ピリピ4章17節をお読みします。
わたしは、贈り物を求めているのではない。わたしの求めているのは、あなたがたの勘定をふやしていく果実なのである。
教会の活動は他の社会活動、特に会社の経営と同じ側面と違う側面があります。違う側面の一つとして、教会は基本的にはサービスの売上金ではなく、自発的な献金によって運営されることが挙げられます。
売上金は商品の対価として得られるものですが、献金は特定の見返りとなるものがある訳ではありません。それは献金したいと思う人の個人的な意思に基づくものです。そのような献金の性格は、教会が歴史上、先駆的に行ってきた慈善事業が必ずしも見返りを求めて行われてきた訳ではないことにも表れています。
しかし、教会の活動が献金により維持されていることは事実です。ピリピ書でも、「勘定」や「果実」というような経営用語が用いられています。ですが、教会が求めている「果実」とは献金という事実そのものではありません。むしろ本当に求めているのは「心」であり(ピリピ4章10節)、「患難を共にする」ことであり(同14節)、「神にささげられる芳しい香り」です(同18節)。
私たち人間が日々手にしている「物」には、必ず人の「心」が込められています。非常に高価な物に、「憎しみ」や「欲望」や「冷酷さ」というような心が込められているかもしれません。人間を本当の意味で人間らしく生かすのは「愛する心」です(ピリピ4章8節)。私たちは本当に大切な心を失うことなく、愛の心をもって教会に集まりたいと思います。
お祈りいたしましょう。
天の父なる神様。世の中で生きる私たちは、忙しさのあまり大切な愛の心を失ってしまうことがあります。教会の中にあっても、真の愛の心を失うことがありませんように。私たちのいっさいの必要を、キリスト・イエスにあって満たして下さいますように。
イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)