マタイ6章12節をお読みします。
わたしたちに負債のある者をゆるしましたように、わたしたちの負債をもおゆるしください。
主の祈りは、日ごとの食物(マタイ6章11節)のために祈った次に、負債のゆるしを求めて祈ります。
文語体の主の祈りでは、「われらの罪をゆるしたまえ」と祈ります。私たちは人に対して負い目や罪を負うことがありますが、神に対しても負い目や罪を負うことがあることを聖書は教えています。
負債を負うならば、償って清算しなければなりません。しかし、何らかの方法で償ったとしても、それで人間関係が完全に修復されるとは限りません。また例えば人の命のように、本質的には何物によっても償えないようなものもあります。罪というものは、大きなものでも小さなものでも、最終的に「ゆるし」がなければ解決できるものではありません。
私たち人間は、人生を長く歩み続けるうちに数多くの罪を負ってしまいます。ですから、主の祈りは日ごとの食物と同様に、日ごとの罪のゆるしが私たちに必要であることを教えています。イエス・キリストはこの私たちの罪のゆるしのために十字架にかかられたのです(ペテロ第一2章24節)。
キリストは私たちに語りかけます。「ゆるしてやれ。そうすれば、自分もゆるされるであろう。」(ルカ6章37節)主の教えに従って、すべての罪をゆるされた人生を歩んでまいりましょう。
ご一緒にお祈りいたしましょう。
天の父なる神様。私たちの人生には日ごとに罪のゆるしが必要です。どうぞ私たちの罪をおゆるしください。そして、私たちが罪から離れた生活を歩むことができますように、私たちを導いてください(ヨハネ8章11節)。
イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)