「義認」とは、「神が人を正しい(義)と認めること」を意味します。聖書のことばによって、義認の様々な側面を確認していきましょう。
a)義認は、神を裁判官と見て、「神によって無罪判決が下されること」にたとえられます(ローマ8:33)。神による裁定に対しては上訴ということがなく、異議申し立ても許されないものです。
b)義認が示す「正しさ」は、人の準拠すべき標準を示します。神によって立てられた標準に達する人はひとりもなく、すべての人が有罪とみなされています(ガラテヤ3:22)。しかし、神は信仰によって義とみなされる道を開いてくださいました(ガラテヤ3:24)。
c)義認は、神の恵みによってのみ実現します。義とみなされるために人が代価を支払う必要がありません。キリストの血が代価として支払われたからです(ローマ3:24)。
d)義認は、キリストの義を着せられることにたとえられます(第一コリント1:30)。神は罪人を覆うため着物を用意して着せられました(創世記3:21)。
e)義認は、信仰によって私たちのものとすることができます。私たちは「キリストを信じる信仰による義、すなわち、信仰に基く神からの義を受けて、キリストのうちに自分を見いだすようになる」(ピリピ3:9)のです。
参考資料:
日本聖書協会「聖書 口語訳」1955年版
マイヤー・パールマン「聖書の教理(下)」福音出版社(1982年)
日本聖書協会「聖書 口語訳」1955年版
マイヤー・パールマン「聖書の教理(下)」福音出版社(1982年)