ルカ11章1節をお読みします。
また、イエスはある所で祈っておられたが、それが終ったとき、弟子のひとりが言った、「主よ、ヨハネがその弟子たちに教えたように、わたしたちにも祈ることを教えてください」。
神の御子イエス・キリストは弟子たちに「主の祈り」(ルカ11章2~4節、マタイ6章9~13節)という祈りの言葉を教えられました。また度々自ら祈られた方であり、弟子たちはキリストの祈りの姿から祈ることについて学びました。
祈りは必ずしも決められた祈りの言葉、祈りの方法で祈らなければならないものではありません。聖書の神は私たちの切なる祈りを聞き届けられ、言葉に表せないような心の底からの願いを知ってくださる方です。ローマ書にも、私たちの祈りを助ける神の御霊について次のように書かれています。
「御霊もまた同じように、弱いわたしたちを助けて下さる。なぜなら、わたしたちはどう祈ったらよいかわからないが、御霊みずから、言葉にあらわせない切なるうめきをもって、わたしたちのためにとりなして下さるからである。」(ローマ8章26節)
また私たちの側も、神が祈りを聞き届けられるという信仰をもって祈り続けることが大切です(ルカ11章5~8節)。うまく言葉に表せなくても、神に祈りの心をまっすぐに向け、自らの願いを自分自身の言葉で表すことも大切なことです(ルカ18章41節)。
祈るときには、迷わず神に自らの思いを打ち明けることです。その時、神は私たちの祈りに対し親しく耳を傾けてくださいます。キリストはこう言って励ましています。「求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。」(ルカ11章9節)
ご一緒にお祈りいたしましょう。
天の父なる神様。私たちは神の御子イエス・キリストご自身が祈りをささげられたことに励まされます。私たちは神様の特別なご愛顧を必要としています。キリストが教えられたとおり、信仰をもって祈り続けることができますように。どうぞ私たちの切なる祈りを聞き届けてください。
イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)