2020/08/30

2020年8月30日3分メッセージ



 ローマ7章4節をお読みします。
わたしの兄弟たちよ。このように、あなたがたも、キリストのからだをとおして、律法に対して死んだのである。

 キリストの使徒パウロは、同じ信仰を持つローマ在住のクリスチャンを「兄弟」と呼んで、この聖句によってキリスト信仰の神髄を教えています。
 しかし、ここで語られていることは、クリスチャンやモーセの律法に従うイスラエル人だけに関わる問題ではありません。すべての人間に関わることであり、すべての人間は縛られている存在であることを語っています。すなわち、すべての人間は「律法」に縛られていると言っているのです。
 ここで言われている「律法」とは、具体的には国の法律や人の倫理などの形をとりますが、それによって人間のあらゆる社会が維持されている大切なルールです。基本的には人間はこのルールに従っているのですが、いったんルールを破ってしまうと、社会的な罰を受けたり、あるいは自らの心の良心により責められることが起ります。
 人間がこのルールから解放される方法はただ一つ、それは死んで悪事を行う力を失うことです。キリストの十字架の死は、ルールに縛られた人間を解放するためでした。
 しかし、忘れてはならないのは、このルールすなわち「律法」は消えて無くなった訳ではないことです。人間として生きていくためには律法に従わなければなりません。そのために、キリストは信じる者に「新しい霊」(ローマ7章6節)すなわち「新しいいのち」(ローマ6章4節)を与えるために復活されたのです。
 信仰は私たちを束縛するのではなく、私たちに自由を与えます(ガラテヤ5章1節)。また真の自由とは私たちの思い通りに生きることではなく、何ものにも責められることなく、私たちの自由な意思によってルールに従うことのできることを意味します(第一テサロニケ5章23節)。

 私たちも何ものによっても責められるところのない、自由な日々を送ることができますように、ご一緒にお祈りいたしましょう。
 天の父なる神様。私たちは人間という器によって縛られている者です(ローマ7章24節)。私たちが正しい事にも従うことのできない弱さを感じています。どうぞ私たちのすべての罪をお赦しくださり、イエス・キリストを信じる信仰によって、私たちに自由を得させてください。
 イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2020/08/24

2020年8月30日の聖書日課

 (写真:ヤブラン)

ローマ7:1-6
 7:1 それとも、兄弟たちよ。あなたがたは知らないのか。わたしは律法を知っている人々に語るのであるが、律法は人をその生きている期間だけ支配するものである。
 7:2 すなわち、夫のある女は、夫が生きている間は、律法によって彼につながれている。しかし、夫が死ねば、夫の律法から解放される。
 7:3 であるから、夫の生存中に他の男に行けば、その女は淫婦と呼ばれるが、もし夫が死ねば、その律法から解かれるので、他の男に行っても、淫婦とはならない。
 7:4 わたしの兄弟たちよ。このように、あなたがたも、キリストのからだをとおして、律法に対して死んだのである。それは、あなたがたが他の人、すなわち、死人の中からよみがえられたかたのものとなり、こうして、わたしたちが神のために実を結ぶに至るためなのである。
 7:5 というのは、わたしたちが肉にあった時には、律法による罪の欲情が、死のために実を結ばせようとして、わたしたちの肢体のうちに働いていた。
 7:6 しかし今は、わたしたちをつないでいたものに対して死んだので、わたしたちは律法から解放され、その結果、古い文字によってではなく、新しい霊によって仕えているのである。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2020/08/23

2020年8月23日3分メッセージ



 ヨブ28章28節をお読みします。
『見よ、主を恐れることは知恵である、悪を離れることは悟りである』

 ウヅの人、ヨブは持てるものすべてを失うという苦難に遭い、自らの人生と苦難の意味に答えうる知恵を探求しました。
 私たちが知恵を必要とする時、どうしたら良いでしょうか。学問を積むべきでしょうか。知恵ある人に助言を求めるべきでしょうか。人生の経験の中から知恵を見出だすべきでしょうか。
 ヨブは、かつて莫大な財産を持ち、家族や友人にも恵まれ、善に親しみ悪を退けるような人格者でもありました。そのヨブがすべてを失った後、彼はかつて自分のものとしていたものが彼を救うことができない現実を悟りました。知恵は「すべての生き物の目に隠され」ていて、決して金銭や努力では獲得できないものであるとヨブは語ります(ヨブ28章21節)。
 またヨブは自らの判断を放棄する、いわゆる「妄信」に陥りませんでした。ヨブは知恵を神の手の業の中に見いだしました。そして、神の業から知恵を学び取ろうとした結果、一つの結論に達しました。それは、「主を恐れることは知恵である」ということです(ヨブ28章28節)。
 ヨブが見いだした知恵は、イエス・キリストの言葉では「真理」と言い換えることができます。それは、私たち人間の力によって獲得できるものではありません。知恵を持つ者から授けられるものであり、その言葉に従うことが必要です。キリストはこのように語っています。「真理は、あなたがたに自由を得させるであろう」(ヨハネ8章32節)。

 お祈りいたしましょう。
 天の父なる神様。ヨブが知恵を求めたように、私たちも人生を歩むために知恵を必要としています。どうか、人間の知恵に勝る、天からの知恵を私たちに与えてください(ヤコブ3章17節)。私たちが天の知恵を用いて、私たちの人生を見つめ直すことができますように。
 イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2020/08/17

2020年8月23日の聖書日課

(写真:オミナエシ)

ヨブ28:12-28
 28:12 しかし知恵はどこに見いだされるか。
悟りのある所はどこか。
 28:13 人はそこに至る道を知らない、
また生ける者の地でそれを獲ることができない。
 28:14 淵は言う、『それはわたしのうちにない』と。
また海は言う、『わたしのもとにない』と。
 28:15 精金もこれと換えることはできない。
銀も量ってその価とすることはできない。
 28:16 オフルの金をもってしても、
その価を量ることはできない。
尊い縞めのうも、サファイヤも同様である。
 28:17 こがねも、玻璃もこれに並ぶことができない。
また精金の器物もこれと換えることができない。
 28:18 さんごも水晶も言うに足りない。
知恵を得るのは真珠を得るのにまさる。
 28:19 エチオピヤのトパズもこれに並ぶことができない。
純金をもってしても、その価を量ることはできない。
 28:20 それでは知恵はどこから来るか。
悟りのある所はどこか。
 28:21 これはすべての生き物の目に隠され、
空の鳥にも隠されている。
 28:22 滅びも死も言う、
『われわれはそのうわさを耳に聞いただけだ』。
 28:23 神はこれに至る道を悟っておられる、
彼はそのある所を知っておられる。
 28:24 彼は地の果までもみそなわし、
天が下を見きわめられるからだ。
 28:25 彼が風に重さを与え、
水をますで量られたとき、
 28:26 彼が雨のために規定を設け、
雷のひらめきのために道を設けられたとき、
 28:27 彼は知恵を見て、これをあらわし、
これを確かめ、これをきわめられた。
 28:28 そして人に言われた、
『見よ、主を恐れることは知恵である、
悪を離れることは悟りである』と」。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2020/08/16

2020年8月16日3分メッセージ



 詩篇146篇3節と5節をお読みします。
もろもろの君に信頼してはならない。人の子に信頼してはならない。彼らには助けがない。…ヤコブの神をおのが助けとし、その望みをおのが神、主におく人はさいわいである。

 神の民、イスラエル人は世代を超えて、同じ聖書の神を礼拝し、詩篇146篇のような賛美歌を歌い継いできました。
 長い歴史の中で、イスラエルの周辺には様々な国や君主が興り、また亡んでいきました。時には他国の支配に服することもありましたが、それらの支配者もまた消えていきました。
 イスラエルの国も、モーセに導かれた時代があり、王様や指導者によって導かれた時代があり、戦いに負けて国を失う時代もありました。彼らが歌う「もろもろの君」とは、諸外国のみならずイスラエルの国自体も含んでいます。
 そして、土から取られ、土に帰る人間(創世記3章19節)に信頼することは空しいことであることを告げて(詩篇146篇4節)、このように歌っています。「ある者は戦車を誇り、ある者は馬を誇る。しかしわれらは、われらの神、主のみ名を誇る。」(詩篇20篇7節)
 私たち人間は周りの状況が変われば、それに合わせて変化していかなければなりません。しかし、時代が変わっても決して変わらない聖書の神に、私たちの救いの希望をおいていきたいと思います。

 お祈りいたしましょう。
 天の父なる神様。私たちは自分の見る所や、世の中の権力や評判に頼りがちです。しかし、次の瞬間には消えてなくなってしまうものではなく、決して消えることのないものに望みをおきます。どうぞ私たちの心をお守りください(マタイ6章19~21節)。
 イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2020/08/10

2020年8月16日の聖書日課

(写真:キキョウ)

詩篇146:1-10
 146:1 主をほめたたえよ。
わが魂よ、主をほめたたえよ。
 146:2 わたしは生けるかぎりは主をほめたたえ、
ながらえる間は、わが神をほめうたおう。
 146:3 もろもろの君に信頼してはならない。
人の子に信頼してはならない。
彼らには助けがない。
 146:4 その息が出ていけば彼は土に帰る。
その日には彼のもろもろの計画は滅びる。
 146:5 ヤコブの神をおのが助けとし、
その望みをおのが神、主におく人はさいわいである。
 146:6 主は天と地と、海と、
その中にあるあらゆるものを造り、
とこしえに真実を守り、
 146:7 しえたげられる者のためにさばきをおこない、
飢えた者に食物を与えられる。
主は捕われ人を解き放たれる。
 146:8 主は盲人の目を開かれる。
主はかがむ者を立たせられる。
主は正しい者を愛される。
 146:9 主は寄留の他国人を守り、
みなしごと、やもめとをささえられる。
しかし、悪しき者の道を滅びに至らせられる。
 146:10 主はとこしえに統べ治められる。
シオンよ、あなたの神はよろず代まで統べ治められる。
主をほめたたえよ。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2020/08/09

2020年8月9日3分メッセージ



 ヨハネ6章51節をお読みします。
わたしは天から下ってきた生きたパンである。それを食べる者は、いつまでも生きるであろう。わたしが与えるパンは、世の命のために与えるわたしの肉である」。

 キリストは五千人以上の人々にパンを与える奇跡を行いました。人々はそれに熱狂して、キリストを王様に担ぎ上げようとしましたが(ヨハネ6章1~15節)、キリストは先ほどお読みした言葉を語りました。
 人々はキリストが期待はずれだと思い、奇跡を体験したにもかかわらず彼の許を去りました(ヨハネ6章41節、42節、66節)。人々はパンを食べて満腹しましたが、キリストが語った「天から下ってきた生きたパン」を理解することができませんでした。
 キリストは目に見えるパンを用いて、目に見えない真理を伝えています。その真理とはこういうことです。私たち人間はパンやごはんを食べて体を養います。キリストは私たちの体や心だけではなく、永遠に続く私たちの霊魂を養う糧を与えられるのです。
 私たちの霊魂を養うために、キリストはご自分の肉を与えられます。それはキリストの十字架による犠牲を意味します。
 キリストはこのような祈りの言葉を教えられました。「わたしたちの日ごとの食物を、きょうもお与えください。」(マタイ6章11節)キリストは私たちの体や心だけではなく、私たちの霊魂を健やかにさせる糧を与えられます。私たちは今日もキリストの糧に養われて過ごしたいと思います。

 お祈りいたしましょう。
 天の父なる神様。私たちは毎日、身も心も養われる必要があります。どうぞ私たちの心の底からの飢え渇きを癒してください。キリストが賜る天からのパンによって、私たちを満たしてください。
 イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2020/08/03

2020年8月9日の聖書日課


(写真:カイコウズ)

ヨハネ6:41-51
 6:41 ユダヤ人らは、イエスが「わたしは天から下ってきたパンである」と言われたので、イエスについてつぶやき始めた。
 6:42 そして言った、「これはヨセフの子イエスではないか。わたしたちはその父母を知っているではないか。わたしは天から下ってきたと、どうして今いうのか」。
 6:43 イエスは彼らに答えて言われた、「互につぶやいてはいけない。
 6:44 わたしをつかわされた父が引きよせて下さらなければ、だれもわたしに来ることはできない。わたしは、その人々を終りの日によみがえらせるであろう。
 6:45 預言者の書に、『彼らはみな神に教えられるであろう』と書いてある。父から聞いて学んだ者は、みなわたしに来るのである。
 6:46 神から出た者のほかに、だれかが父を見たのではない。その者だけが父を見たのである。
 6:47 よくよくあなたがたに言っておく。信じる者には永遠の命がある。
 6:48 わたしは命のパンである。
 6:49 あなたがたの先祖は荒野でマナを食べたが、死んでしまった。
 6:50 しかし、天から下ってきたパンを食べる人は、決して死ぬことはない。
 6:51 わたしは天から下ってきた生きたパンである。それを食べる者は、いつまでも生きるであろう。わたしが与えるパンは、世の命のために与えるわたしの肉である」。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2020/08/02

2020年8月2日3分メッセージ



 列王紀上17章13節、14節をお読みします。
エリヤは彼女に言った、「恐れるにはおよばない。行って、あなたが言ったとおりにしなさい。しかしまず、それでわたしのために小さいパンを、一つ作って持ってきなさい。その後、あなたと、あなたの子供のために作りなさい。『主が雨を地のおもてに降らす日まで、かめの粉は尽きず、びんの油は絶えない』とイスラエルの神、主が言われるからです」。

 神の預言者であるエリヤは、神の言葉に従ってザレパテの町に行きました。その所で一人の女性を見かけて、食事を求めました。
 その時期、土地には雨が降らず、人々は飢きんに苦しんでいました。声をかけられた女性も、息子と二人暮らしであり、わずかな食料しか手元にないことをエリヤに正直に告げました(列王紀上17章1~12節)。その言葉に対し、エリヤは先ほどお読みした言葉を語ったのです。
 ザレパテの女性は神の預言者の言葉に従いました。彼女の思いとしては、目先の物事に生きる希望を失っていて、神の言葉にすべてを託そうとしたのかもしれません。その結果、彼女は神の言葉通り、飢きんの中で食事に不足することがありませんでした(列王紀上17章15節、16節)。
 この聖書の言葉は、私たちに信じることの大切さを教えています。またザレパテの女性の姿は、キリストが語られた「まことの礼拝」(ヨハネ4章23節)をはっきりと示しています。つまり、神の言葉はまこと(本当)であると信じ、神の救いを期待してまこと(誠実)の心で行動することが必要であるということです(ヘブル11章6節)。私たちも神に祈る時に、ザレパテの女性の誠実さにならって祈りましょう。

 お祈りいたしましょう。
 天の父なる神様。あなたは「まことの礼拝」の心をもって祈る、その祈りを聞き届けてくださるお方です。私たちもまことの心をもって、素直に、誠実に祈ることができますように。私たちのまことの祈りを聞き届けてください。
 イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2020/08/01

2020年8月2日の聖書日課


(写真:オトギリソウ)

列王紀上17:8-16
 17:8 その時、主の言葉が彼に臨んで言った、 17:9「立ってシドンに属するザレパテへ行って、そこに住みなさい。わたしはそのところのやもめ女に命じてあなたを養わせよう」。
 17:10 そこで彼は立ってザレパテへ行ったが、町の門に着いたとき、ひとりのやもめ女が、その所でたきぎを拾っていた。彼はその女に声をかけて言った、「器に水を少し持ってきて、わたしに飲ませてください」。
 17:11 彼女が行って、それを持ってこようとした時、彼は彼女を呼んで言った、「手に一口のパンを持ってきてください」。
 17:12 彼女は言った、「あなたの神、主は生きておられます。わたしにはパンはありません。ただ、かめに一握りの粉と、びんに少しの油があるだけです。今わたしはたきぎ二、三本を拾い、うちへ帰って、わたしと子供のためにそれを調理し、それを食べて死のうとしているのです」。
 17:13 エリヤは彼女に言った、「恐れるにはおよばない。行って、あなたが言ったとおりにしなさい。しかしまず、それでわたしのために小さいパンを、一つ作って持ってきなさい。その後、あなたと、あなたの子供のために作りなさい。
 17:14 『主が雨を地のおもてに降らす日まで、かめの粉は尽きず、びんの油は絶えない』とイスラエルの神、主が言われるからです」。
 17:15 彼女は行って、エリヤが言ったとおりにした。彼女と彼および彼女の家族は久しく食べた。
 17:16 主がエリヤによって言われた言葉のように、かめの粉は尽きず、びんの油は絶えなかった。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)