ヨハネ21章12節をお読みします。
イエスは彼らに言われた、「さあ、朝の食事をしなさい」。弟子たちは、主であることがわかっていたので、だれも「あなたはどなたですか」と進んで尋ねる者がなかった。
ヨハネ21章では、イエス・キリストと彼の弟子たちとの暖かい交流の情景が描かれています。一見したところ、何気ない日常の風景と見えなくもありません。ですが、弟子たちにとっては、言葉に表し切れないような深い意味をもった出来事でした。
その日の前夜の事、弟子たちの多くは魚をとる漁師だったので、彼らは生活のために漁に出ました。しかし、夜通し漁をしても、魚は一匹もとれませんでした(3節)。
夜が明けたころ、彼らの先生であるキリストが岸辺に立っていました。しかし、不思議なことに弟子たちはその人が先生であることに気がつきませんでした(4節)。それには訳があります。この時、キリストは十字架の死、および三日目の復活の後であったからです。
キリストの復活を意味するイースターの後、キリストは以前と同じように弟子たちと生活を共にすることはなくなりました。しかし、弟子たちが助けを必要とする時に、キリストは彼らの前に姿を現しました。
その後、弟子たちは多くの魚がとれる奇跡を見て、その人がキリストであることに気がつきました(6、7節)。ですが、それよりも、懐かしい先生との一緒の食事に、彼らは大変力づけられたはずです(9~13節)。
今日の私たちクリスチャンにとっても、キリストはそれと同じような関係にあるのだと思います。イエス・キリストは私たちが一番必要とする時に、一緒にいて力づけてくださるお方です。キリストはこう言って約束しておられます。「見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである」(マタイ28章20節)。
お祈りいたしましょう。
天の父なる神様。私たちは一人であっても、多くの人々と一緒であっても、支えられることを求めて心細くなる時があります。そのような時、「いつも共にいる」と言われるキリストの約束の通り、私たちを支え、励ましてくださいますように。
イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)