2023/02/27

賛美歌カラオケ・目次


讃21テーマ曲名
24頌栄たたえよ主の
27頌栄父・子・聖霊の
78聖餐わが主よ、ここに集い
99教会主イエスよわれらの
101結婚命と光たもう神よ
156詩篇目を上げわたしは見る
210朝夕来る朝ごとに
231待降久しく待ちにし
248降誕エッサイの根より
252降誕羊は眠れり
258降誕牧人羊を
259降誕急ぎきたれ、主にある民
261降誕もろびとこぞりて
262降誕聞け天使の歌
265降誕天なる神には 
267降誕ああベツレヘムよ
268降誕朝日は昇りて
298受難ああ主は誰がため
303受難丘の上の主の十字架
325復活キリスト・イエスは
342聖霊神の霊よ今くだり
343聖霊聖霊よ降りて
351三位一体聖なる聖なる
358神の名小羊をばほめたたえよ
377宗教改革神はわが砦
402宣教いとも尊き
403宣教聞けよ愛と真理の
436神の招き十字架の血に
449救い千歳の岩よ
451救いくすしきみ恵み
458信頼信仰こそ旅路を
459信頼飼い主わが主よ
461信頼みめぐみ豊けき
465信頼神ともにいまして
466信頼山路こえて
474希望わが身の望みは
482わが主イエスいとうるわし
483わが主イエスよ、ひたすら
484愛の主イエスは
493祈りいつくしみ深い
495祈り静けき祈りの
504服従主よみ手もて
513献身主は命を
532慰め安かれわが心よ
536戦いみ恵みを受けた今は

出典:日本キリスト教団出版局『讃美歌21』(インターネット配信について

2023/02/26

2023年2月26日3分メッセージ



 ルカ4章1節、2節をお読みします。
さて、イエスは聖霊に満ちてヨルダン川から帰り、荒野を四十日のあいだ御霊にひきまわされて、悪魔の試みにあわれた。

 イエス・キリストは多くの民衆と同じくバプテスマ、別名で洗礼を受けた後、聖霊に満たされました(ルカ3章21~22節)。このキリストが体験した二つの出来事は、今日のクリスチャンの模範となっています。すなわち、クリスチャンとなるためには、キリストと同じようにバプテスマを受ける必要があります。またクリスチャンには、キリストと同じように聖霊を受けることが約束されています(使徒2章38節)。
 聖霊、また名である御霊とは神の霊であり、聖霊に満たされることは神の特別なご愛顧を受けていることの印です(ルカ3章22節)。その聖霊がキリストをひきまわすようにして荒野に送り込み、キリストはそこで悪魔の試み、試錬を受けました。試錬を受けることは思いがけない災難であると考えるべきではありません。なぜなら、すべての人は人生の中でしばしば試錬にあうからです。しかし、クリスチャンには試錬の中にあっても神が共におられ、試錬からのがれる道を備えて下さることが約束されています(コリント第一10章13節)。
 キリストは悪魔の試みに対抗して聖書の言葉を掲げ、悪魔はキリストから離れていきました(ルカ4章3~13節)。聖書の言葉すなわち「神の言」(マタイ4章4節)は、人の言葉と違って、人を傷つけるような凶器になることはありません。反対に人に命を与えるものであり、人に正しい道を示すものです(使徒2章28節)。「おのが道を全くして、主のおきてに歩む者はさいわいです。」(詩篇119篇1節)聖書の言葉の力に信頼して学び続けましょう。

 ご一緒にお祈りいたしましょう。
 天の父なる神様。私たちの主であるキリストは、私たちと同じように試錬に会われました。そして、試錬に苦しむ私たちの弱さを知られ、あわれみをもって試錬からのがれる術を与えて下さることを感謝します(ヘブル4章15節)。試錬に苦しむ者に御言葉を賜り、私たちを強め励まして下さいますように。
 イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

讃美歌21・443「冠も天の座も」

1)冠も天の座も 惜しまずに捨てて
地に降るみ子イエスを 泊める部屋はない
おいでください イエスよ
ここに この胸に

2)み使いが声高く 栄光うたうとき
み子イエスは馬小屋で うぶ声をあげた
おいでください イエスよ
ここに この胸に

3)狐には穴があり 鳥には巣があるが
神の子の休まれる 寝床は荒れ野だ
おいでください イエスよ
ここに この胸に

4)悲しみ悩む者を 解き放つイエスを
ゴルゴタで苦しめた 人の罪深さ
おいでください イエスよ
ここに この胸に

5)天国に永遠の部屋を備えられ
勝利の主は私を みもとに呼ばれる
喜びにあふれて 主のもとに行こう

アーメン

出典:日本キリスト教団出版局『讃美歌21』(インターネット配信について

2023/02/20

2023年2月26日の聖書日課

(写真:ユキワリソウ)

ルカ4:1-13
 4:1 さて、イエスは聖霊に満ちてヨルダン川から帰り、
 4:2 荒野を四十日のあいだ御霊にひきまわされて、悪魔の試みにあわれた。そのあいだ何も食べず、その日数がつきると、空腹になられた。
 4:3 そこで悪魔が言った、「もしあなたが神の子であるなら、この石に、パンになれと命じてごらんなさい」。
 4:4 イエスは答えて言われた、「『人はパンだけで生きるものではない』と書いてある」。
 4:5 それから、悪魔はイエスを高い所へ連れて行き、またたくまに世界のすべての国々を見せて
 4:6 言った、「これらの国々の権威と栄華とをみんな、あなたにあげましょう。それらはわたしに任せられていて、だれでも好きな人にあげてよいのですから。
 4:7 それで、もしあなたがわたしの前にひざまずくなら、これを全部あなたのものにしてあげましょう」。
 4:8 イエスは答えて言われた、「『主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよ』と書いてある」。
 4:9 それから悪魔はイエスをエルサレムに連れて行き、宮の頂上に立たせて言った、「もしあなたが神の子であるなら、ここから下へ飛びおりてごらんなさい。
 4:10 『神はあなたのために、御使たちに命じてあなたを守らせるであろう』とあり、
 4:11 また、『あなたの足が石に打ちつけられないように、彼らはあなたを手でささえるであろう』とも書いてあります」。
 4:12 イエスは答えて言われた、「『主なるあなたの神を試みてはならない』と言われている」。
 4:13 悪魔はあらゆる試みをしつくして、一時イエスを離れた。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2023/02/19

2023年2月19日3分メッセージ



 ルカ9章12節、13節をお読みします。
それから日が傾きかけたので、十二弟子がイエスのもとにきて言った、「群衆を解散して、まわりの村々や部落へ行って宿を取り、食物を手にいれるようにさせてください。わたしたちはこんな寂しい所にきているのですから」。しかしイエスは言われた、「あなたがたの手で食物をやりなさい」。

 キリストと十二弟子(使徒)たちはベツサイダという小さな町にやってきました。それは弟子たちが福音宣教の働きから帰ってきてすぐ後のことで、群衆から離れてひそかに休憩を取るためでした。ところが人々はキリスト一行を見つけて、集まってきました。キリストは彼らを拒むことなく、宣教の働きを継続しました(ルカ9章6、10~11節)。
 キリストの宣教活動は夕暮れまで続きました。弟子たちはキリストを心配して、群衆の解散を提案しましたが、キリストは「あなたがたの手で食物をやりなさい」という思いがけない返事をしました。ここから、有名な「五つのパンと二ひきの魚」の奇跡が行われました。この出来事は四つの福音書に記されています(マタイ14章、マルコ6章、ヨハネ6章)。
 キリストはこの出来事で、人々のおなかを満たすことよりも重要なことを教えようとしています。それは、「あなたがたはわたしをだれと言うか」(ルカ9章20節)ということです。群衆の多くは満腹になって帰っていきました。しかし、キリストが常に教え続けていた「神の国」(ルカ9章11節)のことを注意深く聞いた人々、特にキリストと一緒に歩み続けた弟子たちには、この奇跡を通してはっきりと神の国の意味が示されました。それはキリストご自身が「命のパン」であり、人々に永遠の命をもたらすために教え導く方であるということです(ヨハネ6章51節)。日々、まことの命に至る道へと導かれるキリストに従ってまいりましょう(ヨハネ14章6節)。

 ご一緒にお祈りいたしましょう。
 天の父なる神様。私たちに日々、日ごとの食物を与えて生かしてくださることを感謝いたします(マタイ6章11節)。私たちに今日、歩むべき道をも導いてください。人生の道に迷いやすい私たちに、「神の口から出る一つ一つの言」(マタイ4章4節)をも与えてくださり、永遠の命への道を歩ませてください。
 イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

讃美歌21・465「神ともにいまして」

1)神ともにいまして ゆく道を守り
日ごとの糧もて つねに支えたまえ
(くりかえし)
また会う日まで また会う日まで
神のめぐみ 絶えせず共にあれ

2)荒れ野をゆく時も あらし吹く時も
ゆくてを示して 導きたまえ 主よ
(くりかえし)

3)み国に入(い)る日まで
いつくしみ広き
み翼のかげに はぐくみたまえ 主よ
(くりかえし)

アーメン

出典:日本キリスト教団出版局『讃美歌21』(インターネット配信について

2023/02/13

2023年2月19日の聖書日課

(写真:イチゴ)

ルカ9:10-17
 9:10 使徒たちは帰ってきて、自分たちのしたことをすべてイエスに話した。それからイエスは彼らを連れて、ベツサイダという町へひそかに退かれた。
 9:11 ところが群衆がそれと知って、ついてきたので、これを迎えて神の国のことを語り聞かせ、また治療を要する人たちをいやされた。
 9:12 それから日が傾きかけたので、十二弟子がイエスのもとにきて言った、「群衆を解散して、まわりの村々や部落へ行って宿を取り、食物を手にいれるようにさせてください。わたしたちはこんな寂しい所にきているのですから」。
 9:13 しかしイエスは言われた、「あなたがたの手で食物をやりなさい」。彼らは言った、「わたしたちにはパン五つと魚二ひきしかありません、この大ぜいの人のために食物を買いに行くかしなければ」。
 9:14 というのは、男が五千人ばかりもいたからである。しかしイエスは弟子たちに言われた、「人々をおおよそ五十人ずつの組にして、すわらせなさい」。
 9:15 彼らはそのとおりにして、みんなをすわらせた。
 9:16 イエスは五つのパンと二ひきの魚とを手に取り、天を仰いでそれを祝福してさき、弟子たちにわたして群衆に配らせた。
 9:17 みんなの者は食べて満腹した。そして、その余りくずを集めたら、十二かごあった。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2023/02/12

2023年2月12日3分メッセージ



 使徒3章5節、6節をお読みします。
彼は何かもらえるのだろうと期待して、ふたりに注目していると、ペテロが言った、「金銀はわたしには無い。しかし、わたしにあるものをあげよう。ナザレ人イエス・キリストの名によって歩きなさい」。

 キリストの使徒であるペテロとヨハネは、祈りをささげるためにエルサレムの神殿(宮)に行きました。すると、入口の門のところで一人の男性から施しを求められました。すると、使徒たちはその返事として「わたしたちを見なさい」とその男性に言いました(使徒3章1~4節)。
 この男性が期待していたのは施しであり、金銀か何か金目の物を使徒たちからもらうことでした。一方、ペテロは始めから金銀を与えるつもりはありませんでした。いやむしろ、金銀よりももっと値打ちのあるものと信じる、「イエス・キリストの名」から出るものでした。それにも関わらず、施しを求めた男性は幸いなことにそれを受け取ることができました。彼は生れながら足のきかない人でしたが(使徒3章2節)、足が「立ちどころに強くなって、 踊りあがって立ち」上がり、喜んで神をさんびしました(使徒3章7~8節)。
 ペテロにはキリストを伝えたいという願いがありました。一方、施しを求めた男性には、金銀に等しい高価な、何物かをもらえるのだろうという期待がありました。この願いと期待が一つとなって、このような奇跡が起きたと考えられます。
 ペテロはこの後すぐにこのように言っています。「わたしたちを救いうる名は、これ(すなわち、キリストの名前)を別にしては、天下のだれにも与えられていない」(使徒4章12節)。私たちにも同じキリストの名前が与えられていることを感謝しましょう。

 ご一緒にお祈りいたしましょう。
 天の父なる神様。私たちが生きているこの時代、見るところはどこにも希望が見出せない状況かもしれません。しかし、私たちにはイエス・キリストの名前が与えられています。私たちを救いうる救い主の名前として、今日も祈り続けます。キリストの御名によって私たちに救いを与えてください。
 イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

讃美歌21・484「愛の主イエスは」

1)愛の主イエスは 小さいものを
いつも愛して 守るかたです
(くりかえし)
聖書は言う イエスさまは
愛されます このわたしを

2)愛の主イエスは 救いのために
十字架の上で なくなりました
(くりかえし)

3)愛の主イエスは 罪をゆるして
天への道を 開かれました
(くりかえし)

4)愛の主イエスは いつもわたしと
共に歩いて みちびかれます
(くりかえし)

アーメン

出典:日本キリスト教団出版局『讃美歌21』(インターネット配信について

2023/02/06

2023年2月12日の聖書日課

(写真:キルタンサス)

使徒3:1-10
 3:1 さて、ペテロとヨハネとが、午後三時の祈のときに宮に上ろうとしていると、
 3:2 生れながら足のきかない男が、かかえられてきた。この男は、宮もうでに来る人々に施しをこうため、毎日、「美しの門」と呼ばれる宮の門のところに、置かれていた者である。
 3:3 彼は、ペテロとヨハネとが、宮にはいって行こうとしているのを見て、施しをこうた。
 3:4 ペテロとヨハネとは彼をじっと見て、「わたしたちを見なさい」と言った。
 3:5 彼は何かもらえるのだろうと期待して、ふたりに注目していると、
 3:6 ペテロが言った、「金銀はわたしには無い。しかし、わたしにあるものをあげよう。ナザレ人イエス・キリストの名によって歩きなさい」。
 3:7 こう言って彼の右手を取って起してやると、足と、くるぶしとが、立ちどころに強くなって、
 3:8 踊りあがって立ち、歩き出した。そして、歩き回ったり踊ったりして神をさんびしながら、彼らと共に宮にはいって行った。
 3:9 民衆はみな、彼が歩き回り、また神をさんびしているのを見、
 3:10 これが宮の「美しの門」のそばにすわって、施しをこうていた者であると知り、彼の身に起ったことについて、驚き怪しんだ。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2023/02/05

2023年2月5日3分メッセージ



 箴言3章3節をお読みします。
いつくしみと、まこととを捨ててはならない、それをあなたの首に結び、心の碑にしるせ。

 箴言は、イスラエルの王ソロモンをはじめとする指導者が民を教育するために収集した知恵の書物です(箴言1章1~4節)。それは、世の中をうまく生きていくための知恵に留まらず、神と人との前に正しく生きるための戒めをも含むものです(箴言3章4節)。
 ですから箴言は、他人を出し抜いていかに利益をつかむか、ということを教えません。悪事や偽りに手を染めることを戒め、善とまことを守るべきことを教えています(箴言14章22節)。「欺き取ったパンはおいしい、しかし後にはその口は砂利で満たされる。」(箴言20章17節)と言われています。
 また、箴言は自己中心に陥ることを戒めています(箴言3章5節)。厳しく自己研鑽に励んだとしても、結果として自信過剰となって他人の言葉に耳を貸さず、周りが見えなくなってしまうのはよくありません(箴言25章16節)。神を信じることは、信仰以外のことが見えなくなることではありません。信仰とは神の知恵を発見することであり、自らが行くべき道をはっきりと悟ることです(箴言3章6節)。
 箴言をはじめとする聖書の御言葉に学ぶことは、神の前にも人の前にも正しい知恵を得ることであり、神からも人からも慕わしく思えるような生き方を学ぶことです(ルカ2章52節)。聖書が約束している「いつくしみとまこと」をしっかりと目指して御言葉を学び続けましょう。

 ご一緒にお祈りいたしましょう。
 天の父なる神様。現代はおびただしい情報や、様々な人々の宣伝する言葉に満ちあふれています。利益に目をくらまされ、人の道を外れたことを教える言葉に惑わされることがありませんように。まことの道を示し、神の前にも人の前にも正しい生き方を教え導いてください。いつくしみとまことによって私をお守りください(箴言16章6節)。
 イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

讃美歌21・403「聞けよ愛と真理の」

1)聞けよ 愛と真理の 主の物語を
世の罪を除く 主のみことばを
主のみことばを
(おりかえし)
やがて時はきたる 平和の光の
くまなく世をてらす 朝(あした)はきたる

2)仰げ あがないの主を 世のため苦しみ
とこしえの命 与えたイエスを
与えたイエスを
(おりかえし)

3)うたえ 造られたもの 全て声合わせ
よろこびあふれる さかえの歌を
さかえの歌を
(おりかえし)

アーメン

出典:日本キリスト教団出版局『讃美歌21』(インターネット配信について