使徒10章34節、35節をお読みします。
神は人をかたよりみないかたで、神を敬い義を行う者はどの国民でも受けいれて下さることが、ほんとうによくわかってきました。
キリストの十二人の使徒の一人であり、キリストが天に上げられた後の教会を支えた指導者の一人であるペテロ(使徒2章14節)は、キリストの福音をイスラエル人以外の外国人(異邦人)に伝える役目を果たしました。しかし、そのことは彼の計画によることではなく、神の導きによることでした。
キリスト教はヨーロッパ発祥の宗教ではなく、西アジアのイスラエルから始まった宗教です。キリストは、長い歴史を経てイスラエルに定着したユダヤ人、すなわちイスラエル人から出ました。キリストの使徒たちは全員がイスラエル人でした。
彼らはイスラエルの国の中で生活しましたが、当時のイスラエルはローマ帝国の支配の下にあり、多くのイスラエル人が日々の生活の中で他国の言葉を使い、他国の人々と取引をするような多国籍社会で生きてきました。このことは現代の日本に生きる私たちの生活に通ずるところがあります。
使徒10章において、イスラエル人のペテロが他国人のコルネリオから教えを求められたことは、ペテロに大きなためらいをもたらしました(使徒10章28節)。しかし、ペテロとコルネリオを引き合わせたのは人ではなく、神の思し召しによることでした(使徒10章19~20節)。ペテロは不思議に思いながら神の導きに従ってコルネリオに会いに出て行き、コルネリオの話を聞いて初めて神の思し召しを理解したのでした。すなわち、キリストの福音はイスラエル人だけのものではなく、神の救いを求めるすべての国民に与えられたものであるということです(マタイ28章19節)。
イエス・キリストは今日も私たちにこのように言って招いています。「見よ、わたしは戸の外に立って、たたいている。だれでもわたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしはその中にはいって彼と食を共にし、彼もまたわたしと食を共にするであろう。」(黙示録3章20節)
ご一緒にお祈りいたしましょう。
天の父なる神様。私たちは目先の出来事にこだわってしまい、その先にある出来事に気づかないことがよくあります。しかし、神はその先まで見通され、すべての国民を受けいれてくださるおかたであることを知りました。私たちも神の導きに従い、新しい世界を受けいれ、神の祝福を共に分かち合う広い心を与えてください。
イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)