詩篇99篇99:1 主は王となられた。もろもろの民はおののけ。主はケルビムの上に座せられる。地は震えよ。99:2 主はシオンにおられて大いなる神、主はもろもろの民の上に高くいらせられる。99:3 彼らはあなたの大いなる恐るべきみ名をほめたたえるであろう。主は聖でいらせられる。99:4 大能の王であり、公義を愛する者であるあなたは堅く公平を立て、ヤコブの中に正と義とを行われた。99:5 われらの神、主をあがめ、その足台のもとで拝みまつれ。主は聖でいらせられる。99:6 その祭司の中にモーセとアロンとがあった。そのみ名を呼ぶ者の中にサムエルもあった。彼らが主に呼ばわると、主は答えられた。99:7 主は雲の柱のうちで彼らに語られた。彼らはそのあかしと、彼らに賜わった定めとを守った。99:8 われらの神、主よ、あなたは彼らに答えられた。あなたは彼らにゆるしを与えられた神であったが、悪を行う者には報復された。99:9 われらの神、主をあがめ、その聖なる山で拝みまつれ。われらの神、主は聖でいらせられるからである。
詩篇99篇は、神の民イスラエルの長い礼拝の歴史を歌っています。「主は王となられた」(:1)との歌い出しは、「大能の王」(:4)である聖書の神を「もろもろの民」(:1)に告知する宣言です。
イスラエルにとって神は、モーセら神の代理人たちの仕えた神であり(:6)、神の民の信仰と不信仰の歩みの中にあって「公義を愛する」(:4)神であり続けました。「あなたは彼らにゆるしを与えられた神であったが、悪を行う者には報復された。」(:8)
神は「聖でいらせられる」と三度(:3,5,9)も繰り返し歌われています。その神の荘厳な御姿を目の当たりにし、預言者イザヤは「わざわいなるかな、わたしは滅びるばかりだ。」(イザヤ6:5)と言いました。しかし、神はおののきつつ礼拝を捧げる者を受け入れてくださいます。
「わたしは山にむかって目をあげる。わが助けは、どこから来るであろうか。わが助けは、天と地を造られた主から来る。」(詩篇121:1-2)
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)