2019/12/29

2019年12月29日3分メッセージ


 詩篇145篇16節をお読みします。
あなたはみ手を開いて、すべての生けるものの願いを飽かせられます。
 一年の終わりにあたり、神への感謝の賛美歌をお読みしました。
 一年を振り返ると、良かった事も悪かった事も思い出します。決して、良い事だけであった、あるいは悪い事だけであったと言うことはできないはずです。なるべく広い見方で一年間を振り返ってみましょう。
 そして、一つの出来事はそれだけで独立しているのではなく、その出来事につながる多くの小さな出来事、それも嬉しく思えるような小さな幸せに必ずつながっているものです。そのような発見は、しばしば自然の中で見ることができるでしょう。それらのものは、それぞれ独特な方法で喜びを表しています。それが、私たち人間を含む全世界の創造主である神に対する感謝の表れなのです。
 聖書の神は、自らが造り出したものたちの喜びと感謝を、喜んで聞かれるお方です。そして、すべてのものに恵みとあわれみを豊かに注がれます。聖書も、「すべての事について、感謝しなさい。」(第一テサロニケ5章18節)と教えています。神は御手を大きく開いて、私たちを良いもので一杯にしてくださいます。

 一年の感謝をもって、ご一緒にお祈りいたしましょう。
 天の父なる神さま。今年も良いもので私たちを満たしてくださったことを感謝いたします。あなた様の御手のうちは良いもので満ちています。来る新年も私たちを新しい恵みによって満たしてくださり、日々感謝をもって生きるものとしてください。
 イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2019/12/23

2019年12月29日の聖書日課

(写真:シクラメン)

詩篇145:10-21
 145:10 主よ、あなたのすべてのみわざはあなたに感謝し、
あなたの聖徒はあなたをほめまつるでしょう。
 145:11 彼らはみ国の栄光を語り、あなたのみ力を宣べ、
 145:12 あなたの大能のはたらきと、
み国の光栄ある輝きとを人の子に知らせるでしょう。
 145:13 あなたの国はとこしえの国です。
あなたのまつりごとはよろずよに
絶えることはありません。
 145:14 主はすべて倒れんとする者をささえ、
すべてかがむ者を立たせられます。
 145:15 よろずのものの目はあなたを待ち望んでいます。
あなたは時にしたがって彼らに食物を与えられます。
 145:16 あなたはみ手を開いて、
すべての生けるものの願いを飽かせられます。
 145:17 主はそのすべての道に正しく、
そのすべてのみわざに恵みふかく、
 145:18 すべて主を呼ぶ者、誠をもって主を呼ぶ者に
主は近いのです。
 145:19 主はおのれを恐れる者の願いを満たし、
またその叫びを聞いてこれを救われます。
 145:20 主はおのれを愛する者をすべて守られるが、
悪しき者をことごとく滅ぼされます。
 145:21 わが口は主の誉を語り、
すべての肉なる者は世々かぎりなく
その聖なるみ名をほめまつるでしょう。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2019年12月22日3分メッセージ


 ヘブル1章5節をお読みします。
いったい、神は御使たちのだれに対して、「あなたこそは、わたしの子。きょう、わたしはあなたを生んだ」と(中略)言われたことがあるか。
 この聖書の言葉は、イエス・キリストを説明する他の聖書の言葉(詩篇2篇7節)を引用しています。要するに、キリストは神に仕える御使、すなわち天使以上の存在であると言っているのです。
 キリストは宣教活動を始める前に、バプテスマのヨハネから洗礼(バプテスマ)を受けました。その後、天からキリストにこのような言葉がかかりました。「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である」(マタイ3章17節)。
 この言葉の通り、キリストの生涯は、クリスマスの誕生から十字架の死に至るまで、神の御旨に従い切った生涯でした。キリストは良き教えを語り、人々を心身ともに健やかに生かすため様々な事を行いました。そのようにしてキリストは神の御心を地上に現す働きをしました。
 クリスマスは、このキリストが神の業を地上にもたらすため、この地に生を受けられたことを感謝しつつ、キリストを礼拝するお祭りです(ヘブル1章6節)。クリスマスを楽しみつつ、イエス・キリストを主役としてお迎えするクリスマスでありますように。

 今年も幸いなクリスマスを迎えることができるように、ご一緒にお祈りいたしましょう。
 天の父なる神さま。今年のクリスマスにあたり、イエス・キリストが神の御子であると語る聖書の言葉を思いみます。クリスマスの後、来る新年にもキリストの恵みによって健やかに生きることができますように。
 イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2019/12/15

2019年12月22日の聖書日課

(写真:クロガネモチ)

ヘブル1:1-6
 1:1 神は、むかしは、預言者たちにより、いろいろな時に、いろいろな方法で、先祖たちに語られたが、
 1:2 この終りの時には、御子によって、わたしたちに語られたのである。神は御子を万物の相続者と定め、また、御子によって、もろもろの世界を造られた。
 1:3 御子は神の栄光の輝きであり、神の本質の真の姿であって、その力ある言葉をもって万物を保っておられる。そして罪のきよめのわざをなし終えてから、いと高き所にいます大能者の右に、座につかれたのである。
 1:4 御子は、その受け継がれた名が御使たちの名にまさっているので、彼らよりもすぐれた者となられた。
 1:5 いったい、神は御使たちのだれに対して、
「あなたこそは、わたしの子。
きょう、わたしはあなたを生んだ」
と言い、さらにまた、
「わたしは彼の父となり、
彼はわたしの子となるであろう」
と言われたことがあるか。
 1:6 さらにまた、神は、その長子を世界に導き入れるに当って、
「神の御使たちはことごとく、彼を拝すべきである」
と言われた。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2019年12月15日3分メッセージ


 ヨハネ1章23節をお読みします。
彼は言った、「わたしは、預言者イザヤが言ったように、『主の道をまっすぐにせよと荒野で呼ばわる者の声』である」。
 この言葉は、イエス・キリストの前に宣教活動を始めた「バプテスマのヨハネ」の自己紹介の言葉です。
 ヨハネは「悔い改めよ、天国は近づいた」(マタイ3章2節)と語り、イスラエルの人々を教えました。彼の言葉に聞き従った人々は、回心を示す儀式である洗礼を、別の言葉では「水のバプテスマ」(ヨハネ1章26節)をヨハネより受けました。
 ヨハネの許に集まってきたのは信奉者だけではありませんでした。当時のイスラエル社会の指導者たちもヨハネに注目し、彼の正体を知ろうと使者を遣わして尋問したのでした(ヨハネ1章19節)。
 彼らの問いに対して、ヨハネは冒頭の言葉の通り答えました。自分は特別な人間ではなく、後にやってくる主たるキリストの前触れである、単なる声に過ぎないのだと言ったのです。
 クリスマスはこのキリストがやってくることを伝えるものです。キリストにこそクリスマスの醍醐味があります。ぜひこの良い機会に教会でクリスマスの持つ豊かさを味わってみてください。

 お祈りいたしましょう。
 天の父なる神さま。一年の終わりに感謝をもってクリスマスを祝ってまいります。クリスマスの出来事のすべてが、主であられるイエス・キリストを語っています。天国の祝福と共にイエス・キリストを心に迎え入れることができますように。
 イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2019/12/08

2019年12月15日の聖書日課

(写真:イロハモミジ)

ヨハネ1:19-27
 1:19さて、ユダヤ人たちが、エルサレムから祭司たちやレビ人たちをヨハネのもとにつかわして、「あなたはどなたですか」と問わせたが、その時ヨハネが立てたあかしは、こうであった。
 1:20 すなわち、彼は告白して否まず、「わたしはキリストではない」と告白した。
 1:21 そこで、彼らは問うた、「それでは、どなたなのですか、あなたはエリヤですか」。彼は「いや、そうではない」と言った。「では、あの預言者ですか」。彼は「いいえ」と答えた。
 1:22 そこで、彼らは言った、「あなたはどなたですか。わたしたちをつかわした人々に、答を持って行けるようにしていただきたい。あなた自身をだれだと考えるのですか」。
 1:23 彼は言った、「わたしは、預言者イザヤが言ったように、『主の道をまっすぐにせよと荒野で呼ばわる者の声』である」。
 1:24 つかわされた人たちは、パリサイ人であった。
 1:25 彼らはヨハネに問うて言った、「では、あなたがキリストでもエリヤでもまたあの預言者でもないのなら、なぜバプテスマを授けるのですか」。
 1:26 ヨハネは彼らに答えて言った、「わたしは水でバプテスマを授けるが、あなたがたの知らないかたが、あなたがたの中に立っておられる。
 1:27 それがわたしのあとにおいでになる方であって、わたしはその人のくつのひもを解く値うちもない」。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2019年12月8日3分メッセージ


 第二ペテロ1章16節をお読みします。
わたしたちの主イエス・キリストの力と来臨とを、あなたがたに知らせた時、わたしたちは、巧みな作り話を用いることはしなかった。わたしたちが、そのご威光の目撃者なのだからである。
 この言葉を語ったペテロは、イエス・キリストの十二人の使徒の一人でした。ペテロはキリストに従ってイスラエルの国中を旅し、キリストから教えを受け、様々な奇跡を目の当たりにしました。
 ペテロが目撃した奇跡の中でも手紙にしたためて伝えたかったのは、聖なる山で見聞きしたキリストの姿のことでした。そこでキリストは突然に光り輝く姿となり、天から声が聞こえてきました(マルコ9章2~8節)。
 ペテロにとって、イエス・キリストは偉大な先生であるに留まらず、神から遣わされた救い主であり、そのことを自らの体験を語ることで伝えようとしたのです。
 キリストを信じるクリスチャンたちは、皆ペテロが感じたように、キリストがほかのものと比べられないような特別な存在であることを感じています。皆がペテロと同じ体験をしている訳ではありませんが、自分自身ではっきりとわかるような個人的な体験を持っています。
 イエス・キリストはこのように個人的にはっきりと現れてくださるお方です。今年もキリストの来臨を祝うクリスマスをご一緒にお祝いしたいと思います。

 お祈りいたしましょう。
 天の父なる神さま。ペテロがキリストの救いの力をはっきりと知ることができたように、私たちにもキリストのご威光をはっきりと示してください。今年も喜ばしいクリスマスを迎えることができますように。
 イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2019/12/01

2019年12月8日の聖書日課

(写真:ヤツデ)

第二ペテロ1:16-21
 1:16 わたしたちの主イエス・キリストの力と来臨とを、あなたがたに知らせた時、わたしたちは、巧みな作り話を用いることはしなかった。わたしたちが、そのご威光の目撃者なのだからである。
 1:17 イエスは父なる神からほまれと栄光とをお受けになったが、その時、おごそかな栄光の中から次のようなみ声がかかったのである、「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である」。
 1:18 わたしたちもイエスと共に聖なる山にいて、天から出たこの声を聞いたのである。
 1:19 こうして、預言の言葉は、わたしたちにいっそう確実なものになった。あなたがたも、夜が明け、明星がのぼって、あなたがたの心の中を照すまで、この預言の言葉を暗やみに輝くともしびとして、それに目をとめているがよい。
 1:20 聖書の預言はすべて、自分勝手に解釈すべきでないことを、まず第一に知るべきである。
 1:21 なぜなら、預言は決して人間の意志から出たものではなく、人々が聖霊に感じ、神によって語ったものだからである。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2019年12月1日3分メッセージ


 イザヤ52章7節をお読みします。
よきおとずれを伝え、平和を告げ、よきおとずれを伝え、救を告げ、シオンにむかって「あなたの神は王となられた」と言う者の足は山の上にあって、なんと麗しいことだろう。
 聖書の中心的なメッセージのことを「福音」と言います。福音という言葉は、要するに「よきおとずれ」を意味していて、キリスト教的にはイエス・キリストの救いについての知らせを意味します。
 キリスト教はこの福音を広めることを使命として、約二千年の間、全世界で様々な形で活動してきました。イザヤ書の言葉の通り、宣教師は海を越えて山を越えてよきおとずれを伝え、様々な社会事業を行って平和的な活動を行ってきました。
 そのような活動の原動力は聖書の神の恵みの力であり、その力は王様のように強く、権威のあるものです。聖書の神は良い目的のために、また平和のために力を奮われるお方です。
 福音は平和を必要としている人のため、争いに巻き込まれて傷ついている人に伝えられます。キリストの降誕を祝うクリスマスの時期に、聖書が告げる福音に耳を傾けてください。キリストは「霊妙なる議士、大能の神、とこしえの父、平和の君」です。(イザヤ9章6節)
 お祈りいたしましょう。
 天の父なる神さま。今年もクリスマスの時期がやってきました。私たちの身の回りでも、様々な形でイエス・キリストの福音のメッセージが伝えられています。その「よきおとずれ」に耳を傾けることができますように。伝えられた平和と救いをしっかりと受け取ることができますように。
 イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2019年12月1日の聖書日課

(写真:サザンカ)

イザヤ52:7-10
 52:7 よきおとずれを伝え、平和を告げ、
よきおとずれを伝え、救を告げ、
シオンにむかって「あなたの神は王となられた」と
言う者の足は山の上にあって、
なんと麗しいことだろう。
 52:8 聞けよ、あなたの見張びとは声をあげて、
共に喜び歌っている。
彼らは目と目と相合わせて、
主がシオンに帰られるのを見るからだ。
 52:9 エルサレムの荒れすたれた所よ、
声を放って共に歌え。
主はその民を慰め、
エルサレムをあがなわれたからだ。
 52:10 主はその聖なるかいなを、
もろもろの国びとの前にあらわされた。
地のすべての果は、われわれの神の救を見る。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)