2022/04/30

讃美歌21・459「飼い主わが主よ」

1)飼い主わが主よ 迷うわれらを
若草の野べに ともないたまえ
われらを守りて 養いたまえ
ほれらは主のもの 主の群れなれば

2)良き友となりて 常にみちびき
迷わば、たずねて つれ帰りませ
われらの祈りを 受け入れたまえ
われらは主のもの ただ主に頼る

3)ゆるしの御誓い 救いのめぐみ
きよむる力は ただ主にぞある
われらをあがない いのちを賜う
われらは主のもの 主にありて生く

4)主よ、いつくしみを われらに満たし
今よりみむねを なさしめたまえ
われらをあわれむ みめぐみ深し
われらは主のもの ただ主を愛す

アーメン

出典:日本キリスト教団出版局『讃美歌21』(インターネット配信について

2022/04/24

聖書の植物~コムギ

 「ヨアシュの子ギデオンは、
ぶどうの踏み場で小麦を打っていた。
ミディアン人から隠れるためであった。」
(士師記6章11節)

 コムギは、世界の多くの地域で主食とされている穀物です。オオムギと比べて栽培も調理も一手間かかりますが、パン・めん・菓子などの多様な料理に用いることができるため、オオムギ以上に多く栽培されるようになりました。また、神への穀物のささげ物として選ばれたのは小麦粉でした(レビ2章1節)。
 ギデオンは大切な食料を外敵から奪われないように、ぶどうの踏み場の陰に隠れて小麦を打つような弱い人物でした。しかし、神はギデオンを「力ある勇士」(士師記6章12節)と言って選び出し、イスラエルの救世主として用いられました(士師記6章14節)。

(新日本聖書刊行会『聖書 新改訳2017』2017年版)

2022/04/23

讃美歌21・78「わが主よ、ここに集い」

1)わが主よ ここに集い
したしくみ顔あおぎ
わがすべて 主にゆだね
み恵みを待ち望む

2)主の糧 共に食し
さかずき 共に受けて
わが心きよめられ
深き罪 あがなわる

3)わが主よ 主のほかに
助けも望みもなし
ただ主こそわが力
祈りつつ 求めゆかん

4)わが罪 わが思いを
潔めし 主の血しおよ
主の正義 身にまとい
恐れなく 進みゆかん

アーメン

出典:日本キリスト教団出版局『讃美歌21』(インターネット配信について

2022/04/18

2022年4月24日の聖書日課

(写真:ライラック)
 第二コリント4:13-18
 4:13 「わたしは信じた。それゆえに語った」としるしてあるとおり、それと同じ信仰の霊を持っているので、わたしたちも信じている。それゆえに語るのである。
 4:14 それは、主イエスをよみがえらせたかたが、わたしたちをもイエスと共によみがえらせ、そして、あなたがたと共にみまえに立たせて下さることを、知っているからである。
 4:15 すべてのことは、あなたがたの益であって、恵みがますます多くの人に増し加わるにつれ、感謝が満ちあふれて、神の栄光となるのである。
 4:16 だから、わたしたちは落胆しない。たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていく。
 4:17 なぜなら、このしばらくの軽い患難は働いて、永遠の重い栄光を、あふれるばかりにわたしたちに得させるからである。
 4:18 わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぐ。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠につづくのである。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2022/04/17

2022年4月17日(日) イースターの卵

 今年も教会堂に集まってイースター礼拝を行うことができました。恒例の食事会はありませんでしたが、イースターにちなんだ色々な「卵」が集まり、それぞれの家庭でキリストの復活の恵みを味わうことができました。

2022年4月17日(日) イースター礼拝

 2022年4月17日(日) 10:30-11:30

イースター礼拝

※ご出席の際は、志村キリスト教会の
感染対策(マスク着用等)にご協力ください。

志村キリスト教会 牧師:横山唯一
〒174-0041 東京都板橋区舟渡2-7-10
TEL&FAX 03-3969-7040
E-mail: jag4mura_kyokai@yahoo.co.jp

聖書の植物~カラシナ

(写真:クロガラシ)

「神の国を何に比べようか。
また、どんな譬で言いあらわそうか。
それは一粒のからし種のようなものである。」
(マルコ4章30~31節)

 からし種は、カラシナとその近縁種の種子です。辛子や食用油の原料となり、葉も食用とされます。春に十字形の黄色い花が野原を彩ります。イスラエルでは、カラシナの近縁種であるクロガラシやシロガラシが自生しています。
 春の盛りのありふれた光景から、キリストは神の国の繁栄を言いあらわしました。神の支配に従う者には、このような繁栄が約束されています(エゼキエル17章23節)。「聞く耳のある者は聞くがよい」(マルコ4章23節)とキリストは語っています。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2022/04/16

讃美歌21・325「キリスト・イエスは」

1)キリスト・イエスは ハレルヤ
よみがえられた ハレルヤ
勝利をうたい ハレルヤ
み名をたたえよう ハレルヤ

2)十字架にかかり ハレルヤ
死んで死に勝ち ハレルヤ
生きていのちを ハレルヤ
イエスは与えた ハレルヤ

3)イエスの十字架は ハレルヤ
われらの救い ハレルヤ
天の使いと ハレルヤ
声をあわせよう ハレルヤ

アーメン

出典:日本キリスト教団出版局『讃美歌21』(インターネット配信について

2022/04/11

2022年4月17日の聖書日課

(写真:エンドウ)
マルコ16:1-8
 16:1 さて、安息日が終ったので、マグダラのマリヤとヤコブの母マリヤとサロメとが、行ってイエスに塗るために、香料を買い求めた。
 16:2 そして週の初めの日に、早朝、日の出のころ墓に行った。
 16:3 そして、彼らは「だれが、わたしたちのために、墓の入口から石をころがしてくれるのでしょうか」と話し合っていた。
 16:4 ところが、目をあげて見ると、石はすでにころがしてあった。この石は非常に大きかった。
 16:5 墓の中にはいると、右手に真白な長い衣を着た若者がすわっているのを見て、非常に驚いた。
 16:6 するとこの若者は言った、「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレ人イエスを捜しているのであろうが、イエスはよみがえって、ここにはおられない。ごらんなさい、ここがお納めした場所である。
 16:7 今から弟子たちとペテロとの所へ行って、こう伝えなさい。イエスはあなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて、あなたがたに言われたとおり、そこでお会いできるであろう、と」。
 16:8 女たちはおののき恐れながら、墓から出て逃げ去った。そして、人には何も言わなかった。恐ろしかったからである。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)
 

2022/04/10

聖書の植物~クルミ

 「わたしは谷の花を…見ようと、
くるみの園へ下っていった。」
(雅歌6章11節)

 クルミは、北半球の温帯地域に自生する植物です。果実は食用に、木材は工芸用に使われてきました。イスラエルには元々自生しない植物でしたが、古代より涼しい丘陵地などで栽培されてきました。
 愛の歌である雅歌は、クルミなどのイスラエルでは貴重な果樹がそろった園に恋人を誘う様子を歌っています。その園の中で果実が月日をかけて豊かに実るように、愛が豊かに実る様子を高らかに歌い上げています(雅歌8章4節)。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2022/04/04

2022年4月10日の聖書日課

(写真:ムスカリ)
ピリピ2:5-11
 2:5 キリスト・イエスにあっていだいているのと同じ思いを、あなたがたの間でも互に生かしなさい。
 2:6 キリストは、神のかたちであられたが、神と等しくあることを固守すべき事とは思わず、
 2:7 かえって、おのれをむなしうして僕のかたちをとり、人間の姿になられた。その有様は人と異ならず、
 2:8 おのれを低くして、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順であられた。
 2:9 それゆえに、神は彼を高く引き上げ、すべての名にまさる名を彼に賜わった。
 2:10 それは、イエスの御名によって、天上のもの、地上のもの、地下のものなど、あらゆるものがひざをかがめ、
 2:11 また、あらゆる舌が、「イエス・キリストは主である」と告白して、栄光を父なる神に帰するためである。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)
 

2022/04/03

聖書の植物~テレビンノキ

 
「テレビンの木またはかしの木が
切り倒されるとき、
その切り株が残るように」
(イザヤ6章13節)


 テレビンノキは、地中海沿岸原産の落葉樹です。ヘブル語では「エラー」と言い、「エラの谷」(サムエル上17章2節)はイスラエルにおける自生地の一つです。ピスタチオに近縁な植物で、果実や樹液が食品への風味づけのために用いられました。
 テレビンノキは樫の木と同様、シンボルツリーとみなされましたが、聖書の神に忌み嫌われる偶像礼拝(レビ26章1節)の場とされることもありました。神は人々に偶像礼拝の罪を悔い改めることを迫り、そこからの回復の道をも備えておられます(テサロニケ第一1章9~10節)。
 
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2022/04/01

2022年4月3日の聖書日課

(写真:アブラナ)
哀歌3:25-32
 3:25 主はおのれを待ち望む者と、
おのれを尋ね求める者にむかって恵みふかい。
 3:26 主の救を静かに待ち望むことは、良いことである。
 3:27 人が若い時にくびきを負うことは、良いことである。
 3:28 主がこれを負わせられるとき、
ひとりすわって黙しているがよい。
 3:29 口をちりにつけよ、
あるいはなお望みがあるであろう。
 3:30 おのれを撃つ者にほおを向け、
満ち足りるまでに、はずかしめを受けよ。
 3:31 主はとこしえにこのような人を
捨てられないからである。
 3:32 彼は悩みを与えられるが、
そのいつくしみが豊かなので、
またあわれみをたれられる。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)