マタイ12:14-2112:14 パリサイ人たちは出て行って、なんとかしてイエスを殺そうと相談した。12:15 イエスはこれを知って、そこを去って行かれた。ところが多くの人々がついてきたので、彼らを皆いやし、12:16 そして自分のことを人々にあらわさないようにと、彼らを戒められた。12:17 これは預言者イザヤの言った言葉が、成就するためである、12:18 「見よ、わたしが選んだ僕、わたしの心にかなう、愛する者。わたしは彼にわたしの霊を授け、そして彼は正義を異邦人に宣べ伝えるであろう。12:19 彼は争わず、叫ばず、またその声を大路で聞く者はない。12:20 彼が正義に勝ちを得させる時まで、いためられた葦を折ることがなく、煙っている燈心を消すこともない。12:21 異邦人は彼の名に望みを置くであろう」。
イエス・キリストの宣教活動は、信じない者にとっては不可解なものでした。信仰を持たなかったキリストの兄弟たちは、「自分をはっきりと世にあらわしなさい」と言いました(ヨハネ7:3-5)。キリストは信じることなく敵対する人々からは身を隠す一方、信仰をもって求める人々には身を現し、教えと奇跡をもってその望みに応えました(:14-15)。
キリストは、「おおよそ、持っている人は与えられて、いよいよ豊かになるが、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられるであろう。」(マタイ13:12)と言われました。それが神に選ばれた僕の使命であり、「正義を…宣べ伝える」(:18)と言われていても、「その声を大路で聞く者はない」(:19)と言われるキリストの宣教のあり方でした。
キリストは「狭い門からはいれ」(マタイ7:13)と言われます。「それを見いだす者が少ない」(マタイ7:14)といっても、キリストの道に望みを置く者はそれを見出すのです。「捜せ、そうすれば、見いだすであろう。」(マタイ7:7)
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)