エレミヤ28章9節をお読みします。
平和を預言する預言者は、その預言者の言葉が成就するとき、真実に主がその預言者をつかわされたのであることが知られるのだ。
聖書に記されている「預言」という単語は、「言葉を預かる」と書きます。この言葉とは「神の言葉」のことであり、預言者とは「神のメッセージの代言者」を意味します。預言の内容は未来の事柄だけではなく、過去の事柄について、また現在の事柄について聖書の神が語った言葉であり、預言者は神の言葉を命がけで人々に伝えました。
しかし、聖書には預言者ハナニヤのように、自分で勝手に考え出した言葉を「神の言葉」として語る者がいました(エレミヤ28章1節)。そして、しばしば人々は平和のような耳ざわりのよい言葉を好んで聞きました。それに対し、預言者エレミヤは真の預言の言葉を判別する基準について、冒頭の聖書の言葉の通りに語りました。
聖書の言葉は預言として、すなわち神の言葉として読む時に、救いをもたらす真の力を発揮します。さらに注意すべきことは、聖書の言葉を選り好みして読んではならないということです(第二テモテ4章3節、4節)。耳が痛くなるような聖書の個所が、かえって私たちに必要な健全な教えであることがあります。聖書をなるべく全体的に読むことが、私たちにかけがえのない心の富をもたらします(箴言参照)。
ご一緒にお祈りいたしましょう。
天の父なる神様。私たちはしばしば、聞きたい言葉だけに耳を開き、聞きたくない言葉に耳を閉じてしまいます。たとえ耳が痛くなるような話であっても、私たちの成長に役立つ本物の真理を知ることができますように。私たちの心の耳を開き、私たちの心に語りかけてください(サムエル上3章10節)。
イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)