ルカ20章17節をお読みします。
そこで、イエスは彼らを見つめて言われた、「それでは、『家造りらの捨てた石が隅のかしら石になった』と書いてあるのは、どういうことか。
キリストは宮、すなわちエルサレムの神殿に集まっている人々に福音を宣べておられました。人々の中には、キリストの話に耳を傾ける者もありましたが、キリストに敵対して反論する者もありました(ルカ20章1~2節)。
キリストは多くの譬(たとえ)話を語られました。なぜ譬話を語ったかといえば、耳を傾けはするが、キリストの話に込められた教えを悟らず、教えに従わない者に、理解しがたい謎として心に残すためでした(ルカ8章10節)。そのように、キリストは神殿において、敵対する人々に背を向けて、多くの民衆に向けて譬話を語ったのでした。その譬話とは、主人に分け前を出さない不正な農夫の話でした(ルカ20章9~16節)。
キリストの譬話は、その本当の意味を探求する者や、キリストの弟子となって教えを求める者には、神の奥義が示されます(ルカ8章9節)。そしてその奥義を心に留めて、その教えに従う者には頼もしい人生の礎となります。まさに、「家造りらの捨てた石は隅のかしら石となった。」(詩篇118篇22節)と書かれている通りです。
後にキリストは、この譬話の本当の意味を、自らの身をもって示しました。すなわち、彼を憎む人々の手によって、神の愛する御子として十字架にかけられ、死なれました(ルカ20章13~15節)。キリストを憎む人々は彼の命を奪いましたが、彼の命はキリストに従う者に与えられました(ルカ18章28~30節)。聖書にこう書いてあります。「見よ、わたしはシオンに、選ばれた尊い石、隅のかしら石を置く。それにより頼む者は、決して、失望に終ることがない」(ペテロ第一2章6節)。
ご一緒にお祈りいたしましょう。
天の父なる神様。聖書の御言葉は、時に私たちの心に大きな謎を残します。しかし、そこから神の奥義を見出すことができますように。御言葉を探求する時、私たちに永遠の生命に至る道を歩ませてください。
イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)