2:1 彼はわたしに言われた、「人の子よ、立ちあがれ、わたしはあなたに語ろう」。2:2 そして彼がわたしに語られた時、霊がわたしのうちに入り、わたしを立ちあがらせた。そして彼のわたしに語られるのを聞いた。2:3 彼はわたしに言われた、「人の子よ、わたしはあなたをイスラエルの民、すなわちわたしにそむいた反逆の民につかわす。彼らもその先祖も、わたしにそむいて今日に及んでいる。2:4 彼らは厚顔で強情な者たちである。わたしはあなたを彼らにつかわす。あなたは彼らに『主なる神はこう言われる』と言いなさい。2:5 彼らは聞いても、拒んでも、(彼らは反逆の家だから)彼らの中に預言者がいたことを知るだろう。2:6 人の子よ、彼らを恐れてはならない。彼らの言葉をも恐れてはならない。たといあざみといばらがあなたと一緒にあっても、またあなたが、さそりの中に住んでも、彼らの言葉を恐れてはならない。彼らの顔をはばかってはならない。彼らは反逆の家である。2:7 彼らが聞いても、拒んでも、あなたはただわたしの言葉を彼らに語らなければならない。彼らは反逆の家だから。
エゼキエルは神殿に仕える祭司でしたが、多くの民とともにバビロンへ捕囚となりました。そこで彼は神から新しい使命を与えられ、預言者となりました(エゼキエル1:1-3)。
彼は恐ろしい幻を見て顔をふせました(エゼキエル1:28)。しかし「人の子よ、立ちあがれ」(:1)という声がかかりました。そして恐れるエゼキエルを立ちあがらせたのは神から送られた「霊」(:2)の力でした。
エゼキエルの使命は大変困難なものでした。神の言葉を伝えるべき相手であるイスラエル人は「反逆の民」(:3)であり、「厚顔で強情な者たち」(:4)であると予告されました。しかし、エゼキエルのうちに宿った「御霊」が彼を奮い立たせ、神の言葉を告げさせました。
今日の私たちもエゼキエルの姿から学べることがあります。私たちが「あざみといばら」(:6)の道を行くことがあっても恐れてはなりません。「というのは、神がわたしたちに下さったのは、臆する霊ではなく、力と愛と慎みとの霊なのである。」(テモテ第二1:7)
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)