マタイ4章3節、4節をお読みします。
すると試みる者がきて言った、「もしあなたが神の子であるなら、これらの石がパンになるように命じてごらんなさい」。イエスは答えて言われた、「『人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである』と書いてある」。
イエス・キリストは四十日の間、食事を断って祈りに専念しました。その後、空腹を覚えたキリストの所に悪魔がやって来て、こう言って試みました。「あなたの神の子の力で、石をパンに変えてみなさい。」
この言葉は空腹の体には強い誘惑となったことでしょう。私たちクリスチャンは、キリストが神の子であるという信仰を持っています。またキリストが教えられた「主の祈り」にも、「日ごとの食物を与えてください」という言葉があります(マタイ6章11節)。クリスチャンは、毎日の生活の必要を神が与えてくださることを信じて祈っています。
ですから、食物を求めて神に祈ることは悪い事ではありません。しかし、キリストは「石をパンに変える」ために神の力を用いることを拒否しました。その事は、神の前に謙遜になって求めるという、祈りの本質にそぐわないことであるからです。
キリストは悪魔の神に対する不遜な言葉を退けました。人は食物があれば十分ではなく、神の言葉を食べなければなりません。すなわち、神から折にかなった助けを得ることのできる、正しい祈りの姿勢を身につけなければならないということです。
聖書には、「神は高ぶる者をしりぞけ、へりくだる者に恵みを賜う」とあります(ヤコブ4章6節)。キリストの言葉と生き様から、私たちは神に受け入れられる正しい祈りの心を学びたいと思います。
お祈りいたしましょう。
天の父なる神様。私たち人間は弱さを覚える時、不思議と神に祈りをささげる者です。その時、私たちが正しく神の前にへりくだり、神に従う心をもって祈りをささげることができますように。御言葉の約束通り、天からの恵みをお与えください。
イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)