詩篇111篇1節をお読みします。
主をほめたたえよ。わたしは正しい者のつどい、および公会で、心をつくして主に感謝する。
「主をほめたたえよ」という言葉は、聖書の元々の言葉であるヘブル語では「ハレルヤ」と言います。聖書の中では、ハレルヤは神を賛美する言葉として用いられています(黙示録19章1節)。
ハレルヤという言葉は、時々一般の歌謡曲でも使われることがありますが、ほとんどの場合、喜びの叫び声として歌われているようです。本来の出所である聖書でも、ハレルヤは神の救いのわざに対する感謝の言葉として用いられ、数多くの賛美歌の中で歌われています(詩篇111篇1~2節)。
聖書の中でハレルヤと賛美する人々は、神の救いのわざを自分自身で体験しています。救いの神が確かにおられること、神の救いは失せることなく、今も、これからも体験することができるのだ、ということを喜びをもって歌っているのです(詩篇111篇3節)。それに留まらず、自らが体験した救いを他の人々にも伝えたいと願い、「主をほめたたえよ」と歌って人々に神の救いのわざを訴えかけているのです。
この救われたことの喜びが多くの人々に、ハレルヤの輪と共に広まりますように。ハレルヤの賛美は、広がりつつある喜びの輪です。皆様のもとにもこの喜びが伝わりますようにと願います。
ご一緒にお祈りいたしましょう。
天の父なる神様。時々街中でも聞こえてくる賛美歌は、神の救いに与ったことの喜びを伝えています。「ハレルヤ」の賛美と共に、天から降り注ぐ喜びがこの地に満ちますように。私たちも、ハレルヤの大きな喜びの輪の中に加わることができますように。
イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)