2022/12/25

2022年12月25日3分メッセージ



 テトス2章11節から13節までをお読みします。
すべての人を救う神の恵みが現れた。そして、わたしたちを導き、不信心とこの世の情欲とを捨てて、慎み深く、正しく、信心深くこの世で生活し、祝福に満ちた望み、すなわち、大いなる神、わたしたちの救主キリスト・イエスの栄光の出現を待ち望むようにと、教えている。

 クリスマスは、救い主キリスト・イエスが生まれてこの世に現れたことを祝う祭りです。クリスマスの様々な飾りつけはキリストの出現を示す、いわば視覚教材として用いられてきました。
 その本来のクリスマスの意義を深く鑑みると、クリスマスにふさわしい祝い方があることに気づかされます。それは、ただ楽しければ良いというものではなく、喜びの中にも「慎み深く、正しく、信心深く」祝うことが必要ですし、何よりも「神の恵み」を表現して伝えるクリスマスでなくてはなりません。
 世の中にあふれているクリスマスは、暗く寂しい冬の季節に陽気な雰囲気を伝えているかもしれません。しかしそれだけではない、神の恵みを伝えるクリスマスを世界各地のキリスト教会では毎年大切に守り続けています。
 「見よ、彼らが東方で見た星が、彼らより先に進んで、幼な子のいる所まで行き、その上にとどまった。彼らはその星を見て、非常な喜びにあふれた。そして、家にはいって、母マリヤのそばにいる幼な子に会い、ひれ伏して拝み、また、宝の箱をあけて、黄金・乳香・没薬などの贈り物をささげた。」(マタイ2章9~11節)
 今年のクリスマスは、主役であるイエス・キリストが中心のクリスマスを祝うことができますように。「祝福に満ちた望み」にあふれたクリスマスを迎えられますよう、キリストの祝福をお祈りいたします。

 ご一緒にお祈りいたしましょう。
 天の父なる神様。私たちは今年も喜ばしいクリスマスを迎えることができました。喜びと感謝とともに、慎み深く、正しい心でクリスマスを祝うことができますように。クリスマスを通して、神の恵みを豊かに味わうことができますように。
 イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

讃美歌21・252「羊は眠れり」

1)羊は眠れり 草の床に
冴えゆく冬の夜 霜も見えつ
はるかに響くは 風か 水か
否とよ み使い 歌うみ歌

2)真昼に劣らぬ くしき光
み空のかなたに 照りかがやく
救いをもたらす 神の御子の
生まれし喜び 告ぐる星か

3)天(あめ)には栄え 神にあれや
土には穏やか 人にあれ と
昔のしらべを 今にかえし
歌えや友らよ 声もたかく

アーメン

出典:日本キリスト教団出版局『讃美歌21』(インターネット配信について

2022/12/19

2022年12月25日の聖書日課

(写真:ヤドリギ)

テトス2:11-15
 2:11 すべての人を救う神の恵みが現れた。
 2:12 そして、わたしたちを導き、不信心とこの世の情欲とを捨てて、慎み深く、正しく、信心深くこの世で生活し、
 2:13 祝福に満ちた望み、すなわち、大いなる神、わたしたちの救主キリスト・イエスの栄光の出現を待ち望むようにと、教えている。
 2:14 このキリストが、わたしたちのためにご自身をささげられたのは、わたしたちをすべての不法からあがない出して、良いわざに熱心な選びの民を、ご自身のものとして聖別するためにほかならない。
 2:15 あなたは、権威をもってこれらのことを語り、勧め、また責めなさい。だれにも軽んじられてはならない。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2022/12/18

2022年12月18日3分メッセージ



 コリント第一1章30節、31節をお読みします。
キリストは神に立てられて、わたしたちの知恵となり、義と聖とあがないとになられたのである。それは、「誇る者は主を誇れ」と書いてあるとおりである。

 この頃、街中を歩いたり、テレビを見たりしていると、クリスマスの飾り付けを目にしたり、クリスマスソングを耳にしたりします。日本ではクリスマスが最も活用されているのは、教会よりも企業の宣伝においてであるかもしれません。
 しかし、教会における本来のクリスマスでも、様々なクリスマス飾りや賛美歌はクリスマスの到来を告げ知らせるため、クリスマスの宣伝のために用いられています。クリスマスに関わる様々な習慣は、多くの人々に伝えるべき深いメッセージが込められています。
 「見よ、すべての民に与えられる大きな喜びを、あなたがたに伝える。きょうダビデの町に、あなたがたのために救主がお生れになった。このかたこそ主なるキリストである。」(ルカ2章10~11節)
 クリスマスのメッセージは、最初に羊飼たちに伝えられました(ルカ2章8節)。二千年前のイスラエルでは、羊飼たちは「身分の低い者」、「軽んじられている者」でした(コリント第一1章28節)。本来のクリスマスの宣伝は、権力者やお金持ちに向けられたものではなく(コリント第一1章26節)、むしろ「この世の弱い者を選び」(コリント第一1章27節)、この世のものではない、天からの大きな喜びを伝えたのでした。
 今年のクリスマスも喜びの賛美歌をご一緒に歌いましょう。「いと高きところでは、神に栄光があるように、地の上では、み心にかなう人々に平和があるように」(ルカ2章14節)。

 ご一緒にお祈りいたしましょう。
 天の父なる神様。クリスマスの知らせは、私たちに大きな喜びと平和のメッセージを伝えています。私たちもこの喜びの輪に加わることができますように。私たちに喜びのメッセージが伝えられたことに感謝しつつ、天から受けた祝福を自らの誇りとすることができますように。
 イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

讃美歌21・267「ああベツレヘムよ」

1)ああベツレヘムよ 小さな町
静かな夜空に またたく星
恐れに満ちた 闇のなかに
希望の光は 今日かがやく

2)マリアを母とし 生まれたみ子
星々かがやけ 語り告げよ
みつかい歌え この喜び
神にはみ栄え 地に平和と

3)人はみな眠り 気づかぬまに
めぐみの賜物 天よりくる
心低くし 主を迎えよ
罪ある世界の 救い主を

4)ああベツレヘムの きよいみ子よ
今こそわれらは 心ひらく
すべての罪を とりのぞく主
共に宿る神 インマヌエルよ

アーメン

出典:日本キリスト教団出版局『讃美歌21』(インターネット配信について

2022/12/12

2022年12月18日の聖書日課

(写真:シキミア)
 第一コリント1:26-31
 1:26 兄弟たちよ。あなたがたが召された時のことを考えてみるがよい。人間的には、知恵のある者が多くはなく、権力のある者も多くはなく、身分の高い者も多くはいない。
 1:27 それだのに神は、知者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選び、
 1:28 有力な者を無力な者にするために、この世で身分の低い者や軽んじられている者、すなわち、無きに等しい者を、あえて選ばれたのである。
 1:29 それは、どんな人間でも、神のみまえに誇ることがないためである。
 1:30 あなたがたがキリスト・イエスにあるのは、神によるのである。キリストは神に立てられて、わたしたちの知恵となり、義と聖とあがないとになられたのである。
 1:31 それは、「誇る者は主を誇れ」と書いてあるとおりである。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2022/12/11

2022年12月11日3分メッセージ



 ゼパニヤ3章17節をお読みします。
あなたの神、主はあなたのうちにいまし、勇士であって、勝利を与えられる。彼はあなたのために喜び楽しみ、その愛によってあなたを新にし、祭の日のようにあなたのために喜び呼ばわられる」。

 今年もクリスマスが近づいてきました。コロナ禍のために日常生活に様々な変化が強いられてきましたが、新たな状況に合わせて日常生活を取り戻そうとする動きも見られます。その際に、取り戻すべき日常は何であるかを見極めることが必要です。
 クリスマスとはキリスト教の祭りであり、それはイエス・キリストの降誕を喜び祝うための祭りです。クリスマスの本来の意義を取り戻してこそ、私たちはクリスマスを喜び楽しんで、祝うことができます。まさにクリスマスとは喜びが中心にある祭りです(ゼパニヤ3章14節)。
 心の底から喜ぶことができるためには、私たちの心から不安が取り除かれる必要があります。しかし、簡単には不安の種がなくならないかもしれません。また、周りから追いつめられるような苦しい立場に立たされているかもしれません(ゼパニヤ3章15節)。キリスト教は、そのような不安の中にある人々、追いつめられ虐げられている人々の助けとなってきました。
 彼らの助けとなるものは、聖書の神が共にいてくださる、という約束です(ゼパニヤ3章17節)。クリスマスは、助けを必要とする者のためにイエス・キリストが来られ、共にいてくださることを喜び祝う祭りです(マタイ1章23節)。
 クリスマスには、クリスチャンたちが教会に集まり、喜びの賛美歌を歌って祝います。教会はクリスマスを祝いたいという皆さんを歓迎いたします。聖書の神は皆さんをクリスマスの祝いに招いておられます。

 ご一緒にお祈りいたしましょう。
 天の父なる神様。様々な物事に光を見いだせずにさまよう者たちに、イエス・キリストは光を与えるためにお生まれになりました(イザヤ9章1~2節)。私たちも聖書の言葉に励まされて、今年もクリスマスを祝いたいと思います。どうぞ私たちをあらゆる災いから守り、新しくされた心で喜びながら日々を過ごす者としてください。
 イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

讃美歌21・258「牧人羊を」

1)牧人(まきびと)羊を 見守るその夜
はじめて天使は ノエルを伝えた
(くりかえし)
ノエル ノエル ノエル ノエル
主イエスは生まれた

2)神の子 主イエスは 貧しい姿で
この世に来られて まぶねに生まれた
(くりかえし)

3)博士は輝く その星たよりに
はるばるまぶねの 主イエスを訪ねた
(くりかえし)

4)喜びあふれて 東の博士は
主イエスを拝んで 宝をささげた
(くりかえし)

5)われらも今宵は 歌声合わせて
平和をもたらす 主イエスをたたえよう
(くりかえし)

アーメン

出典:日本キリスト教団出版局『讃美歌21』(インターネット配信について

2022/12/07

モーセの十戒 目次

※出エジプト20章3~17節より抜粋

第一戒 あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない。

第二戒 あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない。

第三戒 あなたは、あなたの神、主の名を、みだりに唱えてはならない。

第四戒 安息日を覚えて、これを聖とせよ。

第五戒 あなたの父と母を敬え。

第六戒 あなたは殺してはならない。

第七戒 あなたは姦淫してはならない。

第八戒 あなたは盗んではならない。

第九戒 あなたは隣人について、偽証してはならない。

第十戒 あなたは隣人の家をむさぼってはならない。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2022/12/05

2022年12月11日の聖書日課

(写真:トベラ)

ゼパニヤ3:14-18
 3:14 シオンの娘よ、喜び歌え。
イスラエルよ、喜び呼ばわれ。
エルサレムの娘よ、心のかぎり喜び楽しめ。
 3:15 主はあなたを訴える者を取り去り、
あなたの敵を追い払われた。
イスラエルの王なる主はあなたのうちにいます。
あなたはもはや災を恐れることはない。
 3:16 その日、人々はエルサレムに向かって言う、
「シオンよ、恐れるな。
あなたの手を弱々しくたれるな。
 3:17 あなたの神、主はあなたのうちにいまし、
勇士であって、勝利を与えられる。
彼はあなたのために喜び楽しみ、
その愛によってあなたを新にし、
祭の日のようにあなたのために喜び呼ばわられる」。
 3:18 「わたしはあなたから悩みを取り去る。
あなたは恥を受けることはない。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2022/12/04

モーセの十戒 第十戒



 モーセの十戒の第十の戒め、出エジプト20章17節をお読みします。
あなたは隣人の家をむさぼってはならない。

 「あなたは盗んではならない。」(出エジプト20章15節)と戒める第八の戒めに続いて、第十の戒めは盗みを働く心の動機を戒めています。盗みを働く動機となるものは「むさぼり」、すなわち欲しがる心です。
 私たちが日々生活する社会においては、私たちが知ることのできる範囲で、すなわち実際の行動や、言葉や、他の人も確認できる証拠によってのみ、物事が正しいか正しくないかを判断することができます。もしある人が心の内側に秘めている思いを、他の人にもわかるように表に出すことがなければ、他の人は知ることができず、善悪も判断することができません。しかし、盗みの行為は、人の心からわき出る悪巧みから始まります。
 第十の戒めは、他人のむさぼりの心を戒めるものではありません。戒めは「あなた」に向けられたものであり、盗みを働こうとする人の心の内側に秘められた、盗みへと誘うむさぼりの心、それも自分だけが知っている、自分の心のうちにあるむさぼりの心を戒める教えです。  聖書はむさぼりや貪欲を罪とします(コロサイ3章5節)。盗みの言い訳とされている「出来心」や「気の迷い」は決して正当な理由とはなりません(マタイ5章29~30節)。自らを律することのできないような欲望や誘惑は避けなければなりません(ヤコブ1章13~14節)。

 ご一緒にお祈りいたしましょう。
 天の父なる神様。聖書の教えは、この世の秩序を保つ社会のルールであるに留まらず、私たちの内に秘めた思いに対しても語り掛ける教えです。この世に生きる私たちに正しい道を教えてください。また、私たち自身も神の助けをいただいて、正しい歩みをすることができるように、私たちに新しい心を与えてください(エゼキエル18章31節)。

 イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2022/12/03

讃美歌21・262「聞け天使の歌」

1)聞け 天使の歌 み子には栄光
地には平和あれ 世の人々に
ダビデの村に 生まれしみ子を
世界の民よ 共にあがめて
聞け 喜びの おとずれの歌

2)み子キリストこそ とわにいます主
神の時満ちて おとめに宿り
人となりたる 神のみことば
インマヌエルの主 今宵生まれぬ
聞け 喜びの おとずれの歌

3)光をもたらす 義の太陽よ
救いといのちと 平和の君よ
死すべき人を 生かすためにと
み子は生まれぬ まぶねの中に
聞け 喜びの おとずれの歌

アーメン

出典:日本キリスト教団出版局『讃美歌21』(インターネット配信について

2022/12/01

2022年12月4日の聖書日課

(写真:エンジェルストランペット)
 イザヤ55:1-4
 55:1 「さあ、かわいている者は
みな水にきたれ。
金のない者もきたれ。
来て買い求めて食べよ。
あなたがたは来て、金を出さずに、
ただでぶどう酒と乳とを買い求めよ。
 55:2 なぜ、あなたがたは、
かてにもならぬもののために金を費し、
飽きることもできぬもののために労するのか。
わたしによく聞き従え。
そうすれば、良い物を食べることができ、
最も豊かな食物で、自分を楽しませることができる。
 55:3 耳を傾け、わたしにきて聞け。
そうすれば、あなたがたは生きることができる。
わたしは、あなたがたと、とこしえの契約を立てて、
ダビデに約束した変らない確かな恵みを与える。
 55:4 見よ、わたしは彼を立てて、
もろもろの民への証人とし、
また、もろもろの民の君とし、命令する者とした。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2022/11/27

モーセの十戒 第九戒



 モーセの十戒の第九の戒め、出エジプト20章16節をお読みします。
あなたは隣人について、偽証してはならない。

 聖書の神は、悪を行う者を憎み、偽りを言う者を滅ぼす、正義の神です(詩篇5篇5~6節)。もし人が他の人に対し偽りを働くなら、正義の神はその人々の間を公平にさばき、偽る者を罪とされます(詩篇9篇8節)。
 神は悪者を滅ぼすだけでなく、正しい者の正当な権利を守り、人々の争いを仲裁して仲を取り持ってくださるお方です。しかし、もし神の正義に逆らって偽りを働くなら、偽る者を守る権利などどこにもありません(サムエル上2章25節)。聖書は偽りの証言をした者を、その偽ることの悪とともに除き去るべきことを命じています(申命記19章18~19節)。
 私たち人間はたとい正直、真実に生きようと志しても、意図せずに間違いを犯し、偽りを口にすることもあります(ヤコブ3章2~8節)。ですから、この第九の戒めにより責められない人は、一人もいません。私たちはみな偽りを働く罪から救われる必要があります(エペソ4章25節)。偽りの言葉に代えて、聖書から正しい、良い言葉を学び、心に蓄えましょう(エペソ4章29節)。

 ご一緒にお祈りいたしましょう。
 天の父なる神様。この世界には本物ではない、偽りの物事に満ち満ちています。それどころか、私たちの唇から大きな嘘、小さな噓の数々があふれてきます。どうぞ私たちのうちから偽りの心を取り除いてください。どうぞ私たちの心に真実な言葉を与えてください(詩篇18篇30節)。
 イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2022/11/26

讃美歌21・261「もろびとこぞりて」

1)もろびとこぞりて いざ迎えよ
久しく待ちにし 主は来ませり
主は来ませり 主は 主は来ませり

2)悪魔の力を うちくだきて
虜(とりこ)を放つと 主は来ませり
主は来ませり 主は 主は来ませり

3)この世の闇路を 照らしたもう
光の君なる 主は来ませり
主は来ませり 主は 主は来ませり

4)平和の君なる み子を迎え
われらの救いと ほめたたえよ
ほめたたえよ ほめ ほめたたえよ

アーメン

出典:日本キリスト教団出版局『讃美歌21』(インターネット配信について

2022/11/24

2022年12月25日(日) クリスマス礼拝

教会にとってクリスマスは新年の祝いでもあります。
クリスマス礼拝は12月25日(日)、その次の週、
1月1日(日)は元旦礼拝を行います。どうぞお越しください。



2022/11/21

2022年11月27日の聖書日課

(写真:コウテイダリア)

ヤコブ5:7-11
 5:7 だから、兄弟たちよ。主の来臨の時まで耐え忍びなさい。見よ、農夫は、地の尊い実りを、前の雨と後の雨とがあるまで、耐え忍んで待っている。
 5:8 あなたがたも、主の来臨が近づいているから、耐え忍びなさい。心を強くしていなさい。
 5:9 兄弟たちよ。互に不平を言い合ってはならない。さばきを受けるかも知れないから。見よ、さばき主が、すでに戸口に立っておられる。
 5:10 兄弟たちよ。苦しみを耐え忍ぶことについては、主の御名によって語った預言者たちを模範にするがよい。
 5:11 忍び抜いた人たちはさいわいであると、わたしたちは思う。あなたがたは、ヨブの忍耐のことを聞いている。また、主が彼になさったことの結末を見て、主がいかに慈愛とあわれみとに富んだかたであるかが、わかるはずである。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2022/11/20

モーセの十戒 第八戒



 モーセの十戒の第八の戒め、出エジプト20章15節をお読みします。
あなたは盗んではならない。

 十戒は、他人の物を無断で盗むことを、二つの戒めにより禁じています。すなわち、第八の戒めは盗む行為を禁じ、第十の戒めは盗もうとする動機を禁じています。
 聖書の神は、人が物を所有する権利を認めていて、他人の所有する権利を侵してはならないことを命じています(出エジプト6章8節)。もし盗みを働いて他人の権利を侵すことがあれば、その盗みの罪による損害を賠償すべきことを命じています(出エジプト22章1節)。
 また、物や金銭に執着して、欲にかられて盗みを働くことのないように、自分の持っている物で満足すべきことを教えています(ルカ3章14節)。さらに、不足を補うために自らの手で働くことが大切であること(エペソ4章28節)、自分の事だけでなく、助けを必要としている貧しい人々を顧みて、できる限りの中で他者を助け、養うべきことを勧めています(ヤコブ1章27節)。
 人の持つ権利は決して生まれながらに持っているものではありません。権利はそれを保障する大きな力があって守られるものです。聖書の神は人が物を所有し、生きる権利を守られます。同じように、すべての人が不足せずに生活できることが、神の御心です(申命記15章11節)。この神の御心に従って、自ら進んで与える者に、神は豊かに報いてくださいます(ルカ6章38節)。

 ご一緒にお祈りいたしましょう。
 天の父なる神様。私たちが日々享受している、生きるための様々な権利は、神の大きな力によって守られていることを感謝いたします。今日も神の守りの中で生きることができ、また他の人々の権利も尊重して生きることができますように。「受けるよりは与える方が、さいわいである」(使徒20章35節)と言われるキリストの教えに従わせてください。
 イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2022/11/19

讃美歌21・259「急ぎきたれ、主にある民」

1)急ぎきたれ 主にある民
み子の生まれし ベツレヘム
歌え 祝え 天使らと共に
(おりかえし)
きたりて拝め きたりて拝め
きたりて拝め いざ共に

2)光の主よ 神の神よ
おとめマリアを 母として
生まれましし みどり子 主イエスよ
(おりかえし)

3)今われらも 共に歌わん
み使いたちと 声あわせ
み栄えあれ いと高き神に
(おりかえし)

4)とこしえなる 神のことば
肉となりにし この良き日
迎えまつれ 人なる主イエスを
(おりかえし)

アーメン

出典:日本キリスト教団出版局『讃美歌21』(インターネット配信について

2022/11/14

2022年11月20日の聖書日課

(写真:サネカズラ)

第一コリント15:20-28
 15:20 しかし事実、キリストは眠っている者の初穂として、死人の中からよみがえったのである。
 15:21 それは、死がひとりの人によってきたのだから、死人の復活もまた、ひとりの人によってこなければならない。
 15:22 アダムにあってすべての人が死んでいるのと同じように、キリストにあってすべての人が生かされるのである。
 15:23 ただ、各自はそれぞれの順序に従わねばならない。最初はキリスト、次に、主の来臨に際してキリストに属する者たち、
 15:24 それから終末となって、その時に、キリストはすべての君たち、すべての権威と権力とを打ち滅ぼして、国を父なる神に渡されるのである。
 15:25 なぜなら、キリストはあらゆる敵をその足もとに置く時までは、支配を続けることになっているからである。
 15:26 最後の敵として滅ぼされるのが、死である。
 15:27 「神は万物を彼の足もとに従わせた」からである。ところが、万物を従わせたと言われる時、万物を従わせたかたがそれに含まれていないことは、明らかである。
 15:28 そして、万物が神に従う時には、御子自身もまた、万物を従わせたそのかたに従うであろう。それは、神がすべての者にあって、すべてとなられるためである。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2022/11/13

モーセの十戒 第七戒



 モーセの十戒の第七の戒め、出エジプト20章14節をお読みします。
あなたは姦淫してはならない。

 現代の日本では、結婚式を教会で、またはキリスト教式で挙げることが最も多いようです。キリスト教では、結婚式は神と人との前で行う結婚の契りの儀式として行います。すなわち結婚とは、男女が一体となって生涯を添い遂げることの契約であり、約束です。
 万一の場合として、離婚することになれば、神の前で誓った結婚の約束を破ることになり、神と人とに対する裏切りの行為とみなされます(マラキ2章16節)。
 聖書の神は、固い約束によって結ばれた結婚を重んじられ、祝福されます(ヘブル13章4節)。イエス・キリストも、「彼らはもはや、ふたりではなく一体である。だから、神が合わせられたものを、人は離してはならない」(マタイ19章6節)と言って戒めています。これに反して姦淫は、神が祝福をもって結ばれた人間関係を壊す罪です(ホセア2章2節)。
 人を結び合わせる聖書の知恵に学んでまいりましょう。祝福された夫婦関係を営む秘訣は、「互に仕え合う」ことです(エペソ5章21~32節)。

 ご一緒にお祈りいたしましょう。
 天の父なる神様。聖書の戒めは、私たち人間の日々の生活を豊かにするものであることを感謝します。イエス・キリストの愛は、私たちを神の家族として一つにし、神の家族に和解をもたらします(エペソ2章13~19節)。どうぞ、私たちのうちに潜む、家族の一致を壊す悪事、罪を取り除き、清めてください。
 イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2022/11/12

讃美歌21・248「エッサイの根より」

1)エッサイの根より 生いいでたる
預言によりて 伝えられし ばらは咲きぬ
静かに寒き 冬の夜に

2)イザヤの告げし 小さなばら
きよきマリアは 母となりぬ
主の誓いの み子は生まれぬ 救いのため

3)香りはたかし 小さなばら
きよきひかりは 闇を追いぬ
まことの神 まことの人よ 救い主よ

アーメン

出典:日本キリスト教団出版局『讃美歌21』(インターネット配信について

2022/11/07

2022年11月13日の聖書日課

(写真:サラシナショウマ)

出エジプト3:10-15
 3:10 さあ、わたしは、あなたをパロにつかわして、わたしの民、イスラエルの人々をエジプトから導き出させよう」。
 3:11 モーセは神に言った、「わたしは、いったい何者でしょう。わたしがパロのところへ行って、イスラエルの人々をエジプトから導き出すのでしょうか」。
 3:12 神は言われた、「わたしは必ずあなたと共にいる。これが、わたしのあなたをつかわしたしるしである。あなたが民をエジプトから導き出したとき、あなたがたはこの山で神に仕えるであろう」。
 3:13 モーセは神に言った、「わたしがイスラエルの人々のところへ行って、彼らに『あなたがたの先祖の神が、わたしをあなたがたのところへつかわされました』と言うとき、彼らが『その名はなんというのですか』とわたしに聞くならば、なんと答えましょうか」。
 3:14 神はモーセに言われた、「わたしは、有って有る者」。また言われた、「イスラエルの人々にこう言いなさい、『「わたしは有る」というかたが、わたしをあなたがたのところへつかわされました』と」。
 3:15 神はまたモーセに言われた、「イスラエルの人々にこう言いなさい『あなたがたの先祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である主が、わたしをあなたがたのところへつかわされました』と。これは永遠にわたしの名、これは世々のわたしの呼び名である。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2022/11/06

モーセの十戒 第六戒



 モーセの十戒の第六の戒め、出エジプト20章13節をお読みします。
あなたは殺してはならない。

 人殺しはあらゆる時代、あらゆる世界で大きな罪とされる行為です。しかし、あらゆる時代、あらゆる世界で人殺しは行われてきました。また、ある人々は「なぜ人殺しが悪いことなのかわからない」と言ったりもします。その問いかけに対し、聖書ははっきりと理由を示しています。それは、神が「殺してはならない」と命じているからです。
 聖書は、他の人々に悪を行わず、かえって善を行えと命じています(マタイ7章12節)。自分が良ければ良いという自己中心的な理由は認められません。「おのおの、自分のことばかりでなく、他人のことも考えなさい。」(ピリピ2章4節)と聖書は私たちに教え諭しています。
 さらに聖書は、人殺しの根本にある「憎しみ」の心そのものを戒めています(マタイ5章21~26節)。人殺しの行為だけでなく、人殺しの原因を取り除くことを聖書の神は命じているのです。第六の戒めは、「神は愛である」(ヨハネ第一4章8節)といわれる神の愛の心を示しています。神の愛は人を生かします(ヨハネ第一4章9節)。

 ご一緒にお祈りいたしましょう。
 天の父なる神様。「愛には恐れがない。完全な愛は恐れをとり除く。」(ヨハネ第一4章18節)と私たちは御言葉により教えられています。人間に対する悪を取り除くために、善なる神の愛を受け取ることができますように。人を生かす愛によって私たちを満たしてください。
 イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2022/11/05

讃美歌21・231「久しく待ちにし」

1)久しく待ちにし 救いの主きたり
とらわれの民を 解き放ちたまえ
(くりかえし)
喜べ インマヌエルきたりて救いたもう

2)この世に打ち勝つ 力の主きたり
勝利のことばを 与えよ われらに
(くりかえし)

3)やみの夜をてらす 光の主きたり
暗き雲はらい 喜びをたまえ
(くりかえし)

4)われらを導く 望みの主きたり
み国の扉を いま開きたまえ
(くりかえし)

アーメン

出典:日本キリスト教団出版局『讃美歌21』(インターネット配信について

2022/10/31

2022年11月6日の聖書日課

(写真:キク)

ルカ3:1-9
 3:1 皇帝テベリオ在位の第十五年、ポンテオ・ピラトがユダヤの総督、ヘロデがガリラヤの領主、その兄弟ピリポがイツリヤ・テラコニテ地方の領主、ルサニヤがアビレネの領主、
 3:2 アンナスとカヤパとが大祭司であったとき、神の言が荒野でザカリヤの子ヨハネに臨んだ。
 3:3 彼はヨルダンのほとりの全地方に行って、罪のゆるしを得させる悔改めのバプテスマを宣べ伝えた。
 3:4 それは、預言者イザヤの言葉の書に書いてあるとおりである。すなわち
「荒野で呼ばわる者の声がする、
『主の道を備えよ、
その道筋をまっすぐにせよ』。
 3:5 すべての谷は埋められ、
すべての山と丘とは、平らにされ、
曲ったところはまっすぐに、
わるい道はならされ、
 3:6 人はみな神の救を見るであろう」。
 3:7 さて、ヨハネは、彼からバプテスマを受けようとして出てきた群衆にむかって言った、「まむしの子らよ、迫ってきている神の怒りから、のがれられると、おまえたちにだれが教えたのか。
 3:8 だから、悔改めにふさわしい実を結べ。自分たちの父にはアブラハムがあるなどと、心の中で思ってもみるな。おまえたちに言っておく。神はこれらの石ころからでも、アブラハムの子を起すことができるのだ。
 3:9 斧がすでに木の根もとに置かれている。だから、良い実を結ばない木はことごとく切られて、火の中に投げ込まれるのだ」。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2022/10/30

モーセの十戒 第五戒



 モーセの十戒の第五の戒め、出エジプト20章12節をお読みします。
あなたの父と母を敬え。

 モーセの十戒の十の戒めは、神との関係についての戒め(第一~四戒)と、人間関係についての戒め(第五~十戒)の、大きく二つに分けることができます。その人間関係の戒めの最初として、第五の戒めは「あなたの父と母を敬え」と命じています。親子関係はあらゆる人間関係の中でも最も身近なものです。
 時代により、またそれぞれの家庭により、親子の関係は大きな違いがあります。しかし、人々の社会での役割が完全に調和した時代、あるいは完全に平等な人間関係が保証された時代は、今までの人類の歴史の中で存在したことがありません。あらゆる人間関係はどこかに歪みがありうるものです。奴隷(出エジプト20章10節の「しもべ」の真意)のような、人間関係に明らかな不平等の存在するモーセの時代に、十戒は正しい人間関係について教え、戒めています。
 正しい人間関係は一方的ではないことも聖書は教えています(エペソ6章1~4節)。しかし、正しい人間関係を築くためには、自分の方から関係を正していかなければなりません。「あなたの父と母を敬え。」神は御言葉に従う者を豊かに祝福してくださいます。

 ご一緒にお祈りいたしましょう。
 天の父なる神様。聖書は私たちに「あなた自身のようにあなたの隣人を愛さなければならない。」(レビ19章18節)と命じています。これは神様が命じられた戒めですから、私たちは御言葉に従ってまいります。どうぞ御言葉に伴う約束を、互いに愛し合うことのできる愛を、また命の祝福を私たちに与えてください。
 イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2022/10/29

讃美歌21・27「父・子・聖霊の」

父 子 聖霊の ひとりの主よ
栄えと力は ただ主にあれ
とこしえまで アーメン

出典:日本キリスト教団出版局『讃美歌21』(インターネット配信について

2022/10/24

2022年10月30日の聖書日課

(写真:ミセバヤ)

ローマ5:17-21
 5:17 もし、ひとりの罪過によって、そのひとりをとおして死が支配するに至ったとすれば、まして、あふれるばかりの恵みと義の賜物とを受けている者たちは、ひとりのイエス・キリストをとおし、いのちにあって、さらに力強く支配するはずではないか。
 5:18 このようなわけで、ひとりの罪過によってすべての人が罪に定められたように、ひとりの義なる行為によって、いのちを得させる義がすべての人に及ぶのである。
 5:19 すなわち、ひとりの人の不従順によって、多くの人が罪人とされたと同じように、ひとりの従順によって、多くの人が義人とされるのである。
 5:20 律法がはいり込んできたのは、罪過の増し加わるためである。しかし、罪の増し加わったところには、恵みもますます満ちあふれた。
 5:21 それは、罪が死によって支配するに至ったように、恵みもまた義によって支配し、わたしたちの主イエス・キリストにより、永遠のいのちを得させるためである。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2022/10/23

2022年10月23日(日) 教会近況


  今年の秋は過ごしやすい日が続き、紅葉もゆっくり進んでいます。志村キリスト教会の近況についてお知らせします。

1)定例集会は以下の通り、感染対策の特別スケジュールを継続しています。

        主日礼拝: 毎週日曜日 午前10:30~11:30
        祈祷会:  毎週木曜日 午後 2:00~ 3:00

2)ホームページでは、以下のコンテンツを公開しましたのでご利用ください。

        聖書日課聖書の植物(完結)、モーセの十戒(更新中)、賛美歌カラオケ

 季節の変わり目にご健康も守られますようにお祈りしています。

モーセの十戒 第四戒



 モーセの十戒の第四の戒め、出エジプト20章8節をお読みします。
安息日を覚えて、これを聖とせよ。

 聖書の神は天地創造の神であり、秩序正しく創造の働きをなし、世界を完成させた後、働きを休まれました(創世記1~2章)。イスラエル人はこのことにならって、六日間の働きの後、七日目すなわち土曜日を安息日として神に礼拝をささげました(出エジプト20章9~10節)。クリスチャンはイスラエル人にならって、イエス・キリストが復活して救いの働きを完成させた日曜日に、教会に集まって礼拝をささげています。
 第四の戒めの「安息日を覚えて」とは、日々働く私たち人間に必要な休みを与えることであり、人間に健康的な生活を保障する戒めです(マタイ11章28節)。しかし、神は人間と同じように疲れて、休みが必要となる訳ではありません。むしろ、人が疲れて働けない時に、神は絶えず働かれて人間のために救いの奇跡を行われます(詩篇121篇4節)。
 また、安息日は休日であるとともに聖なる日であり、神の特別な祝福に与ることのできる日です(出エジプト20章11節)。ですから、私たちは安息日に神の救いの働きを求めて、人の働きを休ませて神を見上げる礼拝をささげたいと思います。

 ご一緒にお祈りいたしましょう。
 天の父なる神様。私たち人間を休ませるため、また私たちを神の特別な祝福に与らせるために、安息日を与えてくださったことを感謝いたします。この安息日の精神を大切にして、私たちも共に教会に集まって礼拝をささげることができますように。礼拝の中で神の安息と祝福に与ることができますように。
 イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2022/10/22

讃美歌21・466「山路こえて」

1)山路こえて ひとり行けど
主の手にすがれる 身はやすけし

2)松のあらし 谷のながれ
みつかいの歌も かくやありなん

3)峯の雪と こころきよく
雲なきみ空と むねは澄(す)みぬ

4)道けわしく 行く手とおし
こころざすかたに いつか着くらん

5)されども主よ われ祈らじ
旅路のおわりの 近かれとは

6)日もくれなば 石のまくら
仮寝の夢にも み国しのばん

アーメン

出典:日本キリスト教団出版局『讃美歌21』(インターネット配信について

2022/10/17

2022年10月23日の聖書日課

(写真:ギンモクセイ)

使徒14:8-17
 14:8 ところが、ルステラに足のきかない人が、すわっていた。彼は生れながらの足なえで、歩いた経験が全くなかった。
 14:9 この人がパウロの語るのを聞いていたが、パウロは彼をじっと見て、いやされるほどの信仰が彼にあるのを認め、
 14:10 大声で「自分の足で、まっすぐに立ちなさい」と言った。すると彼は踊り上がって歩き出した。
 14:11 群衆はパウロのしたことを見て、声を張りあげ、ルカオニヤの地方語で、「神々が人間の姿をとって、わたしたちのところにお下りになったのだ」と叫んだ。
 14:12 彼らはバルナバをゼウスと呼び、パウロはおもに語る人なので、彼をヘルメスと呼んだ。
 14:13 そして、郊外にあるゼウス神殿の祭司が、群衆と共に、ふたりに犠牲をささげようと思って、雄牛数頭と花輪とを門前に持ってきた。
 14:14 ふたりの使徒バルナバとパウロとは、これを聞いて自分の上着を引き裂き、群衆の中に飛び込んで行き、叫んで
 14:15 言った、「皆さん、なぜこんな事をするのか。わたしたちとても、あなたがたと同じような人間である。そして、あなたがたがこのような愚にもつかぬものを捨てて、天と地と海と、その中のすべてのものをお造りになった生ける神に立ち帰るようにと、福音を説いているものである。
 14:16 神は過ぎ去った時代には、すべての国々の人が、それぞれの道を行くままにしておかれたが、
 14:17 それでも、ご自分のことをあかししないでおられたわけではない。すなわち、あなたがたのために天から雨を降らせ、実りの季節を与え、食物と喜びとで、あなたがたの心を満たすなど、いろいろのめぐみをお与えになっているのである」。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2022/10/16

モーセの十戒 第三戒



 モーセの十戒の第三の戒め、出エジプト20章7節をお読みします。
あなたは、あなたの神、主の名を、みだりに唱えてはならない。

 聖書の神は、自らを目に見える姿形ではなく、言葉による自己表現として名前を告げます(出エジプト3章14節)。他の神々は、人間の都合に合ったご利益をもたらす名前を、人間が名づけます。そして、神々は人間の名づけによって縛られ、その限界が定められてしまいます。聖書の神はこの第三の戒めにより、神が人間の支配に服することを拒んでいます。
 イスラエル人は、この第三の戒めを重く受け止めた結果、決して神の御名を口にすることがありません。しかし、私たちクリスチャンは、聖書により教えられた神の御名を、神を賛美し、神に祈る正しい目的のために唱えます(マタイ6章9節)。神は私たちのうちに神の霊を注がれたので、「アバ、父よ」と神を呼ぶことができます(ローマ8章15節)。真心からの感謝をもって父なる神を賛美し、喜びをもって神に祈りをささげましょう。

 ご一緒にお祈りいたしましょう。
 天の父なる神様。私たちが賛美をささげ、祈りをささげることができるために、神の御名を教えてくださったことを感謝いたします。どうぞ私たちの心に正しい思いを、私たちの口に正しい、良い言葉を授けてください。そして、日ごとの私たちの賛美と祈りを受け入れてください。
 イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2022/10/15

讃美歌21・436「十字架の血に」

1)十字架の血に 救いあれば
きたれとの声を われは聞けり
(くりかえし)
主よ われは 今ぞ行く
十字架の血にて 清めたまえ

2)弱きわれも 御力を得
この身の汚れを みな拭われん
(くりかえし)

3)真心もて 切に祈る
心に満つるは 主の御恵み
(くりかえし)

4)ほむべきかな わが主の愛
ああ ほむべきかな わが主の愛
(くりかえし)

アーメン

出典:日本キリスト教団出版局『讃美歌21』(インターネット配信について

2022/10/10

2022年10月16日の聖書日課

(写真:コウヤボウキ)

イザヤ25:1-9
 25:1 主よ、あなたはわが神、
わたしはあなたをあがめ、み名をほめたたえる。
あなたはさきに驚くべきみわざを行い、
いにしえから定めた計画を
真実をもって行われたから。
 25:2 あなたは町を石塚とし、堅固な町を荒塚とされた。
外国人のやかたは、もはや町ではなく、
とこしえに建てられることはない。
 25:3 それゆえ、強い民はあなたを尊び、
あらぶる国々の町はあなたを恐れる。
 25:4 あなたは貧しい者のとりでとなり、
乏しい者の悩みのときのとりでとなり、
あらしをさける避け所となり、
熱さをさける陰となられた。
あらぶる者の及ぼす害は、
石がきを打つあらしのごとく、
 25:5 かわいた地の熱さのようだからである。
あなたは外国人の騒ぎをおさえ、
雲が陰をもって熱をとどめるように
あらぶる者の歌をとどめられる。
 25:6 万軍の主はこの山で、すべての民のために肥えたものをもって祝宴を設け、久しくたくわえたぶどう酒をもって祝宴を設けられる。すなわち髄の多い肥えたものと、よく澄んだ長くたくわえたぶどう酒をもって祝宴を設けられる。
 25:7 また主はこの山で、すべての民のかぶっている顔おおいと、すべての国のおおっているおおい物とを破られる。
 25:8 主はとこしえに死を滅ぼし、主なる神はすべての顔から涙をぬぐい、その民のはずかしめを全地の上から除かれる。これは主の語られたことである。
 25:9 その日、人は言う、「見よ、これはわれわれの神である。わたしたちは彼を待ち望んだ。彼はわたしたちを救われる。これは主である。わたしたちは彼を待ち望んだ。わたしたちはその救を喜び楽しもう」と。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2022/10/09

モーセの十戒 第二戒



 モーセの十戒の第二の戒め、出エジプト20章4節をお読みします。
あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない。

 「刻んだ像を造ってはならない」ということ、すなわち偶像礼拝の禁止は、十戒の第一の戒めに続くものです。聖書の神は、私たち人間が見ることのできないお方ですので、偶像のような見える形で表すことができません。しかし、神ご自身が御言葉、すなわち聖書の言葉をもって自己表現されたので、私たちも神を知ることができます(申命記4章12節)。
 他の宗教では、神の像や仏像など様々な形を造り出し、それらの神々の像を拝んでいます。しかし、それらの像は人間の作品に過ぎません。決して、神々の像が自ら声を上げて、自己表現しているわけではありません(ハバクク2章18節)。
 聖書の神は、人の手で表現できるような小さな存在ではありません。そのような別物の神を造り出そうとする人に、神のねたみは向けられます(出エジプト20章5節)。むしろ、神は御言葉をもって私たちに、本物の神とはどのようなお方かを示されます。私たちは神からのメッセージを素直に受け取る者になりたいと思います。

 ご一緒にお祈りいたしましょう。
 天の父なる神様。私たち人間は、自らの力で対処できる程度の大きさで、物事を判断しがちです。しかし、神は人間の器に収まるような小さな存在ではないことを認めます。神ご自身が声を上げて表された、大きな神の愛に素直に従うことができますように。
 イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2022/10/08

讃美歌21・210「来る朝ごとに」

1)来る朝ごとに 朝日とともに
神の光を 心にうけて
みいつくしみを 新たにさとる

2)来る朝ごとに 言葉とわざを
きよめ分かちて 御前にささげん
ただ御栄えを 示させたまえ

3)来る朝ごとに 罪きよめられ
ただひたすらに 人を愛して
神に近づく 歩みをつづけん

4)来る朝ごとに ささぐる祈り
今日のひと日を 正しく歩み
きよき休みに 至らせたまえ

アーメン

出典:日本キリスト教団出版局『讃美歌21』(インターネット配信について

2022/10/03

2022年10月9日の聖書日課

(写真:トリカブト)

詩篇43篇
 43:1 神よ、わたしをさばき、
神を恐れない民にむかって、
わたしの訴えをあげつらい、
たばかりをなすよこしまな人から
わたしを助け出してください。
 43:2 あなたはわたしの寄り頼む神です。
なぜわたしを捨てられたのですか。
なぜわたしは敵のしえたげによって
悲しみ歩くのですか。
 43:3 あなたの光とまこととを送ってわたしを導き、
あなたの聖なる山と、あなたの住まわれる所に
わたしをいたらせてください。
 43:4 その時わたしは神の祭壇へ行き、
わたしの大きな喜びである神へ行きます。
神よ、わが神よ、
わたしは琴をもってあなたをほめたたえます。
 43:5 わが魂よ、何ゆえうなだれるのか。
何ゆえわたしのうちに思いみだれるのか。
神を待ち望め。
わたしはなおわが助け、
わが神なる主をほめたたえるであろう。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2022/10/02

モーセの十戒 第一戒



 モーセの十戒の第一の戒め、出エジプト20章3節をお読みします。
あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない。

 中東のイスラエル人の宗教が母体であるキリスト教は、ただひとりの神のみを信じる信仰に立ちます。モーセの時代の中東世界では、様々な民族がそれぞれ独自の神を信仰していました。イスラエル人が奴隷の身から抜け出したエジプトでは、自然現象の神、獣の神、死後の世界の神など、日本と同じ八百万の神々がありました。
 モーセの時代の前、エジプトでは諸々の神々の頂点に太陽の神が据えられ、エジプトの王パロが神の祭司として君臨し、イスラエル人に重い労役を課しました(出エジプト1章8~14節)。聖書の神は、このエジプトで奴隷であったイスラエル人を導き出して自由と解放を与えた、救いの神です(出エジプト20章2節)。
 この第一の戒めは、私たちを多くの厳しい支配の力から解放し、ただひとりの救いの神のみを信じることを命じています。神が唯一であるからこそ、私たちは「心をつくし、精神をつくし、力をつくして」ひとりの神に集中して信仰することができます(申命記6章4~5節)。神は真心を込めて愛する者に、愛をもって豊かに報いてくださいます(出エジプト20章6節)。

 ご一緒にお祈りいたしましょう。
 天の父なる神様。あなたは私たちを愛するがゆえに、私たちの祈りを聞かれ、私たちを苦しめる様々な力から救い出してくださいます。私たちはただひとりの神を信じます。何ものにも勝る大きな力をもて、日々私たちの歩みを支え、導いてください。
 イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2022/10/01

2022年10月2日の聖書日課

(写真:ミゾソバ)

マルコ14:12-17
 14:12 除酵祭の第一日、すなわち過越の小羊をほふる日に、弟子たちがイエスに尋ねた、「わたしたちは、過越の食事をなさる用意を、どこへ行ってしたらよいでしょうか」。
 14:13 そこで、イエスはふたりの弟子を使いに出して言われた、「市内に行くと、水がめを持っている男に出会うであろう。その人について行きなさい。
 14:14 そして、その人がはいって行く家の主人に言いなさい、『弟子たちと一緒に過越の食事をする座敷はどこか、と先生が言っておられます』。
 14:15 するとその主人は、席を整えて用意された二階の広間を見せてくれるから、そこにわたしたちのために用意をしなさい」。
 14:16 弟子たちは出かけて市内に行って見ると、イエスが言われたとおりであったので、過越の食事の用意をした。
 14:17 夕方になって、イエスは十二弟子と一緒にそこに行かれた。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

讃美歌21・358「小羊をばほめたたえよ」

1)小羊をば ほめたたえよ
妙なる歌声 天に満ちて
神の民よ 恵みの主に
栄えの冠(かむり)を ささげ歌わん

2)主なるイエスを ほめたたえよ
われらの苦しみ 負いしイエスを
十字架の血の 救いの主に
栄えの冠を ささげ歌わん

3)いのちの主を ほめたたえよ
死をほろぼしたる 力の主を
神の民よ 復活の主に
栄えの冠を ささげ歌わん

4)王なるイエスを ほめたたえよ
すべてを治める 支配の主を
とわにいます 平和の主に
栄えの冠を ささげ歌わん

アーメン

出典:日本キリスト教団出版局『讃美歌21』(インターネット配信について