聖書:ヨハネ6:26-35
「イエスは彼らに言われた、『わたしが命のパンである。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決してかわくことがない。』」(ヨハネ6章35節)
イエス・キリストは、ガリラヤ湖のほとりで子供から提供された五つのパンと二匹のさかなで五千人ほどの人々を養う奇跡を起こされました(ヨハネ6章1~13節)。それを見た人々は、キリストを王様として担ぎ上げようとしました(ヨハネ6章14~15節)。しかし、そのことはキリストご自身が願ったこととは違った方向のものでした。
キリストは人々にこう言われました。「あなたがたがわたしを尋ねてきているのは、しるしを見たためではなく、パンを食べて満腹したからである。」(ヨハネ6章26節)まさにキリストが言い当てられたように、人々はキリストをガリラヤに現われた新しい指導者とみなしたのでした。そして、彼らの生きる世界に新しい国家を打ち立てようと思ったのでした。キリストは後にこのように言われました。「わたしの国はこの世のものではない」(ヨハネ18章36節)。
キリストはパンの奇跡によって、人々に「永遠の命」を与えようとしたのでした(ヨハネ6章27節)。人々はキリストの教えを悟ることをせず、ただパンで腹を満たすことを要求し続けました(ヨハネ6章31節)。その結果、多くの者が期待外れと言わんばかりに、キリストのもとを去りました(ヨハネ6章66節)。
キリストは「朽ちる食物のためではなく、永遠の命に至る朽ちない食物のために働くがよい」と語られます(ヨハネ6章27節)。それは食べてしまうと終わるようなものではありません。キリストは語られます。「わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が、わきあがるであろう」(ヨハネ4章14節)。キリストが与えようとされるものを受け損ねることがありませように。
ご一緒にお祈りいたしましょう。
天の父なる神様。キリストは「わたしが命のパンである」と言われました。私たちもキリストが与えようとされるものを確かに受けることができますように。一時で終わるものではなく、永遠に続くもののために日々働くことができますように。
イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)