることは、決して矛盾することではありません。神はえこひいきすることなく、正しい道筋を通して人を愛されます(ローマ2章11節)。また神は愛するがために、人に試練を与えて正しい生き方に立ち戻らせようと仕向けられます(ヘブル12章6節)。
 神の宮の風紀を正したキリストを見て、弟子たちは聖書の言葉、「神(あなた)の宮を思う熱心」をキリストの姿に見ました。キリストの熱心は神を愛する熱い思いに裏打ちされたものでした。私たちもキリストの姿から、愛に満ちた熱い心と、聖書に基づいた正しい知識を身に着けていきたいと思います。

 お祈りいたしましょう。
 天の父なる神様。イエス・キリストの言葉と行動、そして心の熱い思いにならうことができますように。神の愛と神の正しさ、その両方に学んでいくことができますように。
 イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2020年2月2日の聖書日課

(写真:ウメ)

ヨハネ2:13-22
 2:13 さて、ユダヤ人の過越の祭が近づいたので、イエスはエルサレムに上られた。
 2:14 そして牛、羊、はとを売る者や両替する者などが宮の庭にすわり込んでいるのをごらんになって、
 2:15 なわでむちを造り、羊も牛もみな宮から追いだし、両替人の金を散らし、その台をひっくりかえし、
 2:16 はとを売る人々には「これらのものを持って、ここから出て行け。わたしの父の家を商売の家とするな」と言われた。
 2:17 弟子たちは、「あなたの家を思う熱心が、わたしを食いつくすであろう」と書いてあることを思い出した。
 2:18 そこで、ユダヤ人はイエスに言った、「こんなことをするからには、どんなしるしをわたしたちに見せてくれますか」。
 2:19 イエスは彼らに答えて言われた、「この神殿をこわしたら、わたしは三日のうちに、それを起すであろう」。
 2:20 そこで、ユダヤ人たちは言った、「この神殿を建てるのには、四十六年もかかっています。それだのに、あなたは三日のうちに、それを建てるのですか」。
 2:21 イエスは自分のからだである神殿のことを言われたのである。
 2:22 それで、イエスが死人の中からよみがえったとき、弟子たちはイエスがこう言われたことを思い出して、聖書とイエスのこの言葉とを信じた。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2020/02/01

【集会中止】2020年4月12日(日) イースター礼拝


4月12日(日)は、イエス・キリストの
死からの復活を祝うイースターです。
今回は政府の緊急事態宣言を受けて、
教会での集会は中止いたします。
ご自宅にてイースターをお祝いされますよう
ご案内させていただきます。