御名があがめられますように。(マタイ6章9節)
主の祈りは、「天にましますわれらの父よ」と呼びかけた後、「ねがわくは」と言って祈りの本題に入ります。
様々な祈りと願いに先立って、神の御名があがめられ、賛美されるように祈れと、キリストは教えられました。このことは、教会の礼拝が賛美に始まり、賛美に終わることにも相通ずることです。礼拝に集う人々の思惑はそれぞれ違っていたとしても、礼拝では言葉と心を一つにして神を賛美することを必須なものとしています。
教会で歌われる賛美歌は、神を賛美し、ほめたたえるための歌です。その賛美によって、礼拝されるべき神が天地を創造された、偉大な父なる神であることを告白します。祈りはその偉大な神に向かってささげられるものです(ローマ1章25節)。
しかし、神によって創造された被造物である私たちは、どんなに立派に賛美歌を歌ったとしても、天地創造の神に相応しい賛美を捧げる資格や能力があるということにはなりません(ネヘミヤ9章5節)。しかし、キリストは神を賛美しなさい、と私たちに励ましています。なぜなら、神は拙い私たちの口に、神を賛美するにふさわしい賛美をも与えてくださるからです(マタイ21章16節)。
「御名があがめられますように」という祈りの言葉は、神の御名を賛美できるのは私たち人間の能力によらないことを教えています。神の御名は、神ご自身だけがふさわしく高めることができることなのです。しかし、その神だけができることを、私たちは祈り求めることが許されています。まして、その後に続く私たちの願い事は、全能の神にとって不可能なことは何一つありません(マルコ11章22~24節)。感謝して祈り続けましょう。
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)