ローマ6章11節をお読みします。
あなたがた自身も、罪に対して死んだ者であり、キリスト・イエスにあって神に生きている者であることを、認むべきである。
この聖句はクリスチャンに対して、死と命について教えています。その後に、死をもたらすものは罪であり、命をもたらすものはキリストであると告げています(ローマ6章23節)。
死と命は、クリスチャンだけではなく、すべての人に関係があるものです。私たちは毎日、命を保って生きていますが、いずれ私たちのすべてが死に至ります。そのような意味で、すべての人間は死の力から逃れることができません。
同じように、死をもたらす罪も、すべての人間を支配しています。罪の力は私たちを命から引き離し、死の中へ引きずり込もうとします。そのように、私たちが他人だけでなく、自分であっても命から遠ざけようとするとき、私たちの心も行動も罪に支配されていて、そのようなことを行う者は罪人とみなされます。
しかし、人間を支配する罪も死も、その本人が死んでしまえば、最早その力を失ってしまいます。そこで、イエス・キリストは私たち全人類を罪と死の力から解放するため、ご自身の十字架の死によって罪と死を無力化されました。そのことが、クリスチャンの罪が赦されることの原理です(ローマ6章6節)。
ですから、クリスチャンはキリストの十字架によって既に罪に対して死んでいて、罪の力は私たちに何の影響も及ぼしません。それだけではなく、私たちは新しい命が与えられています。それはキリストによって与えられた神の命です。
ご一緒にお祈りいたしましょう。
天の父なる神様。私たちの身近なところに様々な恐怖があります。それは病や死であり、そして死をもたらす罪の恐怖があります。しかし、聖書が教えているとおり、キリストの十字架がすべての罪と死を取り除き、私たちには神の命が与えられています。キリストによる命に満たされて、日々を平安に過ごさせてください。
イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)