詩篇49篇7節および8節をお読みします。
人は自分の兄弟をも買い戻すことはできない。自分の身代金を神に払うことはできない。──たましいの贖いしろは、高価であり、永久にあきらめなくてはならない──
聖書は繰り返し、財産やお金の関わり方について警告をしています。財産そのものが悪である訳ではありません。しかし、財産に強く執着することに問題が生じてきます。「金銭を愛することが、あらゆる悪の根」であるとも聖書は語っています(第一テモテ6章10節)。
古今東西の人類の歴史において、また私たちの身近な社会においても、財産を巡るトラブルには事欠きません。人が財産を自らのものにしようとするあまり、逆に財産がその人のすべてを支配しているような状況もよく見られるものです。
そのような私たちに、聖書は大切な点を気づかせてくれます。それは、人が財産を持てるのは束の間のことであり、人生の終わりと共に財産とも別れを告げなければならないのです。人はどんなにお金をつぎ込んだとしても、この世で永遠に生き続けることはできません。全世界の富よりも人の命は遥かに高価で大切なものです。
聖書の神は、私たち一人びとりに素晴らしい人生を、無償で与えてくださいました。そのことは神の愛の具体的な形です。最後に、ヨハネ3章16節をお読みします。「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」
お祈りいたしましょう。
天の父なる神さま。あなたは私たち一人びとりに、決してお金に換えることのできない大切な命を与えてくださいました。その神の愛に感謝しつつ、自分自身を愛して日々を過ごすことができますように。
イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
(聖書 新改訳 ©1970,1978,2003 新日本聖書刊行会)