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2024/09/29

2024年9月29日の聖書日課

(ノゲイトウ)

ヨハネ11:3-11
 11:3 姉妹たちは人をイエスのもとにつかわして、「主よ、ただ今、あなたが愛しておられる者が病気をしています」と言わせた。
 11:4 イエスはそれを聞いて言われた、「この病気は死ぬほどのものではない。それは神の栄光のため、また、神の子がそれによって栄光を受けるためのものである」。
 11:5 イエスは、マルタとその姉妹とラザロとを愛しておられた。
 11:6 ラザロが病気であることを聞いてから、なおふつか、そのおられた所に滞在された。
 11:7 それから弟子たちに、「もう一度ユダヤに行こう」と言われた。
 11:8 弟子たちは言った、「先生、ユダヤ人らが、さきほどもあなたを石で殺そうとしていましたのに、またそこに行かれるのですか」。
 11:9 イエスは答えられた、「一日には十二時間あるではないか。昼間あるけば、人はつまずくことはない。この世の光を見ているからである。
 11:10 しかし、夜あるけば、つまずく。その人のうちに、光がないからである」。
 11:11 そう言われたが、それからまた、彼らに言われた、「わたしたちの友ラザロが眠っている。わたしは彼を起しに行く」。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2024/09/22

2024年9月22日の聖書日課

(センニンソウ)

詩篇139:11-18
 139:11 「やみはわたしをおおい、
わたしを囲む光は夜となれ」とわたしが言っても、
 139:12 あなたには、やみも暗くはなく、
夜も昼のように輝きます。
あなたには、やみも光も異なることはありません。
 139:13 あなたはわが内臓をつくり、
わが母の胎内でわたしを組み立てられました。
 139:14 わたしはあなたをほめたたえます。
あなたは恐るべく、くすしき方だからです。
あなたのみわざはくすしく、
あなたは最もよくわたしを知っておられます。
 139:15 わたしが隠れた所で造られ、
地の深い所でつづり合されたとき、
わたしの骨はあなたに隠れることがなかった。
 139:16 あなたの目は、
まだできあがらないわたしのからだを見られた。
わたしのためにつくられたわがよわいの日の
まだ一日もなかったとき、
その日はことごとくあなたの書にしるされた。
 139:17 神よ、あなたのもろもろのみ思いは、
なんとわたしに尊いことでしょう。
その全体はなんと広大なことでしょう。
 139:18 わたしがこれを数えようとすれば、
その数は砂よりも多い。
わたしが目ざめるとき、
わたしはなおあなたと共にいます。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2024/09/15

2024年9月15日の聖書日課

(ゴマ)

ヨハネ10:24-30
 10:24 するとユダヤ人たちが、イエスを取り囲んで言った、「いつまでわたしたちを不安のままにしておくのか。あなたがキリストであるなら、そうとはっきり言っていただきたい」。
 10:25 イエスは彼らに答えられた、「わたしは話したのだが、あなたがたは信じようとしない。わたしの父の名によってしているすべてのわざが、わたしのことをあかししている。
 10:26 あなたがたが信じないのは、わたしの羊でないからである。
 10:27 わたしの羊はわたしの声に聞き従う。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしについて来る。
 10:28 わたしは、彼らに永遠の命を与える。だから、彼らはいつまでも滅びることがなく、また、彼らをわたしの手から奪い去る者はない。
 10:29 わたしの父がわたしに下さったものは、すべてにまさるものである。そしてだれも父のみ手から、それを奪い取ることはできない。
 10:30 わたしと父とは一つである」。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2024/09/08

2024年9月8日の聖書日課

(ウド)

第一ペテロ2:18-25
 2:18 僕たる者よ。心からのおそれをもって、主人に仕えなさい。善良で寛容な主人だけにでなく、気むずかしい主人にも、そうしなさい。
 2:19 もしだれかが、不当な苦しみを受けても、神を仰いでその苦痛を耐え忍ぶなら、それはよみせられることである。
 2:20 悪いことをして打ちたたかれ、それを忍んだとしても、なんの手柄になるのか。しかし善を行って苦しみを受け、しかもそれを耐え忍んでいるとすれば、これこそ神によみせられることである。
 2:21 あなたがたは、実に、そうするようにと召されたのである。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、御足の跡を踏み従うようにと、模範を残されたのである。
 2:22 キリストは罪を犯さず、その口には偽りがなかった。
 2:23 ののしられても、ののしりかえさず、苦しめられても、おびやかすことをせず、正しいさばきをするかたに、いっさいをゆだねておられた。
 2:24 さらに、わたしたちが罪に死に、義に生きるために、十字架にかかって、わたしたちの罪をご自分の身に負われた。その傷によって、あなたがたは、いやされたのである。
 2:25 あなたがたは、羊のようにさ迷っていたが、今は、たましいの牧者であり監督であるかたのもとに、たち帰ったのである。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2024/09/01

2024年9月1日の聖書日課

(キクイモ)

エレミヤ28:10-17
 28:10 そこで預言者ハナニヤは預言者エレミヤの首から、くびきを取って、それを砕いた。
 28:11 そしてハナニヤは、すべての民の前で語り、「主はこう仰せられる、『わたしは二年のうちに、このように、万国民の首からバビロンの王ネブカデネザルのくびきを離して砕く』」と言った。預言者エレミヤは去って行った。
 28:12 預言者ハナニヤが預言者エレミヤの首から、くびきを離して砕いた後、しばらくして主の言葉がエレミヤに臨んだ、
 28:13 「行って、ハナニヤに告げなさい、『主はこう仰せられる、あなたは木のくびきを砕いたが、わたしはそれに替えて鉄のくびきを作ろう。
 28:14 万軍の主、イスラエルの神はこう仰せられる、わたしは鉄のくびきをこの万国民の首に置いて、バビロンの王ネブカデネザルに仕えさせる。彼らはこれに仕える。わたしは野の獣をも彼に与えた』」。
 28:15 預言者エレミヤはまた預言者ハナニヤに言った、「ハナニヤよ、聞きなさい。主があなたをつかわされたのではない。あなたはこの民に偽りを信じさせた。
 28:16 それゆえ主は仰せられる、『わたしはあなたを地のおもてから除く。あなたは主に対する反逆を語ったので、今年のうちに死ぬのだ』と」。
 28:17 預言者ハナニヤはその年の七月に死んだ。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2024/08/25

2024年8月25日の聖書日課

(サワギキョウ)

詩篇98篇

 98:1 新しき歌を主にむかってうたえ。
主はくすしきみわざをなされたからである。
その右の手と聖なる腕とは、
おのれのために勝利を得られた。
 98:2 主はその勝利を知らせ、
その義をもろもろの国民の前にあらわされた。
 98:3 主はそのいつくしみと、まこととを
イスラエルの家にむかって覚えられた。
地のもろもろのはては、われらの神の勝利を見た。
 98:4 全地よ、主にむかって喜ばしき声をあげよ。
声を放って喜び歌え、ほめうたえ。
 98:5 琴をもって主をほめうたえ。
琴と歌の声をもってほめうたえ。
 98:6 ラッパと角笛の音をもって
王なる主の前に喜ばしき声をあげよ。
 98:7 海とその中に満ちるもの、
世界とそのうちに住む者とは鳴りどよめけ。
 98:8 大水はその手を打ち、
もろもろの山は共に主のみ前に喜び歌え。
 98:9 主は地をさばくために来られるからである。
主は義をもって世界をさばき、
公平をもってもろもろの民をさばかれる。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2024/08/18

2024年8月18日の聖書日課

(キオン)

出エジプト34:4-9
 34:4 そこでモーセは前のような石の板二枚を、切って造り、朝早く起きて、主が彼に命じられたようにシナイ山に登った。彼はその手に石の板二枚をとった。
 34:5 ときに主は雲の中にあって下り、彼と共にそこに立って主の名を宣べられた。
 34:6 主は彼の前を過ぎて宣べられた。「主、主、あわれみあり、恵みあり、怒ることおそく、いつくしみと、まこととの豊かなる神、
 34:7 いつくしみを千代までも施し、悪と、とがと、罪とをゆるす者、しかし、罰すべき者をば決してゆるさず、父の罪を子に報い、子の子に報いて、三、四代におよぼす者」。
 34:8 モーセは急ぎ地に伏して拝し、
 34:9 そして言った、「ああ主よ、わたしがもし、あなたの前に恵みを得ますならば、かたくなな民ですけれども、どうか主がわたしたちのうちにあって一緒に行ってください。そしてわたしたちの悪と罪とをゆるし、わたしたちをあなたのものとしてください」。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2024/08/11

2024年8月11日の聖書日課

(ウバユリ)

ヨハネ7:37-44
 7:37 祭の終りの大事な日に、イエスは立って、叫んで言われた、「だれでもかわく者は、わたしのところにきて飲むがよい。
 7:38 わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その腹から生ける水が川となって流れ出るであろう」。
 7:39 これは、イエスを信じる人々が受けようとしている御霊をさして言われたのである。すなわち、イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊がまだ下っていなかったのである。
 7:40 群衆のある者がこれらの言葉を聞いて、「このかたは、ほんとうに、あの預言者である」と言い、
 7:41 ほかの人たちは「このかたはキリストである」と言い、また、ある人々は、「キリストはまさか、ガリラヤからは出てこないだろう。
 7:42 キリストは、ダビデの子孫から、またダビデのいたベツレヘムの村から出ると、聖書に書いてあるではないか」と言った。
 7:43 こうして、群衆の間にイエスのことで分争が生じた。
 7:44 彼らのうちのある人々は、イエスを捕えようと思ったが、だれひとり手をかける者はなかった。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2024/08/04

2024年8月4日の聖書日課

(タマアジサイ)

第一ヨハネ5:1-5
 5:1 すべてイエスのキリストであることを信じる者は、神から生れた者である。すべて生んで下さったかたを愛する者は、そのかたから生れた者をも愛するのである。
 5:2 神を愛してその戒めを行えば、それによってわたしたちは、神の子たちを愛していることを知るのである。
 5:3 神を愛するとは、すなわち、その戒めを守ることである。そして、その戒めはむずかしいものではない。
 5:4 なぜなら、すべて神から生れた者は、世に勝つからである。そして、わたしたちの信仰こそ、世に勝たしめた勝利の力である。
 5:5 世に勝つ者はだれか。イエスを神の子と信じる者ではないか。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2024/07/28

2024年7月28日の聖書日課

(オモダカ)

マタイ20:1-16
 20:1 天国は、ある家の主人が、自分のぶどう園に労働者を雇うために、夜が明けると同時に、出かけて行くようなものである。
 20:2 彼は労働者たちと、一日一デナリの約束をして、彼らをぶどう園に送った。
 20:3 それから九時ごろに出て行って、他の人々が市場で何もせずに立っているのを見た。
 20:4 そして、その人たちに言った、『あなたがたも、ぶどう園に行きなさい。相当な賃銀を払うから』。
 20:5 そこで、彼らは出かけて行った。主人はまた、十二時ごろと三時ごろとに出て行って、同じようにした。
 20:6 五時ごろまた出て行くと、まだ立っている人々を見たので、彼らに言った、『なぜ、何もしないで、一日中ここに立っていたのか』。
 20:7 彼らが『だれもわたしたちを雇ってくれませんから』と答えたので、その人々に言った、『あなたがたも、ぶどう園に行きなさい』。
 20:8 さて、夕方になって、ぶどう園の主人は管理人に言った、『労働者たちを呼びなさい。そして、最後にきた人々からはじめて順々に最初にきた人々にわたるように、賃銀を払ってやりなさい』。
 20:9 そこで、五時ごろに雇われた人々がきて、それぞれ一デナリずつもらった。
 20:10 ところが、最初の人々がきて、もっと多くもらえるだろうと思っていたのに、彼らも一デナリずつもらっただけであった。
 20:11 もらったとき、家の主人にむかって不平をもらして
 20:12 言った、『この最後の者たちは一時間しか働かなかったのに、あなたは一日じゅう、労苦と暑さを辛抱したわたしたちと同じ扱いをなさいました』。
 20:13 そこで彼はそのひとりに答えて言った、『友よ、わたしはあなたに対して不正をしてはいない。あなたはわたしと一デナリの約束をしたではないか。
 20:14 自分の賃銀をもらって行きなさい。わたしは、この最後の者にもあなたと同様に払ってやりたいのだ。
 20:15 自分の物を自分がしたいようにするのは、当りまえではないか。それともわたしが気前よくしているので、ねたましく思うのか』。
 20:16 このように、あとの者は先になり、先の者はあとになるであろう」。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2024/07/21

2024年7月21日の聖書日課

(ツユクサ)

ヨハネ10:7-16
 10:7 そこで、イエスはまた言われた、「よくよくあなたがたに言っておく。わたしは羊の門である。
 10:8 わたしよりも前にきた人は、みな盗人であり、強盗である。羊は彼らに聞き従わなかった。
 10:9 わたしは門である。わたしをとおってはいる者は救われ、また出入りし、牧草にありつくであろう。
 10:10 盗人が来るのは、盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするためにほかならない。わたしがきたのは、羊に命を得させ、豊かに得させるためである。
 10:11 わたしはよい羊飼である。よい羊飼は、羊のために命を捨てる。
 10:12 羊飼ではなく、羊が自分のものでもない雇人は、おおかみが来るのを見ると、羊をすてて逃げ去る。そして、おおかみは羊を奪い、また追い散らす。
 10:13 彼は雇人であって、羊のことを心にかけていないからである。
 10:14 わたしはよい羊飼であって、わたしの羊を知り、わたしの羊はまた、わたしを知っている。
 10:15 それはちょうど、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである。そして、わたしは羊のために命を捨てるのである。
 10:16 わたしにはまた、この囲いにいない他の羊がある。わたしは彼らをも導かねばならない。彼らも、わたしの声に聞き従うであろう。そして、ついに一つの群れ、ひとりの羊飼となるであろう。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2024/07/14

2024年7月14日の聖書日課

(ベニバナ)

ルカ15:11-24
 15:11 また言われた、「ある人に、ふたりのむすこがあった。
 15:12 ところが、弟が父親に言った、『父よ、あなたの財産のうちでわたしがいただく分をください』。そこで、父はその身代をふたりに分けてやった。
 15:13 それから幾日もたたないうちに、弟は自分のものを全部とりまとめて遠い所へ行き、そこで放蕩に身を持ちくずして財産を使い果した。
 15:14 何もかも浪費してしまったのち、その地方にひどいききんがあったので、彼は食べることにも窮しはじめた。
 15:15 そこで、その地方のある住民のところに行って身を寄せたところが、その人は彼を畑にやって豚を飼わせた。
 15:16 彼は、豚の食べるいなご豆で腹を満たしたいと思うほどであったが、何もくれる人はなかった。
 15:17 そこで彼は本心に立ちかえって言った、『父のところには食物のあり余っている雇人が大ぜいいるのに、わたしはここで飢えて死のうとしている。
 15:18 立って、父のところへ帰って、こう言おう、父よ、わたしは天に対しても、あなたにむかっても、罪を犯しました。
 15:19 もう、あなたのむすこと呼ばれる資格はありません。どうぞ、雇人のひとり同様にしてください』。
 15:20 そこで立って、父のところへ出かけた。まだ遠く離れていたのに、父は彼をみとめ、哀れに思って走り寄り、その首をだいて接吻した。
 15:21 むすこは父に言った、『父よ、わたしは天に対しても、あなたにむかっても、罪を犯しました。もうあなたのむすこと呼ばれる資格はありません』。
 15:22 しかし父は僕たちに言いつけた、『さあ、早く、最上の着物を出してきてこの子に着せ、指輪を手にはめ、はきものを足にはかせなさい。
 15:23 また、肥えた子牛を引いてきてほふりなさい。食べて楽しもうではないか。
 15:24 このむすこが死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから』。それから祝宴がはじまった。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2024/07/07

2024年7月7日の聖書日課

(ヒツジグサ)

マルコ4:2-9
 4:2 イエスは譬で多くの事を教えられたが、その教の中で彼らにこう言われた、
 4:3 「聞きなさい、種まきが種をまきに出て行った。
 4:4 まいているうちに、道ばたに落ちた種があった。すると、鳥がきて食べてしまった。
 4:5 ほかの種は土の薄い石地に落ちた。そこは土が深くないので、すぐ芽を出したが、
 4:6 日が上ると焼けて、根がないために枯れてしまった。
 4:7 ほかの種はいばらの中に落ちた。すると、いばらが伸びて、ふさいでしまったので、実を結ばなかった。
 4:8 ほかの種は良い地に落ちた。そしてはえて、育って、ますます実を結び、三十倍、六十倍、百倍にもなった」。
 4:9 そして言われた、「聞く耳のある者は聞くがよい」。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2024/06/30

2024年6月30日の聖書日課

(シモツケ)

使徒9:36-42
 9:36 ヨッパにタビタ(これを訳すと、ドルカス、すなわち、かもしか)という女弟子がいた。数々のよい働きや施しをしていた婦人であった。
 9:37 ところが、そのころ病気になって死んだので、人々はそのからだを洗って、屋上の間に安置した。
 9:38 ルダはヨッパに近かったので、弟子たちはペテロがルダにきていると聞き、ふたりの者を彼のもとにやって、「どうぞ、早くこちらにおいで下さい」と頼んだ。
 9:39 そこでペテロは立って、ふたりの者に連れられてきた。彼が着くとすぐ、屋上の間に案内された。すると、やもめたちがみんな彼のそばに寄ってきて、ドルカスが生前つくった下着や上着の数々を、泣きながら見せるのであった。
 9:40 ペテロはみんなの者を外に出し、ひざまずいて祈った。それから死体の方に向いて、「タビタよ、起きなさい」と言った。すると彼女は目をあけ、ペテロを見て起きなおった。
 9:41 ペテロは彼女に手をかして立たせた。それから、聖徒たちや、やもめたちを呼び入れて、彼女が生きかえっているのを見せた。
 9:42 このことがヨッパ中に知れわたり、多くの人々が主を信じた。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2024/06/23

2024年6月23日の聖書日課

(ナツツバキ)

ヨブ42:1-5
 42:1 そこでヨブは主に答えて言った、
 42:2 「わたしは知ります、
あなたはすべての事をなすことができ、
またいかなるおぼしめしでも、
あなたにできないことはないことを。
 42:3 『無知をもって神の計りごとをおおう
この者はだれか』。
それゆえ、わたしはみずから悟らない事を言い、
みずから知らない、測り難い事を述べました。
 42:4 『聞け、わたしは語ろう、
わたしはあなたに尋ねる、わたしに答えよ』。
 42:5 わたしはあなたの事を耳で聞いていましたが、
今はわたしの目であなたを拝見いたします。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2024/06/16

2024年6月16日の聖書日課

(ブルーベリー)

ヘブル12:22-29
 12:22 しかしあなたがたが近づいているのは、シオンの山、生ける神の都、天にあるエルサレム、無数の天使の祝会、
 12:23 天に登録されている長子たちの教会、万民の審判者なる神、全うされた義人の霊、
 12:24 新しい契約の仲保者イエス、ならびに、アベルの血よりも力強く語るそそがれた血である。
 12:25 あなたがたは、語っておられるかたを拒むことがないように、注意しなさい。もし地上で御旨を告げた者を拒んだ人々が、罰をのがれることができなかったなら、天から告げ示すかたを退けるわたしたちは、なおさらそうなるのではないか。
 12:26 あの時には、御声が地を震わせた。しかし今は、約束して言われた、「わたしはもう一度、地ばかりでなく天をも震わそう」。
 12:27 この「もう一度」という言葉は、震われないものが残るために、震われるものが、造られたものとして取り除かれることを示している。
 12:28 このように、わたしたちは震われない国を受けているのだから、感謝をしようではないか。そして感謝しつつ、恐れかしこみ、神に喜ばれるように、仕えていこう。
 12:29 わたしたちの神は、実に、焼きつくす火である。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2024/06/09

2024年6月9日の聖書日課

(ヒオウギズイセン)

ハバクク2:1-4
 2:1 わたしはわたしの見張所に立ち、
物見やぐらに身を置き、
望み見て、彼がわたしになんと語られるかを見、
またわたしの訴えについて
わたし自らなんと答えたらよかろうかを見よう。
 2:2 主はわたしに答えて言われた、
「この幻を書き、
これを板の上に明らかにしるし、
走りながらも、これを読みうるようにせよ。
 2:3 この幻はなお定められたときを待ち、
終りをさして急いでいる。それは偽りではない。
もしおそければ待っておれ。
それは必ず臨む。滞りはしない。
 2:4 見よ、その魂の正しくない者は衰える。
しかし義人はその信仰によって生きる。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2024/06/02

2024年6月2日の聖書日課

(タチアオイ)

ヨハネ3:1-8
 3:1 パリサイ人のひとりで、その名をニコデモというユダヤ人の指導者があった。
 3:2 この人が夜イエスのもとにきて言った、「先生、わたしたちはあなたが神からこられた教師であることを知っています。神がご一緒でないなら、あなたがなさっておられるようなしるしは、だれにもできはしません」。
 3:3 イエスは答えて言われた、「よくよくあなたに言っておく。だれでも新しく生れなければ、神の国を見ることはできない」。
 3:4 ニコデモは言った、「人は年をとってから生れることが、どうしてできますか。もう一度、母の胎にはいって生れることができましょうか」。
 3:5 イエスは答えられた、「よくよくあなたに言っておく。だれでも、水と霊とから生れなければ、神の国にはいることはできない。
 3:6 肉から生れる者は肉であり、霊から生れる者は霊である。
 3:7 あなたがたは新しく生れなければならないと、わたしが言ったからとて、不思議に思うには及ばない。
 3:8 風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞くが、それがどこからきて、どこへ行くかは知らない。霊から生れる者もみな、それと同じである」。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2024/05/26

2024年5月26日の聖書日課

(カラタチ)

ローマ8:31-39
 8:31 それでは、これらの事について、なんと言おうか。もし、神がわたしたちの味方であるなら、だれがわたしたちに敵し得ようか。
 8:32 ご自身の御子をさえ惜しまないで、わたしたちすべての者のために死に渡されたかたが、どうして、御子のみならず万物をも賜わらないことがあろうか。
 8:33 だれが、神の選ばれた者たちを訴えるのか。神は彼らを義とされるのである。
 8:34 だれが、わたしたちを罪に定めるのか。キリスト・イエスは、死んで、否、よみがえって、神の右に座し、また、わたしたちのためにとりなして下さるのである。
 8:35 だれが、キリストの愛からわたしたちを離れさせるのか。患難か、苦悩か、迫害か、飢えか、裸か、危難か、剣か。
 8:36 「わたしたちはあなたのために終日、
死に定められており、
ほふられる羊のように見られている」
と書いてあるとおりである。
 8:37 しかし、わたしたちを愛して下さったかたによって、わたしたちは、これらすべての事において勝ち得て余りがある。
 8:38 わたしは確信する。死も生も、天使も支配者も、現在のものも将来のものも、力あるものも、
 8:39 高いものも深いものも、その他どんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスにおける神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのである。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2024/05/19

2024年5月19日の聖書日課

(アマドコロ)

ローマ8:22-27
 8:22 実に、被造物全体が、今に至るまで、共にうめき共に産みの苦しみを続けていることを、わたしたちは知っている。
 8:23 それだけではなく、御霊の最初の実を持っているわたしたち自身も、心の内でうめきながら、子たる身分を授けられること、すなわち、からだのあがなわれることを待ち望んでいる。
 8:24 わたしたちは、この望みによって救われているのである。しかし、目に見える望みは望みではない。なぜなら、現に見ている事を、どうして、なお望む人があろうか。
 8:25 もし、わたしたちが見ないことを望むなら、わたしたちは忍耐して、それを待ち望むのである。
 8:26 御霊もまた同じように、弱いわたしたちを助けて下さる。なぜなら、わたしたちはどう祈ったらよいかわからないが、御霊みずから、言葉にあらわせない切なるうめきをもって、わたしたちのためにとりなして下さるからである。
 8:27 そして、人の心を探り知るかたは、御霊の思うところがなんであるかを知っておられる。なぜなら、御霊は、聖徒のために、神の御旨にかなうとりなしをして下さるからである。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)