エペソ5章4節をお読みします。
また、卑しい言葉と愚かな話やみだらな冗談を避けなさい。これらは、よろしくない事である。それよりは、むしろ感謝をささげなさい。
聖書は私たちに言葉の使い方について多くのことを教えています。また、立派な言葉を語った人々のことも聖書から学ぶことができます。
イスラエルの王ダビデは戦いの勇士であり、巧みな歌を歌う詩人でもありました。ダビデは先代の王サウルとの間に争いがありました。ダビデはサウルの王子ヨナタンの親友であり、サウルの娘と結婚した義理の息子でもありましたが、サウルはダビデを恐れて命を狙うようになりました(サムエル上18章)。
しかし、ダビデはサウルに剣を向けることはありませんでした。時に、サウルに手をかける機会があっても、ダビデはサウルに歯向かうことはせず、王に対する敬意を失うことがありませんでした(サムエル上24章)。最後、サウルはヨナタンとともに敵との戦いで死にますが、ダビデは哀悼の歌を歌ってサウルの死を悲しみました(サムエル下1章)。
ダビデと同じように、私たちはイエス・キリストに人生の模範を見ることができます。「キリストは罪を犯さず、その口には偽りがなかった。ののしられても、ののしりかえさず、苦しめられても、おびやかすことをせず、正しいさばきをするかたに、いっさいをゆだねておられた。」(ペテロ第一2章22、23節)聖書の神は、不当な苦しみにあえぐ神の民を見過ごしにされることはありません。神は必ず苦しみのうちから引き上げてくださいます。現状を呪うような悪い言葉ではなく、神の救いを期待する良い言葉を語る者となりましょう。
ご一緒にお祈りいたしましょう。
天の父なる神様。キリストは「口から出るものが人を汚す」(マタイ15章11節)と教えられました。どうか私たちも、苦難にあって悪い言葉を語るのではなく、良い言葉を語って神の救いに期待する良い心を持たせてください。
イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)