2019/10/27

2019年10月27日3分メッセージ


 創世記1章1節から5節までをお読みします。
初めに、神が天と地を創造した。地は茫漠として何もなかった。やみが大水の上にあり、神の霊が水の上を動いていた。神は仰せられた。「光があれ。」すると光があった。神は光を見て良しとされた。神は光とやみとを区別された。神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。夕があり、朝があった。第一日。

 聖書の最初、創世記の冒頭に世界の始まりが語られます。
 世界がどのように始まり、人類が存在するようになったのか。私たち人類は遥か昔から今に至るまで、世界の始まりの謎を解明しようと様々な努力をしてきました。その結論として語られている様々な説明に、私たちは満足できているでしょうか。
 聖書が語る世界の始まりの物語は、科学者が求めるような客観的資料をほとんど提供していません。代わりに、人間を中心とする見方からは見えてこない見方、すなわち世界の創造者からの見方で世界の始まりを語っています。
 神は言葉によって世界を創造し、名づけることによって世界が存在する「意味」を与えました。創造の終わりに、神は自らが創造したものを「良い」ものであると認めました。
 聖書は、神とはどんな御方なのか、また神が語られ、行われたことを多く語っています。私たちが聖書を読む時、神を知ることを通して自らの起源を知り、自らの存在する意味を知り、自らの価値を知ることができます。聖書の神はこのように語っています。「わたしの目には、あなたは高価で尊い。」(イザヤ43章4節)

 お祈りいたしましょう。
 天の父なる神さま。私たちは世の中の様々な情報に振り回され、自らの価値を見失ってしまうことがあります。私たちが聖書を読む時、世界の創造者である神が「良し」とされた、私たち自身の尊い価値を知ることができますように。
 イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
(聖書 新改訳 (C)1970,1978,2003 新日本聖書刊行会)

2019/10/20

2019年10月20日3分メッセージ


  ルカ19章26節をお読みします。
あなたがたに言うが、だれでも持っている者は、さらに与えられ、持たない者からは、持っている物までも取り上げられるのです。

 イエス・キリストは次のようなたとえ話をしました。
 『ある貴族が遠い国に旅に出ました。その目的は皇帝に謁見して、自分の地方の支配権を認めてもらうためでした。
 旅に出る前に、貴族は十人のしもべに資本金を預け、主人の留守中に商売をして金を儲けることを命じました。
 あるしもべは商売をして資本金を十倍に、別のしもべは五倍に増やしました。しかし、ある別のしもべは商売をせず、預かった金を風呂敷に包んでしまっておきました。彼の目には、預かった金は無いに等しく、主人はきびしい人だと映っていたからです。
 彼らの主人は王となって帰ってきました。主人はしもべたちに預けた金を精算し、それぞれの功績に応じてしもべたちを町の代官に任命しました。しかし、主人の命令に従わなかったしもべは叱られ、預けた金は取り上げられて最も功績のあったしもべに与えられました。』
 このたとえ話は、人間には等しく人生を生きる機会が与えられていることを示しています。ある人は自分に与えられたものを不満に思い、折角の機会を生かすことができないのかもしれません。聖書は「すべての事について、感謝しなさい」(第一テサロニケ5章18節)と教えています。充実した人生を生きる秘訣を聖書に学びたいと思います。

 お祈りいたしましょう。
 天の父なる神さま。私たち一人びとりに与えられたものを感謝しつつ、それを見定めて生かしていく目を私たちに与えてください。
 イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
(聖書 新改訳 ©1970,1978,2003 新日本聖書刊行会)

2019/10/13

2019年10月13日(日) 聖餐式

志村キリスト教会では毎月第二日曜日に、礼拝の中で聖餐式を行っています。聖餐式とは洗礼を受けたクリスチャンが与るキリスト教の儀式です。クリスチャンではない方も見学することができますので、第二日曜日も気兼ねなくお越しください。

2019年10月13日3分メッセージ


 ヤコブ2章1節をお読みします。
私の兄弟たち。あなたがたは私たちの栄光の主イエス・キリストを信じる信仰を持っているのですから、人をえこひいきしてはいけません。

 キリスト教会という社会集団は、ほかの社会集団、例えば会社などとは違う特徴があります。
 第一に、教会はイエス・キリストが中心である団体です。キリストによる救いを語る聖書を行動規範として、教会は運営されており、教会員すなわちクリスチャンは日々生活することを志しています。
 第二に、教会は社会のあらゆる差別を受け入れず、キリストを信じる信仰のもとに平等を守る団体です。家族関係をはじめとする社会の様々な身分の違いについて、教会は無視している訳ではありません。しかし、それらの身分の違いによって教会内の立場の優劣を決めることはありません。また、クリスチャンでない方が信仰について知ることを願われるなら、礼拝などの教会の活動に参加されることを歓迎します。
 教会のクリスチャンはイエス・キリストの言葉と生き方に学ぶ者であり、他人より優れた熟練者であると考えないでください。聖書はキリストの教えと相いれない、人を差別するような「えこひいき」を戒めています。キリストが身をもって教えられた「愛」に、私たちは謙虚に学びたいと思います。

 お祈りいたしましょう。
 天の父なる神さま。私たちのうちから人を差別する「えこひいき」を取り除いてください。代わりに、イエス・キリストによって示された「愛」を実践する者として私たちを教え導いてください。
 イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
(聖書 新改訳 ©1970,1978,2003 新日本聖書刊行会)

2019/10/12

2019年10月6日(日) 平松神学生実習開始

今月より中央聖書神学校から実習生が毎週日曜日に派遣されることになりました。神学校1年生の平松公平さん(3分メッセージ)です。来年3月まで来られますので、皆様よろしくお願いいたします。

2019年8月19日(月) ジュニアキャンプ

学校の夏休みには毎年各地でジュニアキャンプが行われます。志村教会は教会員の実家に近い関係で、西地区ジュニアキャンプに参加しています。会場は毎年恒例の国立信州国立信州高遠青少年自然の家で行われました。今年のメッセンジャーは南紀キリスト教会の寺田雄先生でした。

2019年6月16日(日) 献堂65周年記念礼拝

今年は現在地の板橋区舟渡に最初の教会堂が開設されて65年が経ちました。献堂65周年記念礼拝を、志村教会第四代牧師の長屋勇先生を説教者としてお迎えして行いました。34年間に渡り志村教会で働かれた長屋先生より薫陶を受け、新たな一歩を踏み出していきたいと思います。

2019年5月18日(土) 教区合同追悼記念会

数年ぶりに開催された関東教区(北東・南西2教区)合同追悼記念会に出席しました。都立多磨霊園にある教区共同墓地にて、先に天に召された信仰の先達たちを偲びました。

2019年4月16日(火) こども動物園の羊

板橋区立こども動物園高島平分園では、毎年ゴールデンウィークに「羊の毛刈り」イベントがあります。今年は毛刈り直前の羊を見ようとやってきましたが、一匹は既に練習台になったようでした。羊は聖書に深い縁のある動物です。『主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。』(詩篇23:1)

2019年3月27日(水) ユースキャンプ

学校の春休み期間中、関東北東教区主催の青少年向けのキャンプが日光オリーブの里を会場として行われました。今回は志村教会からの参加者は少なかったので、次回は大勢で参加したいと思います。

2019年1月1日(火) 元旦礼拝

今年も元旦から礼拝をもって一年を始めることができました。志村教会のすぐそばにある戸田橋からは富士山がよく見えます。今年もきれいな富士山を見ることができました。

2019/10/11

教会日記(2015年~2018年)

 2015年 献堂61周年記念礼拝
藤井敬朗師(新中野キリスト教会

 2015年 自衛消防訓練
(志村消防署蓮根出張所の協力を得て)

2016年 献堂62周年記念礼拝
長谷川忠幸師(境港キリスト教会

2016年 召天者記念礼拝
山脇久治師(志村教会初代牧師)

2017年 献堂63周年記念礼拝
 山田亘師(西東京キリスト教会

 2017年 教会堂改修工事
 
2018年 献堂64周年記念礼拝
中山規夫師(岩見沢神召キリスト教会

2018年 第14回NEW断食祈祷聖会

教会日記(2011年~2014年)

2011年 イースター講演会
齋藤又次氏(斉藤歯科医院

 2011年 献堂57周年記念礼拝
上原時江師(すわシオンキリスト教会

2012年 キッズアーク(子ども礼拝)

 2012年 献堂58周年記念礼拝
 船津恭子師(金沢キリスト教会

 2013年 献堂59周年記念礼拝

 2013年 洗礼式

2014年 献堂60周年記念礼拝

2014年 主日礼拝
吉原博克宣教師

2019/10/10

教会日記(2011年以前)

1949年、板橋区蓮根の藤化成(現・藤倉化成株式会社)
の厚生施設を借用して日曜学校が始まる

1954年6月13日、 現在地にて献堂式が行われる
初代牧師は山脇久治師(任期1954年~1957年)

1958年、第二代牧師の堀川満也師家族を囲んで
(任期1957年~1958年)

1961年、第二代教会堂の献堂式

1962年、第三代牧師の松崎実也師を囲んで
(任期1959年~1973年)

1974年、献堂20周年記念聖会
第四代牧師は長屋勇師(任期1973年~2007年)

1983年、第三代教会堂(現教会堂)の起工式
(同年竣工)

第五代牧師 内田信恵師(任期2007~2011年)
写真右端、現姓は立木

2019/10/06

2019年10月6日3分メッセージ



 詩篇49篇7節および8節をお読みします。
人は自分の兄弟をも買い戻すことはできない。自分の身代金を神に払うことはできない。──たましいの贖いしろは、高価であり、永久にあきらめなくてはならない──

 聖書は繰り返し、財産やお金の関わり方について警告をしています。財産そのものが悪である訳ではありません。しかし、財産に強く執着することに問題が生じてきます。「金銭を愛することが、あらゆる悪の根」であるとも聖書は語っています(第一テモテ6章10節)。
 古今東西の人類の歴史において、また私たちの身近な社会においても、財産を巡るトラブルには事欠きません。人が財産を自らのものにしようとするあまり、逆に財産がその人のすべてを支配しているような状況もよく見られるものです。
 そのような私たちに、聖書は大切な点を気づかせてくれます。それは、人が財産を持てるのは束の間のことであり、人生の終わりと共に財産とも別れを告げなければならないのです。人はどんなにお金をつぎ込んだとしても、この世で永遠に生き続けることはできません。全世界の富よりも人の命は遥かに高価で大切なものです。
 聖書の神は、私たち一人びとりに素晴らしい人生を、無償で与えてくださいました。そのことは神の愛の具体的な形です。最後に、ヨハネ3章16節をお読みします。「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」

 お祈りいたしましょう。
 天の父なる神さま。あなたは私たち一人びとりに、決してお金に換えることのできない大切な命を与えてくださいました。その神の愛に感謝しつつ、自分自身を愛して日々を過ごすことができますように。
 イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
(聖書 新改訳 ©1970,1978,2003 新日本聖書刊行会)