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2022/12/07

モーセの十戒 目次

※出エジプト20章3~17節より抜粋

第一戒 あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない。

第二戒 あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない。

第三戒 あなたは、あなたの神、主の名を、みだりに唱えてはならない。

第四戒 安息日を覚えて、これを聖とせよ。

第五戒 あなたの父と母を敬え。

第六戒 あなたは殺してはならない。

第七戒 あなたは姦淫してはならない。

第八戒 あなたは盗んではならない。

第九戒 あなたは隣人について、偽証してはならない。

第十戒 あなたは隣人の家をむさぼってはならない。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2022/12/04

モーセの十戒 第十戒



 モーセの十戒の第十の戒め、出エジプト20章17節をお読みします。
あなたは隣人の家をむさぼってはならない。

 「あなたは盗んではならない。」(出エジプト20章15節)と戒める第八の戒めに続いて、第十の戒めは盗みを働く心の動機を戒めています。盗みを働く動機となるものは「むさぼり」、すなわち欲しがる心です。
 私たちが日々生活する社会においては、私たちが知ることのできる範囲で、すなわち実際の行動や、言葉や、他の人も確認できる証拠によってのみ、物事が正しいか正しくないかを判断することができます。もしある人が心の内側に秘めている思いを、他の人にもわかるように表に出すことがなければ、他の人は知ることができず、善悪も判断することができません。しかし、盗みの行為は、人の心からわき出る悪巧みから始まります。
 第十の戒めは、他人のむさぼりの心を戒めるものではありません。戒めは「あなた」に向けられたものであり、盗みを働こうとする人の心の内側に秘められた、盗みへと誘うむさぼりの心、それも自分だけが知っている、自分の心のうちにあるむさぼりの心を戒める教えです。  聖書はむさぼりや貪欲を罪とします(コロサイ3章5節)。盗みの言い訳とされている「出来心」や「気の迷い」は決して正当な理由とはなりません(マタイ5章29~30節)。自らを律することのできないような欲望や誘惑は避けなければなりません(ヤコブ1章13~14節)。

 ご一緒にお祈りいたしましょう。
 天の父なる神様。聖書の教えは、この世の秩序を保つ社会のルールであるに留まらず、私たちの内に秘めた思いに対しても語り掛ける教えです。この世に生きる私たちに正しい道を教えてください。また、私たち自身も神の助けをいただいて、正しい歩みをすることができるように、私たちに新しい心を与えてください(エゼキエル18章31節)。

 イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2022/11/27

モーセの十戒 第九戒



 モーセの十戒の第九の戒め、出エジプト20章16節をお読みします。
あなたは隣人について、偽証してはならない。

 聖書の神は、悪を行う者を憎み、偽りを言う者を滅ぼす、正義の神です(詩篇5篇5~6節)。もし人が他の人に対し偽りを働くなら、正義の神はその人々の間を公平にさばき、偽る者を罪とされます(詩篇9篇8節)。
 神は悪者を滅ぼすだけでなく、正しい者の正当な権利を守り、人々の争いを仲裁して仲を取り持ってくださるお方です。しかし、もし神の正義に逆らって偽りを働くなら、偽る者を守る権利などどこにもありません(サムエル上2章25節)。聖書は偽りの証言をした者を、その偽ることの悪とともに除き去るべきことを命じています(申命記19章18~19節)。
 私たち人間はたとい正直、真実に生きようと志しても、意図せずに間違いを犯し、偽りを口にすることもあります(ヤコブ3章2~8節)。ですから、この第九の戒めにより責められない人は、一人もいません。私たちはみな偽りを働く罪から救われる必要があります(エペソ4章25節)。偽りの言葉に代えて、聖書から正しい、良い言葉を学び、心に蓄えましょう(エペソ4章29節)。

 ご一緒にお祈りいたしましょう。
 天の父なる神様。この世界には本物ではない、偽りの物事に満ち満ちています。それどころか、私たちの唇から大きな嘘、小さな噓の数々があふれてきます。どうぞ私たちのうちから偽りの心を取り除いてください。どうぞ私たちの心に真実な言葉を与えてください(詩篇18篇30節)。
 イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2022/11/20

モーセの十戒 第八戒



 モーセの十戒の第八の戒め、出エジプト20章15節をお読みします。
あなたは盗んではならない。

 十戒は、他人の物を無断で盗むことを、二つの戒めにより禁じています。すなわち、第八の戒めは盗む行為を禁じ、第十の戒めは盗もうとする動機を禁じています。
 聖書の神は、人が物を所有する権利を認めていて、他人の所有する権利を侵してはならないことを命じています(出エジプト6章8節)。もし盗みを働いて他人の権利を侵すことがあれば、その盗みの罪による損害を賠償すべきことを命じています(出エジプト22章1節)。
 また、物や金銭に執着して、欲にかられて盗みを働くことのないように、自分の持っている物で満足すべきことを教えています(ルカ3章14節)。さらに、不足を補うために自らの手で働くことが大切であること(エペソ4章28節)、自分の事だけでなく、助けを必要としている貧しい人々を顧みて、できる限りの中で他者を助け、養うべきことを勧めています(ヤコブ1章27節)。
 人の持つ権利は決して生まれながらに持っているものではありません。権利はそれを保障する大きな力があって守られるものです。聖書の神は人が物を所有し、生きる権利を守られます。同じように、すべての人が不足せずに生活できることが、神の御心です(申命記15章11節)。この神の御心に従って、自ら進んで与える者に、神は豊かに報いてくださいます(ルカ6章38節)。

 ご一緒にお祈りいたしましょう。
 天の父なる神様。私たちが日々享受している、生きるための様々な権利は、神の大きな力によって守られていることを感謝いたします。今日も神の守りの中で生きることができ、また他の人々の権利も尊重して生きることができますように。「受けるよりは与える方が、さいわいである」(使徒20章35節)と言われるキリストの教えに従わせてください。
 イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2022/11/13

モーセの十戒 第七戒



 モーセの十戒の第七の戒め、出エジプト20章14節をお読みします。
あなたは姦淫してはならない。

 現代の日本では、結婚式を教会で、またはキリスト教式で挙げることが最も多いようです。キリスト教では、結婚式は神と人との前で行う結婚の契りの儀式として行います。すなわち結婚とは、男女が一体となって生涯を添い遂げることの契約であり、約束です。
 万一の場合として、離婚することになれば、神の前で誓った結婚の約束を破ることになり、神と人とに対する裏切りの行為とみなされます(マラキ2章16節)。
 聖書の神は、固い約束によって結ばれた結婚を重んじられ、祝福されます(ヘブル13章4節)。イエス・キリストも、「彼らはもはや、ふたりではなく一体である。だから、神が合わせられたものを、人は離してはならない」(マタイ19章6節)と言って戒めています。これに反して姦淫は、神が祝福をもって結ばれた人間関係を壊す罪です(ホセア2章2節)。
 人を結び合わせる聖書の知恵に学んでまいりましょう。祝福された夫婦関係を営む秘訣は、「互に仕え合う」ことです(エペソ5章21~32節)。

 ご一緒にお祈りいたしましょう。
 天の父なる神様。聖書の戒めは、私たち人間の日々の生活を豊かにするものであることを感謝します。イエス・キリストの愛は、私たちを神の家族として一つにし、神の家族に和解をもたらします(エペソ2章13~19節)。どうぞ、私たちのうちに潜む、家族の一致を壊す悪事、罪を取り除き、清めてください。
 イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2022/11/06

モーセの十戒 第六戒



 モーセの十戒の第六の戒め、出エジプト20章13節をお読みします。
あなたは殺してはならない。

 人殺しはあらゆる時代、あらゆる世界で大きな罪とされる行為です。しかし、あらゆる時代、あらゆる世界で人殺しは行われてきました。また、ある人々は「なぜ人殺しが悪いことなのかわからない」と言ったりもします。その問いかけに対し、聖書ははっきりと理由を示しています。それは、神が「殺してはならない」と命じているからです。
 聖書は、他の人々に悪を行わず、かえって善を行えと命じています(マタイ7章12節)。自分が良ければ良いという自己中心的な理由は認められません。「おのおの、自分のことばかりでなく、他人のことも考えなさい。」(ピリピ2章4節)と聖書は私たちに教え諭しています。
 さらに聖書は、人殺しの根本にある「憎しみ」の心そのものを戒めています(マタイ5章21~26節)。人殺しの行為だけでなく、人殺しの原因を取り除くことを聖書の神は命じているのです。第六の戒めは、「神は愛である」(ヨハネ第一4章8節)といわれる神の愛の心を示しています。神の愛は人を生かします(ヨハネ第一4章9節)。

 ご一緒にお祈りいたしましょう。
 天の父なる神様。「愛には恐れがない。完全な愛は恐れをとり除く。」(ヨハネ第一4章18節)と私たちは御言葉により教えられています。人間に対する悪を取り除くために、善なる神の愛を受け取ることができますように。人を生かす愛によって私たちを満たしてください。
 イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2022/10/30

モーセの十戒 第五戒



 モーセの十戒の第五の戒め、出エジプト20章12節をお読みします。
あなたの父と母を敬え。

 モーセの十戒の十の戒めは、神との関係についての戒め(第一~四戒)と、人間関係についての戒め(第五~十戒)の、大きく二つに分けることができます。その人間関係の戒めの最初として、第五の戒めは「あなたの父と母を敬え」と命じています。親子関係はあらゆる人間関係の中でも最も身近なものです。
 時代により、またそれぞれの家庭により、親子の関係は大きな違いがあります。しかし、人々の社会での役割が完全に調和した時代、あるいは完全に平等な人間関係が保証された時代は、今までの人類の歴史の中で存在したことがありません。あらゆる人間関係はどこかに歪みがありうるものです。奴隷(出エジプト20章10節の「しもべ」の真意)のような、人間関係に明らかな不平等の存在するモーセの時代に、十戒は正しい人間関係について教え、戒めています。
 正しい人間関係は一方的ではないことも聖書は教えています(エペソ6章1~4節)。しかし、正しい人間関係を築くためには、自分の方から関係を正していかなければなりません。「あなたの父と母を敬え。」神は御言葉に従う者を豊かに祝福してくださいます。

 ご一緒にお祈りいたしましょう。
 天の父なる神様。聖書は私たちに「あなた自身のようにあなたの隣人を愛さなければならない。」(レビ19章18節)と命じています。これは神様が命じられた戒めですから、私たちは御言葉に従ってまいります。どうぞ御言葉に伴う約束を、互いに愛し合うことのできる愛を、また命の祝福を私たちに与えてください。
 イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2022/10/23

モーセの十戒 第四戒



 モーセの十戒の第四の戒め、出エジプト20章8節をお読みします。
安息日を覚えて、これを聖とせよ。

 聖書の神は天地創造の神であり、秩序正しく創造の働きをなし、世界を完成させた後、働きを休まれました(創世記1~2章)。イスラエル人はこのことにならって、六日間の働きの後、七日目すなわち土曜日を安息日として神に礼拝をささげました(出エジプト20章9~10節)。クリスチャンはイスラエル人にならって、イエス・キリストが復活して救いの働きを完成させた日曜日に、教会に集まって礼拝をささげています。
 第四の戒めの「安息日を覚えて」とは、日々働く私たち人間に必要な休みを与えることであり、人間に健康的な生活を保障する戒めです(マタイ11章28節)。しかし、神は人間と同じように疲れて、休みが必要となる訳ではありません。むしろ、人が疲れて働けない時に、神は絶えず働かれて人間のために救いの奇跡を行われます(詩篇121篇4節)。
 また、安息日は休日であるとともに聖なる日であり、神の特別な祝福に与ることのできる日です(出エジプト20章11節)。ですから、私たちは安息日に神の救いの働きを求めて、人の働きを休ませて神を見上げる礼拝をささげたいと思います。

 ご一緒にお祈りいたしましょう。
 天の父なる神様。私たち人間を休ませるため、また私たちを神の特別な祝福に与らせるために、安息日を与えてくださったことを感謝いたします。この安息日の精神を大切にして、私たちも共に教会に集まって礼拝をささげることができますように。礼拝の中で神の安息と祝福に与ることができますように。
 イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2022/10/16

モーセの十戒 第三戒



 モーセの十戒の第三の戒め、出エジプト20章7節をお読みします。
あなたは、あなたの神、主の名を、みだりに唱えてはならない。

 聖書の神は、自らを目に見える姿形ではなく、言葉による自己表現として名前を告げます(出エジプト3章14節)。他の神々は、人間の都合に合ったご利益をもたらす名前を、人間が名づけます。そして、神々は人間の名づけによって縛られ、その限界が定められてしまいます。聖書の神はこの第三の戒めにより、神が人間の支配に服することを拒んでいます。
 イスラエル人は、この第三の戒めを重く受け止めた結果、決して神の御名を口にすることがありません。しかし、私たちクリスチャンは、聖書により教えられた神の御名を、神を賛美し、神に祈る正しい目的のために唱えます(マタイ6章9節)。神は私たちのうちに神の霊を注がれたので、「アバ、父よ」と神を呼ぶことができます(ローマ8章15節)。真心からの感謝をもって父なる神を賛美し、喜びをもって神に祈りをささげましょう。

 ご一緒にお祈りいたしましょう。
 天の父なる神様。私たちが賛美をささげ、祈りをささげることができるために、神の御名を教えてくださったことを感謝いたします。どうぞ私たちの心に正しい思いを、私たちの口に正しい、良い言葉を授けてください。そして、日ごとの私たちの賛美と祈りを受け入れてください。
 イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2022/10/09

モーセの十戒 第二戒



 モーセの十戒の第二の戒め、出エジプト20章4節をお読みします。
あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない。

 「刻んだ像を造ってはならない」ということ、すなわち偶像礼拝の禁止は、十戒の第一の戒めに続くものです。聖書の神は、私たち人間が見ることのできないお方ですので、偶像のような見える形で表すことができません。しかし、神ご自身が御言葉、すなわち聖書の言葉をもって自己表現されたので、私たちも神を知ることができます(申命記4章12節)。
 他の宗教では、神の像や仏像など様々な形を造り出し、それらの神々の像を拝んでいます。しかし、それらの像は人間の作品に過ぎません。決して、神々の像が自ら声を上げて、自己表現しているわけではありません(ハバクク2章18節)。
 聖書の神は、人の手で表現できるような小さな存在ではありません。そのような別物の神を造り出そうとする人に、神のねたみは向けられます(出エジプト20章5節)。むしろ、神は御言葉をもって私たちに、本物の神とはどのようなお方かを示されます。私たちは神からのメッセージを素直に受け取る者になりたいと思います。

 ご一緒にお祈りいたしましょう。
 天の父なる神様。私たち人間は、自らの力で対処できる程度の大きさで、物事を判断しがちです。しかし、神は人間の器に収まるような小さな存在ではないことを認めます。神ご自身が声を上げて表された、大きな神の愛に素直に従うことができますように。
 イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2022/10/02

モーセの十戒 第一戒



 モーセの十戒の第一の戒め、出エジプト20章3節をお読みします。
あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない。

 中東のイスラエル人の宗教が母体であるキリスト教は、ただひとりの神のみを信じる信仰に立ちます。モーセの時代の中東世界では、様々な民族がそれぞれ独自の神を信仰していました。イスラエル人が奴隷の身から抜け出したエジプトでは、自然現象の神、獣の神、死後の世界の神など、日本と同じ八百万の神々がありました。
 モーセの時代の前、エジプトでは諸々の神々の頂点に太陽の神が据えられ、エジプトの王パロが神の祭司として君臨し、イスラエル人に重い労役を課しました(出エジプト1章8~14節)。聖書の神は、このエジプトで奴隷であったイスラエル人を導き出して自由と解放を与えた、救いの神です(出エジプト20章2節)。
 この第一の戒めは、私たちを多くの厳しい支配の力から解放し、ただひとりの救いの神のみを信じることを命じています。神が唯一であるからこそ、私たちは「心をつくし、精神をつくし、力をつくして」ひとりの神に集中して信仰することができます(申命記6章4~5節)。神は真心を込めて愛する者に、愛をもって豊かに報いてくださいます(出エジプト20章6節)。

 ご一緒にお祈りいたしましょう。
 天の父なる神様。あなたは私たちを愛するがゆえに、私たちの祈りを聞かれ、私たちを苦しめる様々な力から救い出してくださいます。私たちはただひとりの神を信じます。何ものにも勝る大きな力をもて、日々私たちの歩みを支え、導いてください。
 イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)