イザヤ9章2節をお読みします。
暗やみの中に歩んでいた民は大いなる光を見た。暗黒の地に住んでいた人々の上に光が照った。
聖書は読む人の心を映す鏡です。聖書は、聖なる神の言葉を伝えるだけでなく、この世の人間の言葉や生き様を生々しく記しています。聖書を読む時、私たちは神や人々の言葉を耳にして、自らの心が探られる体験をします。
イザヤ書の8章と9章は、預言者イザヤが生きた時代のイスラエルの社会のやみを暴き出しています。そこには、しえたげがあり、飢えの苦しみ、怒りがあり、そのことのためにイスラエルの人々は王と神とを呪いました(イザヤ8章21節)。
このイスラエルのやみに対して、私たちは何を見出すでしょうか。これらの出来事は現代に生きる私たちの社会と全く関係のないことでしょうか。
この暗やみの世界に生きる預言者は、やみの中から大いなる光を見出しました。光はまだ遠くにありましたが、暗やみの中に生きる人々は光に希望を見出しました。
この光が、聖書の神が約束する救いを意味します。未だ世界がやみに覆われていても、夜明けとともに光はやみを追い払います。その事を思って、人々は光を見て大喜びしたのでした(イザヤ9章3節)。
「光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった。」(ヨハネ1章5節)未だ問題解決が見出だせない現代の世界にあって、私たちも神の大いなる光を求めて祈りましょう。聖書の神様は、熱い心で私たちのために救いを成し遂げてくださいます(イザヤ9章7節)。
ご一緒にお祈りいたしましょう。
天の父なる神様。確実な解決の見出だせない今の時代にあって、私たちは神の救いの光を求めています。どうか私たちの世界に、私たちの心に光を与えてください。私たちの世界に希望の光を投じてください。
イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)