マタイ3章11節をお読みします。
わたしは悔改めのために、水でおまえたちにバプテスマを授けている。しかし、わたしのあとから来る人はわたしよりも力のあるかたで、わたしはそのくつをぬがせてあげる値うちもない。このかたは、聖霊と火とによっておまえたちにバプテスマをお授けになるであろう。
この言葉は、バプテスマのヨハネがイエス・キリストについて説明したものです。
当時のイスラエルでは、身を清めるために水を浴びる、バプテスマという儀式が行われていました。ヨハネは多くの人々にこれを行ったので、バプテスマのヨハネと呼ばれました(マタイ3章6節)。
しかし、ヨハネが人々に説いたのは「悔い改めよ」ということでした(マタイ3章2節)。悔改めとは、形だけ水を浴びることではなく、自分の罪を告白して、罪から決別する意志を持つことです。むしろ、ヨハネは見せかけだけのバプテスマを止めさせようとしたのです(マタイ3章7節)。
さらにヨハネは、自分より力のあるのはキリストであると告げます。ヨハネのバプテスマは水でしかないが、キリストのバプテスマは火のように人々から罪を除き去る力がある、と告げているのです。
キリスト教会は、クリスチャンになろうとする人に水のバプテスマ、すなわち洗礼式を授けます。それは、洗礼の水に特別な力があるというのではなく、キリストに真の罪の清めの力があることを示すものです。罪や罪責感に苦しんでいる人は、キリストによる罪からの清めを得るために、キリストのバプテスマを受けてください(使徒2章38節)。
ご一緒にお祈りいたしましょう。
天の父なる神様。私たち人間には罪に打ち勝つ力はありません。ただ、聖霊と火のバプテスマを授けられるイエス・キリストにこそ、罪に打ち勝つ力があります。私たちは自らの罪を告白します。どうぞ私たちを罪の力から救い出してください。
イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)