テモテ第一4章8節をお読みします。
からだの訓練は少しは益するところがあるが、信心は、今のいのちと後の世のいのちとが約束されてあるので、万事に益となる。
聖書はここで、「信心のための訓練」をすることを勧めています。
信心とは「信じる心」と書きますが、この言葉で聖書が意味しているのは、人が何ものかを堅く信じる「信念」とは違います。この信心は「信仰」や「敬虔」という言葉に置き換えることができます。信心は聖書の神から与えられるものであり(ペテロ第二1章3節)、さらに深い信心を得るために追い求めるべきものです(テモテ第一6章11節)。
信心は人間に生まれつき備わっているものではなく、からだの訓練のように努力して獲得していくものです。そして、信心の獲得のために役立つのが「信仰の言葉」(テモテ第一4章6節)である聖書です。からだを作り上げるために必要な栄養素があるように、心を作り上げ、心を養うために、私たちは聖書を読むことが必要です(ペテロ第一2章2節)。
そのようにして私たちが信心を獲得することができたなら、私たちは信心深い生活に伴う神のいのちに満たされることができます。神は私たちに来世のいのちだけでなく、今を生きるいのちを豊かに祝福してくださいます。
この聖句の著者であるパウロは、信心の訓練についてしばしばスポーツの例えを用いています(テモテ第一6章12節)。具体的に私たちがすべきことは、聖書のことばを「そのまま受けいれる」ことです(テモテ第一4章9節)。私たちは神の子どもとして、父なる神の御言葉を素直に受け入れて、御言葉に学んでまいりましょう(エペソ5章1節)。
ご一緒にお祈りいたしましょう。
天の父なる神様。今日、私たちは神様を信じる信心も、神様からの贈り物であることを知りました。時々、私たちも信じて生きることの難しさを覚えることがあります。どうぞ私たちの信心を強めるため、私たちに御言葉を与えてください。御言葉とともに、困難な今の時代を生きる命も豊かに与えてください。
イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)