詩篇67篇1節、2節をお読みします。
どうか、神がわれらをあわれみ、われらを祝福し、そのみ顔をわれらの上に照されるように。〔セラ これはあなたの道があまねく地に知られ、あなたの救の力がもろもろの国民のうちに知られるためです。
注・聖書中の「セラ」は慣例として朗読しない言葉です。
詩篇67篇は神の祝福を祈り求める歌です。祈り求めているのは自分たちの祝福だけでなく、世界にあまねく神の祝福が及ぶことまでも含んで祈り求めています。
聖書の民であるイスラエル人は、神によって選び出された民です。イスラエル人の始祖であるアブラハム(最初の名はアブラム)は、神からこのような約束の言葉を聞きました。「わたしはあなたを大いなる国民とし…あなたは祝福の基となるであろう。…地のすべてのやからは、あなたによって祝福される」。(創世記12章2~3節)
この詩篇の言葉は、アブラハムに与えられた祝福を言い表しています。神の祝福はたった一人に留まって終わるのではなく、神の民に与えられた祝福を自らも得たいという、神の祝福を求めるすべての人に与えられるものであるということです。そして、祝福を、また救いのわざを気前よく与える神がほめたたえられるようにと、詩篇の言葉によって高らかに歌われているのです。
イエス・キリストもこのように語っています。「与えなさい。そうすれば、自分にも与えられる。」(ルカ6章38節)皆様もあふれるばかりに与えられる神の祝福を受けられますように。
ご一緒にお祈りいたしましょう。
天の父なる神様。私たちは信仰の先人たちが高らかに歌ったように、神への賛美歌をともに歌います。どうか約束された神の祝福が私たちのものとなりますように。また祝福が私たちだけに留まるのではなく、一人でも多くの人が神の祝福を受けることができますように。
イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)